誠意と愛情 1
「……ウソつき!!」
鋭い口調と同じ目つきで、彩恵が遼太郎を見すえた。
思ってもみなかった彩恵の反応に、遼太郎の方も目を丸くする。自分の言動の何が気に入らないのか分からず、ただ黙って彩恵を見つめ返した。
穏やかな冬の陽射しで陽だまりになっているこの場所は、大学の学生たちが待ち合わせなどに使うピロティ。カフェのようにテーブルと椅子が並べられ、昼休みは多くの学生たちが行き交っている。
その片隅で、テーブルを挟んで向かい合って座る二人の空気は、周囲の穏やかさとは対照的に、彩恵のこの一言で緊迫したものになった。
「……今度ゆっくりできるときに、私のアパートに来てくれるって言ってたのに。用事を入れちゃうなんて…!」
要するに彩恵は、日曜日に遼太郎がラグビースクールのコーチに行かねばならなくなったのが、気に入らないらしい。
「土曜日だったら、空いてるんだけど…。」
彩恵のアパートに行くのは、あまり気乗りしなかったが、この様子では一度は行かなければ収まらない雰囲気だ。
「土曜日は、ノリちゃんと『秘書検定講座』のスクールの説明会に行くことになってるの。」
休みの日に用事を入れているのは彩恵も同じなのに、一方的に遼太郎を責める彩恵の思考を、遼太郎は懸命に理解しようとする…。
きっと、彩恵は想定外のことに戸惑っているのだろう――。遼太郎は、そう思うことにした。
しかし、遼太郎がなだめる言葉をかける前に、彩恵から畳みかけるように、遼太郎への不満が飛び出してくる。
「……その、ラグビーのコーチ、断れないの?狩野くんが自分でプレーするわけじゃないんだから、どうでもいいじゃない。」
今度は遼太郎の方が、信じられないものを見るように彩恵を見つめた。こんなことを言いだすなんて、遼太郎の感覚では本当に考えられない。
――それはいくらなんでもワガママだ…。
そう思いながら、モヤモヤと立ち込めてくる感情をグッと心の奥底に押し込める。
深く一つ呼吸をしてから、遼太郎は口を開いた。
「話を受けたからには、責任もあるし、断るつもりはないよ。」
できるだけ冷静に意志を言葉にしたつもりだが、この言葉に彩恵の感情はもっと高ぶって、遼太郎をさらに責めた。
「狩野くんは私のことなんて、どうでもいいの?私のことを彼女だと思って一番に考えてくれてたら、真っ先に私に話をしてくれるんじゃないの?」
彩恵にそう言われて、遼太郎は思わず息を呑んだ。気取られないように努めている自分の心の中を、言い当てられたような気がした。
彩恵は遼太郎にとって、『一番』ではない。
ラグビーのコーチのことだって、真っ先に話をしたいと思い浮かべたのは、みのりだった。
一旦、みのりのことが心に過ると、しばらくは他のことが考えられなくなる。
あの夜だって、アパートに帰って彩恵にメールをしようと思っていた。ラグビーのコーチのことは絶好の話題だったのに、結局遼太郎は彩恵にメールをしなかった。
彩恵の〝彼氏〟であるにもかかわらず、自分の不実さに気が付いて、遼太郎の心は痛んだ。
「……すぐに連絡しなかったのは、悪かったと思ってる。ごめん。」
「……狩野くんが来てくれると思って、いろいろ準備してたのに……。」
それを聞くと、遼太郎はますますいたたまれなくなる。
「また、必ず時間を作るし。それに、茂森さんの行きたいところには、どこにだって付き合うから。」
自分からデートに誘うような言い方だったが、今は、彩恵の気持ちをなだめるためには、こう言うしかない。
すると、張りつめて泣き出しそうだった彩恵の表情も、少し緩む。気を取り直して長い髪を耳にかけ、ほのかに遼太郎に笑いかけた。
こんな彩恵の笑顔を見ると、確かに可愛いんだろう…と、遼太郎だって思う。でもそこから、〝愛しい〟と思える感情が育っていかない……。
遼太郎は、自分の中の複雑な心情を押し殺して、彩恵に微笑み返した。
「狩野くーん!次、体育でしょ?そろそろ行こうよ。」
その時、樫原から声がかけられて、遼太郎は見えない鎖から解き放たれた。ホッと息を抜いて、席を立つ。
「それじゃ、茂森さんも、次は体育だから行かなきゃ。」
「うん。」
彩恵も頷いて立ち上がった。
次の体育は一般教養なので、同じクラスの遼太郎と彩恵は同じ体育だけれども、男女別々に違う種目を受講する。
遼太郎は、これからするサッカーのウォーミングアップとばかりに軽快に走って、樫原と佐山に合流した。




