恋の正しさ 5
みのりが3年生の授業に没頭している間に、野上の研究授業は終わっていたらしく、6限が始まる前にぞろぞろと大勢の教員たちが、反省会の会場である会議室に移動しているのに出くわした。
これから野上は、まな板の上の鯛になって、偉い先生方からの講評を受け、研究授業の総括をされる。
――頑張れ、野上先生。どんなこと言われても、あと1時間ですべてが終わるから。
未だに緊張感たっぷりの野上の顔を遠くから見遣って、みのりは心の中でエールを送った。
反省会が終われば、他校の教員たちはすぐに帰ってしまい、学校にはいつもと変わらない日常が戻ってくる。
アメリカンフーの紅い梢が伸びる青い空を仰いで、みのりの心がキュンと痛くなる。
こんなふうに抜けるように青い空を、何度遼太郎と眺めたことだろう……。喉元にせりあがってくる切なさを、みのりは大きく息を吐いて、なんとか落ち着かせた。
生徒の前で泣いてしまう不覚は、繰り返したくない。絶え間なく落ちてくる木の葉を、懸命に掃いて集めている生徒たちを見守りながら、みのりは唇を噛んだ。
「ああー、今掃いたところに、もう葉っぱが落ちてるー!」
一人の女子生徒が、そう言って口を尖らせた。
「うん、しょうがない。清掃時間に全部きれいにするのは無理だから、出来る範囲のことをやればいいのよ。そのうち葉っぱが全部落ちれば、掃除も楽になるし。」
落ち葉を集めて、大きなビニール袋に入れるのを手伝いながら、みのりが振り返る。
「えっ!先生けっこういい加減なのね…。」
「そうそう、いい加減なの。何でもきっちりしてると疲れちゃうから。」
「わー、意外―。先生って、何でもきっちりしてるのかと思ってたー。」
と、葉っぱを塵取りで取ってビニール袋に入れていた、もう一人の女子生徒も会話に入ってくる。
かったるい掃除も、こんなおしゃべりをしながらだと楽しい。
今降り注いでいる小春日のように、みのりの心の中にも小さな陽だまりが出来る。なんだか久しぶりに穏やかな気持ちになって、放課後の個別指導も頑張れそうな気がした。
清掃指導から戻ってくると、みのりの机の上に、メモが残されていた。
『職員会議用の資料を作るので、終礼後に小会議室へ集合してください。』
メモを呼んで、みのりの顔が渋くなる。
もちろん放課後には、個別指導を入れている。一人か二人はキャンセルしなければならなくなるだろうか…。せっかくのやる気を削がれて、みのりは溜息を吐いた。
終礼が終わったころ、みのりは早速小会議室へと赴いた。教務の仕事を早く終わらせて、一人でも個別指導をこなしておきたい。
勢いよく小会議室のドアを開けて、みのりは軽快に室内に駆け込む。
……けれども、そこには誰もいなかった。
窓もカーテンが引かれたままで、その隙間から明るい日射しが射し込んで、空中の埃がキラキラと輝いている。
――…もう、作業は終わったのかな……?
室内に立ち尽くして、みのりがそう思った時、背後のドアがバタンと音を立てて閉まり、ガチャリと鍵をかけられた。
――……え……?!
みのりが目を丸くして振り返る。
そして、そこにいた人物の口髭が、見開いた目に映った瞬間、みのりの全てが凍りついた。
驚きも何も、しばらくは声にもならず、ただお互いの視線が絡み合った。
「……石原先生……。」
ようやくつぶやくように、みのりが声をかけても、そこにいた人物、石原は何も言わずにじっとみのりを見つめている。
見つめられているだけで、みのりは見えない縄で縛りあげられているように感じた。
いたたまれなくなって、言葉を続けるしかない。
「…今日の研究授業にいらっしゃってたんですか?」
石原にとってもこの芳野高校は、かつて知ったる前任校で、小会議室の鍵のありかも知っているはずだ。
しかし、石原はその問いには答えず、微笑みも見せず、ただみのりを見つめ続ける。何か次の言葉を探そうにも、みのりはその眼差しに怯んでしまい、動かしかけた唇を引き結んだ。




