98「相似」
・状況の模倣について。
お寺で修行している知り合いの話。
今や国際的になった世の中で、外国人と一緒に
学校に行ったり、会社に勤める人も珍しくはない。
しかし、やはりというか文化的な問題や習慣の
軋轢もある。
とある国だとスクール水着は禁止であり、
女の子はプールの授業を受けられない等あるの
だとか。
「まあ水の貴重な国とかもありますし、
そういうのは仕方が無いかと」
しかし異国において、知らず知らずのうちに
タブーやすれ違いが生じる事もある。
特に宗教―――
仏教やキリスト教などポピュラーなものはいいが、
そういうのがぶつかる場合はどうなるのか、
彼が同僚と話し合っていると、
「んー、まあ……
妥協するところは妥協するんだろ。
それに、やり方が違っても祈りや供養、
弔いは全世界共通だろうしなあ」
入ってきた師匠は、根源的な似通った何かが
あるのでは、と話し始めた。
ある時、とある教育施設で―――
お祓いのようなものを引き受けた事が
あったという。
「と言っても、まあ……
古い土地なので一応やっておくか、程度の
モンだった。
それで『無病息災』とか、『みんな元気に
過ごせますように』くらいの気持ちで
やったんだが」
事もなく儀式は終わったが―――
子供たちが奇妙な事を言い始めた。
曰く、お坊さんのような人に他に、何人か
別の人がいたと。
ある子供は、それはキリスト教の神父のような
格好をしていたといい、
またある子供は、映画『キ〇ンシー』に出てくる
導師のような格好をしていたという。
他にもいたそうだが……
共通していたのは、自国の、宗教的な衣装を
着ていたそうだ。
「自分の国の宗教者が来てくれていたんで
しょうか」
彼の問いに師は少し考え、
「そこまで考え過ぎる必要は無いんじゃ
ねえかなあ。受け取り方というか。
『自分の国ならこうだろう』―――
そう、子供たちには見えていた……
受け取った、という事だろう」
同じ人間、そうそう価値観が異なる事は
少ないからな、そう師は付け加えた。
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