遊園地 2
遼太郎が唇を噛んだまま、黙ってしまったので、みのりも運転を邪魔しないように口をつぐんだ。
そうしている間にも、車は例の「シルクロード」の前を通り過ぎる。遼太郎はそれを横目に少し意識しながら、車を走らせ、高速道路の入り口に差し掛かった。
「狩野くん。もしかして、初めて高速道路を走るの?緊張するね…。」
そう話しかけたみのりの方が、遼太郎よりも緊張感たっぷりだ。
「いや、路上教習で走ったことありますし、信号ないし歩行者もいないから、逆に走りやすいです。」
ETCで戸惑うこともなく、遼太郎は事もなげにそう言った。
「あ、そうなんだ…。」
未だに高速道路を走る時には緊張してしまうみのりにとって、遼太郎はとてつもなく頼もしく思えた。それでも、やはり遼太郎に運転に集中してもらいたいのと、自分の感覚が先立って、みのりは無意識の内に無口になった。
しばらく高速道路を走った頃、遼太郎の方から口を開く。
「先生…。どうして俺のこと、『遼ちゃん』って呼ばないんですか?」
いきなりそう切り出されて、みのりの思考は固まった。
「…えっ!?」
「だって、今日は『狩野くん』に戻ってるし…。」
実を言うと、みのり自身、そのことを自覚していた。この前はそう呼べたのに、今日は変に意識してしまって、呼べなくなってしまっていた。
この前の別れ際、キスを期待していたのに、してもらえなかったことも影響している。あんな〝がっかり〟を、また味わうのはごめんだった。
「…そ、それは…、何でだろう…?」
きちんとした理由は、自分でも解らない。それをみのりは正直に言葉にした。
「もし…、俺が変なこと言ったからだったら、気にしないでください。」
「変なこと?」
「…その、キスしたくなるとか…。」
少し戸惑いながら発せられた遼太郎の言葉に、みのりの心臓は跳び上がり、その中身を言い当てられたように感じた。
けれども、みのりはそれを素直に認めたくはない。遼太郎よりもずいぶん年上の大人の女性として、たかがキスぐらいで動揺するわけにはいかなかった。
「別に、それを気にしてるわけじゃないんだけど…。そう呼ばれるの、嫌なんじゃないかと思って…。呼ぶたびに、ピクッて、動きが止まるでしょう?」
今度は、遼太郎の方がみのりの観察眼に、息を呑んだ。でもそれは、それだけみのりが自分の些細なことをも、ちゃんと見つめてくれているという証拠でもある。確かに、自分はみのりにそう呼ばれるたびに、思考も体も凝固していた。
「全然嫌じゃないから、そう呼んでください。」
ハンドルを握って前を見据えながら、遼太郎はしっかりした口調で言った。
「嫌か、じゃなくて、そう呼んでほしい…?」
改めて、みのりからそう訊かれて、遼太郎はその真意を考えた。
もちろん、みのりにはそんなふうに呼んでほしい。そう呼んでくれるということは、みのりにとって特別になったということに他ならない。みのりの可憐な唇から、そう優しく呼んでくれるのを、意味もなく何度でも聞いていたいくらいだ。
「……はい。呼んでほしいです。」
遼太郎は視線を前方から、一瞬みのりの方へと移した。それが、遼太郎の気持ちを確認したかったみのりの視線と絡み合う。
チラリと視線をくれただけなのに、その真剣さにみのりの心臓はドキン!と射抜かれた。
「…わ、分かった…。じゃ、…じゃあ、『遼ちゃん』。」
たどたどしくみのりの口から発せられたその呼び方に、遼太郎は思わず吹き出した。
「先生。今の言い方、まるで『 』が付いてたみたいでしたね。」
笑われて、みのりは口を手で押さえて赤面した。「遼ちゃん」となかなか呼べなかったのは、照れくささもあったからだ。
「…そ、それじゃあ。…り、りょ、遼ちゃん…だって、私のことをずっと『先生』って呼ぶつもりなの?」
そう切り返されて、遼太郎は目を丸くした。みのりに指摘されるまで、そのことに関して考えたこともない事柄だった。
思わず遼太郎は、前を注視し、運転に専念するふりをして考えた。
確かに、みのりに生徒扱いされたくないと思っているのに、自分が「先生」と呼ぶのは変かもしれない。
でも、だったら、何と呼んだらいいのだろう?
自分の中でみのりは〝彼女〟だと定義づけているわけだから、苗字で呼ぶのは他人行儀な感じがして不自然だ。だからと言って、二俣のように「みのりちゃん」と呼ぶのも、あまりにも馴れ馴れしくて抵抗がある。呼び捨てにするなんて、もっての外だし、それだったら、みのりの親友の澄子のように、「みのりさん」と呼ぶしかないのだが…。