恋の正しさ 8
途方もない緊張感から解放されて、みのりの体に震えが駆け抜けた。わなわなとその場に座り込み、大きな息を吐く。
そのまま深呼吸して何とか気持ちを落ち着けようとするけれども、それは次第に嗚咽に変わり、みのりは声を殺して泣いた。
石原を傷つけてしまった罪悪感が、みのりを覆い尽くす。どう言って詫びて、どうやって償えばいいのか分からない…。
あの時は、ああやって別れることが最良だと思っていたのに、何が正しいことなのか判らなくなってしまった。
――初めから、恋に正しいことなんてないのかもしれない……。
いくら純粋に想い合っていても、他の誰かを傷つけてしまうのならば、〝正しい〟なんて言えないのかもしれない。
恋する相手の気持ちの全てを理解しているわけではないから、自分にとっては正しくても、相手にとってはそうではないこともある。
それぞれ正しいと思うことの方向が違えば、その〝正しさ〟は真理ではない。
さっき、みのりが心の中で必死に呼んだ遼太郎……。
遼太郎にとっても、みのりが正しいと思って決めた別れは、理不尽なことだったかもしれない。
今となっては、遼太郎の心を聞き出す術もないけれど、まだ恋をするのに未熟で純粋な遼太郎をどれだけ傷つけたか……。
それを思うと、みのりはいたたまれなくなって、ますます涙が溢れてくる。
静けさの中に、放課後の学校の息吹が響いてくる。
小会議室の前を小走りで通り抜けていく生徒たちの足音。
遠くから聞こえてくる部活に勤しむ生徒たちの声。
事務室から鳴り響いてくる電話の音。
ここで、ぐずぐずしてはいられない。職員室には、仕事が山ほど残っている。
ようやく気持ちを落ち着けたみのりが立ち上がった時、再び石原が小会議室へと入ってきた。
ドキッと心臓が跳ね上がり、みのりは胸元のブラウスを掴んで息を呑む。
しかし、石原はそんなみのりの方へは視線を向けず、ただ長机の上に小会議室の鍵を置くと、踵を返した。
「石原先生…!」
ドアを開けて出て行こうとする石原に、みのりは思わず声をかけた。ドアノブを回しかけた石原の動きが、ピクリと止まる。
「……ごめんなさい……。」
石原の想いに応えられなかったこと。ちゃんと話をせずに、逃げていたこと。
そのみのりの『ごめんなさい』には、いろんな意味が込められていた。
石原はその言葉をじっと聞いて、そして足元に落ちていたみのりのブラウスのボタンを拾い上げる。
「…俺の方こそ、すまなかった……。」
石原はみのりに向き直って、手にあるボタンを差し出した。みのりは手のひらを広げて、それを受け取る。
そのボタンをじっと見つめて、みのりがまだそこから目を離さない内に……、石原はそこからそっと立ち去った。




