曼珠沙華
夢を見ている。
体も動くし臭いも嗅げる。
でも、体が夢だと理解している。
「不思議な感覚ね」
お腹を触っても痛みはない。矢も刺さっていない。あるのは昔の傷だけだ。
今居る場所は花畑。
私の周りだけ赤い花、彼岸花が咲いている。他は白い丸い花で埋め尽くされている。
目の前を流れる川は、三途の川だろうか?
しかし、どこを探しても渡し船は無い。
「さて、どうしましょう?」
暫く立っていると、川の向こう岸から人が歩いてくる。
顔は霧でよく見えない。
水の上を歩くように、正確にはほんの少し浮いている。
水面の上の5㎝程の高さにまるで透明な道があるかのように。
ひた。ひた。ひた。ひた。
音がする筈はないのに、音がしている。
段々近づいてくると、少しずつ顔がはっきりしてくる。
「ごきげんよう、追放された勇者」
現れたのは私だ。
正確に言えば私の顔をした何か。
背中に蝙蝠の羽を生やしているし、目の色が違う。
「今日は。何のご用件かしら?」
「んー、強いて言うなら止めを刺したかった、と言うところですかしらね?貴女を現に返さずに、ここで川を渡ってもらうのが目的ですわ」
胡散臭い。
目の前の女性は、魔族の可能性が高いだろう。
魔族の特性は固有魔法。誰もが、独立した魔法体系を持っていると考えて問題ない。
「まあ、もう諦めたのですわ。何者ですの、貴女?どんなに過去を見ても付け入る隙がありませんの。そんな体にした父親に対しても大した恨みは感じませんわ」
「そうかしら」
「私の得意戦法は心の隙に漬け込むこと。でも、貴女にはそれができませんの。だから諦めたのですわ」
「なら、ここから出ることは出来るかしら?」
「私が居なくなったらこの世界も消滅しますの。少し話に付き合ってくださいまし」
余り長くは出来ないが、少しなら構わない。
「ありがとうございますわ。それでは、ほんの少し」
☆ ☆ ☆
「私達魔族の王は魔王と呼ばれますの」
「ええ、知っているわ」
風景は切り替わり、花の咲く庭へ。
日除けの付いたテーブルに座ると、目の前に紅茶が現れる。
私も女性も一口飲む。
「魔族の王は世襲で、先代魔王が崩御なされたと同時に今代魔王がその座につきましたの」
お菓子にも口をつける。
スコーンにはジャムがよく合う。
「魔族の有力者たちは彼女を傀儡にしようと画策を続けていますの。今はまだ和平派だから良いのですが……」
「そのうち好戦派が傀儡にしかねない、と?」
「ええ、まさにその通りですわ。ですから、貴女にお願いがあるのですわ」
「お願い?」
私まで権力争いに参加しようとは思わない。勘弁して欲しいのだが……。
「違いますわ。あからさまに嫌そうな顔をしないでくださいまし」
そんなに分かりやすかっただろうか?
「取り合えず言ってみて欲しいわ。さもないと判断できないもの」
「そうですわね。私達和平派のお願い、それは……」
ーー貴女に魔王様を育てて欲しいんですの。
「構わないわ。迎えにいけば良いのかしら?それとも、そちらから来るのかしら?」
「随分とあっさり了承するのですわね」
「まあ、メラにも友達が必要だとは思うし、そんなところに子供を置いておくわけにはいかないでしょ?」
女性がクスクスと笑う。
「ええ、ありがとうございますわ。お話は以上ですの。それでは最後に……」
右手を差し出される。
私も立ち上がり、握手をする。
「ん?」
私の手の甲にタトゥーのような紋章が浮かび上がる。
盾の上に十字に短剣と長剣が交差し、それに蛇が巻き付いた模様。
「それは私の紋章よ。魔族に見せれば、ほとんどの我が儘は通るわ」
魔族にわがままを言う機会はあるのか?
「トロイメライの舌にも同じ紋様を付けましたの。困ったときには使ってくださると嬉しいですわ」
つかうことは無い方がいいが、ありがたくもらっておこう。
「それでは、私は去りますの」
「貴女の名前は?」
歩き去る女性に声をかける。
「ああ、名乗るのを忘れてましたわ。私の名前はカーミラ・シュタインベルクですわ。魂に刻んで忘れることの無きようにお願いしますの」
魂に……とは、魔族の挨拶の時に付ける慣用句だ。
「私の名前はシキ・クロイよ。それじゃあ、また後日ね」
「ええ、ごきげんよう」
霧と共に消えてなくなる。
カーミラ・シュタインベルクか。
カーミラの名前で一番最初に浮かぶのは吸血鬼カーミラだ。
さて、本当に吸血鬼なのか。
「まあ、どっちでも良いわ。そろそろ帰れるようだし」
世界は主を失い、崩れかけている。
破片が白く輝き、なにも見えなくなる。
ーー頼みますわ、シキ。魔王様をどうか良き王へ……。
そんな声が聞こえた気がした。