31「ビリヤード」【挿絵あり】
「郵政民営化の頃だから、
もう10年くらい前だね」
IT関連に勤めている男性から聞いた話。
SEやプログラマーといった専門職ではなく、
スケジュール管理をしていたという。
「下請けに1人か2人で派遣される、
まあ“お目付け役”だね。
大手と言われているところは、
基本開発能力無いからなあ」
とはいえ、仕事はかなり忙しい。
“お目付け役”が派遣されるところは、
たいてい納期が遅れたりしている、
いわゆる“修羅場”が多かった。
「だから、おちおち休む事も出来ない。
熱を出してフラフラになっても必ず一度は
現場に顔を出す。
丸一日いるといないとでは、緊張感が違うからね」
ある時、40度近い熱を出した彼は、いったん現場に
出向してから病院へ行こうと足を早めていた。
しかし、電車内の空気と混雑に気分がさらに悪化。
それでも何とか駅を出て大通りに来た時、一休み入れた。
現場のビルまで後もう何分も無い。
とにかく顔さえ出せば……
と顔を上げると、妙な物が見えた。
「何かね。
何というんだろうか……
青っぽい物が、すごい速さで動いていたんだ」
よく見ると、それは球体の形をしていた。
運動会で使われる大玉転がしの玉を、一回り
小さくしたような。
それが道を行き交う人々の間を避け、あるいは
ぶつかりながら移動している。
さながら、ビリヤードの玉のように。
それから目を離せないでいると、その球体は
いつの間にか自分の目前まで迫っていた。
しかし熱のためか、精神も体もどこか反応がにぶい。
どうなるのかと見守っていると―――
「マズそうだなぁ、これは」
耳鳴りまで聞こえてきた耳に、その声は
はっきりと聞こえたという。
そう言い残すと、球体は横を通り過ぎていった。
振り返ったが、そこにはいつもの雑踏があるだけ
だったという。
「熱のための幻聴と幻覚だったと、自分では
そう思ってるんだけどね」
そんな物を見たのは、後にも先にもそれだけ
だったけど、と彼は付け加えた。