小さなラガーマン 1
――…助けて…!遼ちゃん……!!
耳の奥にその響きを聞いたような気がして、遼太郎は弾かれたように立ち上った。キョロキョロと辺りを見回しながら、店の外にまで飛び出していく。
遼太郎のその不自然な動きに、一緒にいた樫原や佐山は目を丸くした。同じくコーヒーショップのテーブルに同席していた彩恵も、驚いて遼太郎を目で追った。
遼太郎は表に出て、往来を行き交う人の波に目を走らせたが、そこに見知った人の顔はなく、一抹の不安を残して息を吐いた。
――…あんなふうに俺を呼ぶのは、先生だけだ…。こんなところに、先生がいるはずないじゃないか……。
そうやって自分に言い聞かせてみたが、『助けて』という響きに胸が騒ぐ。もしかすると、今どこかでみのりが窮地に立っていて、助けを求めているのかもしれない…。
そう思うと、焦燥感で居ても立ってもいられなくなる。
……でも、今の自分には、それを確かめることさえできない。
切なさが喉元にせり上がってきて、遼太郎はそれを抑え込むように拳を握り、歯を食いしばった。
そんなふうに苦悩を漂わせる遼太郎の表情を、店の外まで追いかけて出てきた彩恵が、心配そうに見守る。
自分といる時も、遼太郎が幾度となくこんな表情を見せることに、彩恵は気づいていた。
「狩野くん?どうしたの?」
思い切って、彩恵は遼太郎に声をかける。我に返った遼太郎は、彩恵に向かって笑顔を作り、首を横に振った。
「いや、ちょっと。知り合いに呼ばれたような気がして。」
「知り合いって?誰?」
彩恵が遼太郎の側までやって来て、シャツの腕のところを引っぱった。
「うん。高校の時の知り合いだから、茂森さんは知らない人だよ。」
「その人って、男の人?女の人?」
突っ込んだ質問をされて、詮索され始めたので、遼太郎は眉を寄せて困り顔をした。
もちろん本当のことどころか、女の人だというだけで、彩恵を刺激してしまうことは分かっている。
彩恵は、とても遼太郎のことを好きでいてくれているらしく、何気ない遼太郎の視線の先にもヤキモチを焼いた。
「おい、遼太郎!上着。」
佐山から突然声をかけられて、放り投げられて宙を舞っていたモッズコートを受け取る。
他の皆も店から出てきて、彩恵と二人きりではなくなったことに、遼太郎はホッと胸をなで下ろした。
「今日はもうお開きだぜ。猛雄はバイトがあるし、俺も練習があるし。」
この日は、午後からの講義が急きょ休講になった。それで、クラスの仲のいい者同士ボーリングに行こうという話になり、そのボーリングの後、コーヒーショップで一息ついていたところだった。
佐山の言葉に、遼太郎よりもその場にいた他の女の子の方が反応する。
「えっ?!樫原くん、何のバイトしてるの?」
「えへへ…あのね。家庭教師?中学生の男の子なんだけど、すっごくカワイイんだぁ~。」
その樫原の受け答えを聞いて、遼太郎は久々に虫唾が走るのを覚えた。
すると、佐山も同じように感じたらしく、佐山は樫原の背後からその首に腕を回して、締めるふりをする。
「猛雄!お前、そんなこと言うから、ホモだって思われんだよ!!気持ちわりーから、やめろって言ってんだろ!!」
「いやーん。やめて~、晋ちゃん~。」
と、いつもと同じようにじゃれ合う佐山と樫原を見て、一同に笑いが起こった。
それから三々五々、皆は各々のこれからの目的の場所へと散っていくと、彩恵は様子を窺うように、遼太郎を見上げる。
「駅まで送っていくよ。」
遼太郎も、〝彼氏〟としての役割をちゃんと心得ていた。二人は並んで、最寄りの駅までの道を歩きはじめる。
――お似合いの二人……。
クラスの仲間内で、最初にカップルとなった遼太郎と彩恵は、皆からそう言われていた。
ただ素直に遼太郎を想い、それを隠さない彩恵と、優しい態度で彼女に寄り添う遼太郎。見た目も釣り合いが取れている二人は、誰の目にも理想のカップルのように映った。
けれども、二人きりになった途端、独特の緊張感が辺りを漂い始める。
それは、付き合い始めた頃の新鮮な緊張感が尾を引いているようなものだったが、もう3か月が経とうというのに、今一つ打ち解けられない不自然さが加味されて…、何とも言い難い、極めて微妙なものだった。