82「見通し」
・行き着く境地について
お寺で修行している知り合いの話。
職人技、という言葉がある。
熟練した、もしくは卓越した技術で、常人とは
異なる速度や正確さ、または素人目ではわからない
違いを見抜くというものだが―――
「修行でもそうなりますかね」
「目的がハッキリしたものでは無いからなあ」
彼の問いに、師匠が即答する。
そもそも仏教の教えは、いかに煩悩を取り除くかに
かかっている。
執着や極める事からは真逆の性質で―――
悟る、とは根底から異なるものだと。
「ただ、どんな職業や仕事でもそうだが、
近くなる事はあるだろう」
座禅でも、『無』を求めて業を重ねる。
それと同じように、知らず知らずのうちに、
『無』に近付く場合があるのだという。
「ある職人は―――
それを『飲まれる』と言っていた」
全員が師の話に耳を傾けると……
ある時、腕のいい職人がいたらしいのだが、
彼は職を転々としていた。
ある程度までは極めるのだが、すぐにそこを
辞めてしまい―――
また別の職に手を付けるのだという。
「本人は、色や形、完成形が全て
『見えてしまう』と言っていたらしい。
また作られた物がどのように使われるか、
その所持者や購入者がどのような生活をして、
どんな未来になるかまで……
だから耐えられずに辞めてしまうんだと」
「それはそれで、ある意味才能なのでは」
少なくとも、そこまでわかる事は規格外としても、
完成後が見えるのは職人として……
望外の能力なのでは?
そう彼が聞き返すと師は、
「何ていうかな。
向上心や努力する心が『消える』と言っていた。
全てが見通せたら、多分自分は作る意味や、
生きる価値を無くしてしまうだろうから……
そんな事を話していたらしい」
未知に対する欲求や煩悩は、普通に生きていく
人間には必要だからな―――
そう師は付け加えたという。
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