会いたい気持ち、辛い決意 4
夕方からの練習が終わって、遼太郎が職員室を見上げると、もう明かりが消えて、学校はひっそりと静まり返っていた。
「お疲れ様でした。狩野先輩。」
「ありがとうございましたー。」
後輩たちが口々にそう言って帰っていく中、遼太郎も自転車にまたがり、帰途に就くことした。
ラグビーをしている無心状態ではなくなった途端、遼太郎の中には色んな思いが浮かんでは消えていく。
その中で、今日の遼太郎の心を占拠してしまったのは、やはりみのりの存在だった。
今日、目にしたみのりの机の映像が、遼太郎の思考に再現される。
見覚えのある教科書に日本史辞典。飲み残しのお茶に、走り書きでも端正で癖のない文字。
それらの一つ一つすべてに、みのりの息吹が感じられて……。
――先生に会いたい……!!
遼太郎は、もう我慢が出来なくなった。
一目でもいいから、どうしてもみのりに会いたくて、たまらなくなった。
キュッと両手を握り自転車のブレーキをかけて、ハンドルを切り返す。みのりのアパートの方へと自転車の向きを変えると、一気にペダルを踏み始めた。
みのりのアパートまで来て、遼太郎はみのりの部屋に灯りがともっていないことに気が付いた。アパートの駐車場まで行ってみても、やはりみのりの車はない。
息を荒げたまま、少し考える。
このままここで、みのりの帰宅を待っていることも過ったが、居ても立ってもいられない遼太郎は再びペダルを踏み込み、行先を変えた。
みのりが行きそうな所…。
本屋にCDショップに、レンタルショップ。スーパーマーケットに、ところどころにあるコンビニまでしらみつぶしに、片っ端から思いつくところに立ち寄ってみた。
流れ落ちる汗も拭わず、空腹も感じず、部活の後の疲れや自分の呼吸の苦しささえも忘れて、まるで何かに取りつかれたように、みのりを探して芳野の街をさまよった。
帰りが遅いのを心配して、家からスマホへと連絡が入る。
我に返って時刻を確かめると、もう10時を回っていた。
――…もしかして、もう家に帰っているかもしれない…。
遼太郎はそう思って、決して近くはないみのりのアパートまでの道のりを、もう一度自転車で辿った。
アパート近くの、みのりと最後の別れをした橋まで来て、まだみのりの部屋に灯りが灯っていないことを確認する。そこで、遼太郎は足を止め、遠くからアパートの窓を眺めた。
ほんの数か月前に、あの場所で二人で過ごした時間を思い出し、意識は甘い記憶の中をしばし漂う。
……そしてその後、ここで、別れを告げられた…。
その時のことを思い出して、遼太郎は現実に引き戻される。
この時間になっても、みのりが帰宅していないのは、自分がここに来ることをみのりが予測し、会うことを拒まれているからだと覚る。
――……でも、あの別れの時、先生は俺のことを好きでいてくれたはずだ…。
遊園地で雨宿りをした時のみのりを思い出して、その想いの深さは確かだと思う。
……それなのに、みのりはあの別れを切り出した。
その時のみのりの心は、どんなにか辛かっただろう。
敢えてその辛さの方を選んだのは、ひとえに遼太郎が人間として成長することを願ったからだ。
みのりの中で、自分のことよりも遼太郎の方が大切な存在だったからだ。
――今、先生に再会してどうする……?
自分はあの時のまま、何も成長もしていなければ、何も変わってもいない。
自分はあの別れにしがみついて堅い殻に閉じこもり、あの時みのりに言われたことの一つも実行していない。
――今の俺が目の前に現れて、先生はどんな顔をするだろう……?
喜ぶどころか、がっかりされて拒絶されるだろう。
みのりに見合う人間に成長して、それが誇れるようにならなければ、みのりに再会しても抱きしめることはできない。
それに気が付いた遼太郎は、キュッと唇を引き結んで、アパートに背を向けて自転車を漕ぎ始めた。
みのりを想う時、これまで幾度となく『早く大人になりたい』と思っていた。
では、どうすれば大人になれる?
それは、ただ単に歳を重ねて、大学を出て普通に就職すればいいことだろうか。……いや、そうじゃない。
みのりの隣に立っても、引け目を感じることのない、自己が確立された人間とならなければならない。
遼太郎はやっと目が覚めた。
歯を食いしばり、体を震わせながら、みのりを愛しく想う自分を抑え込んで、心に誓った。
自分自身が納得できる〝大人〟にならなければ、みのりには会いに来ないと――。




