恋の正しさ 7
「……石原先生。そんなふうに想ってもらっても…、 もう、私はあの頃とは違います。」
「君は何も違っていない。あの頃と同じように、綺麗だ…。」
真意が伝わっていないと、みのりは石原のネクタイに額を付け、抱きしめられたまま頭を抱えた。はっきり言わねばならないと、勇気を振り絞る。
「他に好きな人がいます。この命よりも、大事な人がいるんです。」
石原の体が、ピクリと強張るのを感じた。そして、その腕は脱力するどころではなく、ますます強固な鎖となってみのりを締め上げた。
「そいつと……結婚するのか?」
石原の中に違う感情が漂ってきている。震えている声色に、それが現れていた。
「結婚は、……できません。付き合ってもいませんから。でも、私はその人を想いながら、独りで生きていくって決めてるんです。」
みのりの言葉を聞きながら、石原はさらなる力を込めて、みのりを離そうとはしなかった。みのりの耳には、自分の大きな胸の鼓動と石原の荒い息遣いだけが聞こえてくる。
もうキッパリと拒絶して、意思表示はした。これ以上、石原の腕の中にいる必要はない。一刻も早くここから抜け出して、この部屋を出て行かねばならない。
みのりが石原の腕から逃れようと体をよじらせた瞬間、
「だったら、そいつを忘れさせてやる…!」
みのりの体は石原によって、長机の上に押し倒されていた。
みのりが驚いて目を見開いた時には、無防備だった唇は塞がれて、みのりの意志に反してキスは深められる。
「やめてください!」
顔を背けキスを拒み、体を起こそうとすると、石原の両手がみのりの肩を押さえつけた。そして、みのりのブラウスのボタンを引きちぎりながら、胸元を開く。
初めて見るそんな暴力的な石原に、みのりは恐れおののき、体がすくみ、動けなくなった。
「いや…!やめて…。」
首筋から胸元に石原の髭が滑り落ちるのを感じながら、みのりは涙声で懇願した。
必死で石原の肩を押して抵抗するも、力でかなうはずもなく、石原は懇願を聞き入れてくれない。
――助けて、助けて!……遼ちゃん!!
白昼の学校でこんなことをしているところを、誰にも見られるわけにはいかない。大声で助けを求めることもできずに、みのりは涙を流し、歯を食いしばりながら、ただ心の中で遼太郎を呼んだ。
でももし、こんな状況を遼太郎が目にしたなら、彼はどう思うだろう。
遼太郎は、石原のことを尊敬してやまなかった。
もちろんみのりだって、聡明で優しい石原のことを、尊敬して憧れて…、何にも増して好きだった……。
――こんなことをする人じゃなかったのに…!
そう思った瞬間、みのりは弾かれたように真実に気が付いた。
石原をこうしてしまったのは、誰でもない自分だということを。
あの時、石原と向き合うのが怖くて、こんな修羅場になるのが怖くて逃げてしまった。
あんな卑怯な別れ方をしなければ、石原だってこんなふうに引きずることもなく、こんな行為に及ぶこともなかったはずだ。
必死で抵抗していたみのりの腕の力が抜ける。
もちろん心の中で愛しく想うのは、遼太郎だけだ。遼太郎以外には、触れられたくない。
けれども、他にどんなふうにしたら石原の心を癒せるのだろう…。
みのりは硬くしていた体の力を抜いて、石原の行為を受け入れる。すると、石原はそれに気が付いて、みのりの胸元から頭をもたげ、みのりの涙で濡れた顔を見下ろした。
「…みのりちゃん…?」
自分の想いが受け入れられたのかと、石原の強張った表情が緩む。
でも、石原に向けられたみのりの眼差しは、恋い慕うものではなく、憐れみを漂わせていた。
「私は石原先生を、こんなにも傷つけてしまって…。こうすることで、石原先生に償えるのなら……気の済むようにしてください。でも、奥さんと娘さんは傷つけないで。私の罪をこれ以上、重くしないで……。」
これを聞いた石原は、眉間に皺をよせ、ギュッと目をつぶった。
顎を震わせ唇を引き結ぶと、何かを振り払うかのように、みのりを組み敷いた体勢から立ち上がった。
体が自由になったみのりも、胸元を押さえながら体を起こし、長机の上から足を床に着けた。
石原は悲痛な面持ちのまま、そんなみのりの姿をしばらく見つめる。
そして、くるりと背を向けると、そのまま小会議室から出ていってしまった。




