高校入試と免許証 7
夕暮れ時に帰宅した遼太郎は、夕飯の準備をしていた母親に、早速免許証を披露した。
母親はエプロンで手を拭いて、何も言わずに免許証を手に取って見ると、微笑んでから遼太郎に返してくれた。
その場で自分の財布の中に免許証を仕舞っている遼太郎に向かって、
「いい男に撮れてるじゃないの。」
母親は鍋のふたを取りながら、口を開いた。
そう言われて、遼太郎はもう一度免許証を取り出して、そこの写真を見てみた。こうやって自分の顔を客観的に見てみると、いい男かどうかというよりも、本当に母親似だということに気が付く。
「母さん似だからだよ。」
今まで「母親似」ということを指摘されるたびに、嫌がるような素振りを見せていた遼太郎がそう言ったので、母親はびっくりして菜箸を持ったまま振り返った。
「お陰様で、無事に免許もとれたし、母さん、本当にありがとう。」
きちんと頭を下げる遼太郎に、母親はさらに驚いて、呆気にとられて口をぽかんと開けた。
これまで、親のしてくれることは当然とばかりの態度しかとってこなかった遼太郎だったから、それも無理はない。
けれども母親は、遼太郎の感謝の言葉をしっかりと噛みしめて、一息ついて言葉を返した。
「これからは、学費と生活費だけは出してあげるけど、あとのことは全部自分で何とかするのよ。それから、お父さんにもちゃんとお礼を言ってね。」
「分かった」というふうに、遼太郎は頷いてから、
「これからも、お世話になります。」
と、再び深々と頭を下げた。
思いもよらなかった遼太郎の言動だったが、母親はそこに遼太郎の成長を見て取っていた。こうやって少しずつ知らないうちに大人になっていくことを、母親は嬉しいような寂しいような気持ちで受け止めた。
頭を上げた遼太郎の目に、ダイニングのテーブルの上に置かれていた紙切れの鮮やかな色が飛び込んできた。
何だろう?と思って、二枚あるそれを手に取って見てみる。するとそれは、芳野から一番近くにある遊園地のフリーパスだった。
「…母さん!これ、どうしたの?」
チケットを手に取ったまま、母親に向けられる遼太郎の目は真剣そのものだった。
「ああ、それ?お母さんのお友達がくれたのよ。何でもその人もどこからか頂いたんだって。俊ちゃんが春休みに行くかしらって、思ってるんだけど。」
「俊ちゃん」というのは、俊次といい、この4月から中学3年生になる遼太郎の弟だ。
「俊次じゃなくて、俺が行きたい。これ、俺に頂戴!!」
渡りに船とはこのことだ。今日こそ遊園地へ行く話をしたばかりで、何という偶然だろう。
遼太郎は興奮して、思わず胸が高鳴った。
チケットを見つけるや否や態度が一変した遼太郎に、母親は少し気圧されて目を瞬かせた。
「いいけど…。二枚とも?俊ちゃんと二人で行ったら?」
「なんで…!」
と言いかけて、遼太郎は絶句した。
この歳になって、弟と二人で遊園地…なんて冗談じゃない。
「…わかった。二枚ともあげるわよ。彼女とでも行きたいの?」
詮索するような目つきで覗き込まれて、思わず遼太郎は赤面した。
この反応は、無言の肯定だった。そのことにも意外だった母親は、目を丸くして遼太郎を見つめた。
「…と、とにかく、もらっとく。ありがとう。」
遼太郎は母親の問いには答えず、素早くチケットを財布の中へと滑り込ませた。
母親から「彼女とでも」と言われて、遼太郎は自分にとってみのりの存在の意味を、改めて意識した。
――先生のことは、〝彼女〟って、言うんだろうか…。
自分はこの上なくみのりのことが好きで、何にも増して深く想っている。自分のこの想いと同じくらいかどうかは判らないけれど、みのりも自分のことが「好きだ」と言ってくれた。お互いの気持ちが通じ合っている場合、普通は恋人同士となり、彼氏と彼女の関係になるはずだ。
現に、もうすでに自分はみのりとデートに行き、そこでキスも交わした。自分のことを「遼ちゃん」と呼ぶ、みのりの深い声色…。その甘いひと時を思い出して、遼太郎は確信する。
――先生は、俺の〝彼女〟なんだ…。
西日の射し込む自分の部屋に戻って、遼太郎は自分にとって生まれて初めての存在を噛みしめた。
山の向こうに沈んでいく夕日を、窓辺にもたれて眺めながら、遼太郎はポケットからスマホを取り出して“彼女”へとメールを打った。
次の休みに、自分が運転する車で、一緒に遊園地へ行こうと――。