36「限度」【挿絵あり】
・返ってくる行いについて
お寺で修行している知り合いの話。
『因果応報』、という言葉があるが―――
基本的に仏教では、ネガティブな意味ではなく
行いによっていい事も悪い事も返ってくる、
という事になっている。
さらに踏み込むとそれらは行いにもよるが、
短期間ではなく、子供や子孫に対する長期的な
物も含まれ……
個人で一生の中で受ける『因果応報』は、
さほどあまり無いのだという。
「どっちかと言うと仏教は……
死んでからが本番、みたいなところが
あるからなあ」
同僚と話しているところへ、彼らの師匠が
現れ―――
会話に参加してきた。
「でも、よく使われると思うんですが……
『ありゃ因果応報だ』とか、
『因果な商売しているからだ』とか」
彼が疑問を唱えると、師匠はお茶菓子を
口に放り込んで、
「病気や小さなケガ程度なら、善人だろうが
何だろうがあり得るだろ。
ただ―――」
「?? ただ、何です?」
ボリボリとお菓子を噛み砕いて飲み込んだ後、
「……度を超えた場合だな。
『もう地獄へ行くまで待ってはおれん』
『子孫や家族に責を取らせても間に合わん』
くらいの事をやらかした時は―――
『持っていかれる』」
実際は、100年200年と時間をかければ
『薄く』なっていくそうなのだが、それすら
間に合わないケースがあるのだという。
「そこまで恨む人っていますかね」
「……そこまで恨まれる人間が、
一人か二人に恨み買う程度だと思うか?」
それを聞くと、みんな無言でうなずいたという。
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