11「罰当たり」【挿絵あり】
・罰の概念について。
お寺で修行している知り合いの話。
「そんな物は無い」
彼が仏罰について師に聞いた時、
0.1秒でそう即答されたという。
そもそもそういうものは、人間が戒めや反省、
ルール作りに利用しただけで、仏教にそういう
概念自体が無いらしい。
「そもそも仏教というのは、
“死んでから”の教えであって
“だから生きている間は自分で何とかしなさい、
人間の世界は人間でどうにかしなさい”
という感覚のものだ」
その辺が神道との違いだな、そう言ったのを
聞き逃さず彼は質問した。
「では神道は?」
「あれは“生きている”。
前提が違う」
「?」
わからない、という顔をしていたのだろう。
師はその表情を読み取ると、
「俺も仏教徒だから、それほどそちらに詳しい
わけじゃ無い。
だから聞いた話になるが」
仏教が
“この世界は人間次第であり、変えるのも壊すのも
人間しか出来ない”
というのに対し、神道は
“この世界は人間と、それ以上の存在
(神や精霊、妖怪など)が共生している。
常に敬意と畏怖を持って過ごすべし”
というもの。
(私個人的には神道の方が日本人に
合っているような気がする)
「では、仏教自体には罰とかそういうものは
無いんですね」
彼がそう話を元に戻すと、
「無い。だがタブーはある」
との返答。
「何ですかそれは?」
「仏教を中途半端に“使う”事だ。
真似事や利用、深く理解してもいないのに
偉そうに講釈たれるとかな。
それが最悪の仏教のタブーだ」
だからお前も、過去少し修行した程度の知識で
妙な真似するんじゃないぞ、とたしなめた後、
「ま、お前は小心者だから
そんな心配は無いと思うが」
余計な一言も付け加えられたという。





