30「ビンタ」【挿絵あり】
知り合いの仏教関係者から聞いた、
お寺に来た中年夫婦の話。
結婚してもう15年ほどになるが、結婚式の前夜、
夫は奇妙な夢を見たという。
「気が付くと、自分の前に7、8才くらいの女の子が
座っていて」
自分もまた、合わせるようにそれくらいの年齢に
なっていた。
向き合うようにして座っていたのだが、
ふと少女が片手をゆっくり横に伸ばすと、
いきなり彼をビンタした。
「え? え?
と思っていたんですけど」
よく見ると、彼女の口には牙が生えていて、それと対照的に
頭上に二本の角があった。
彼を恨みがましい目で見ていたが、やがて口を開き、
「……ウソつき……」
その目には涙がたまっていた。
何がウソなのか、どうして怒っているのか
わからないで困惑していると、今度はその
彼女の背後に、大人の男性が立っていた。
「だから言っただろう。
この場所での約束は、忘れられてしまう
ものなのだ」
神主のような格好のその男性は、彼女をそう言って
なぐさめているようだった。
周囲を見渡すと、そこは昔よく自分が境内で
遊んだ神社、その裏手の山の中だと気付いた。
夜、自分が寝静まった後と思われる真っ暗な闇の中、
なぜか木々や眼下の本殿などがよく見えたという。
「しかし、父親としては一回」
いきなり彼の頭にゲンコツを降らせた。
同時に目が覚めたが、頭の痛みは酷く、翌朝まで
残っていたが、結婚式の頃には不思議と無くなって
いたらしい。
ちなみに、その父親と思える男性は格好以外はいたって
普通で、角や牙は無かった。
「でもホント、
約束って何の事だか覚えていないんですよ」
結婚後、男の子を2人授かったが、彼は子供たちに、
“女の子とうかつな約束はするんじゃないぞ”
と注意している。