会いたい気持ち、辛い決意 2
「遼ちゃん。夕方からの全体練習の前に、みのりちゃんに会いに行ってみようぜ。」
遼太郎に遅れること1週間、もうすぐお盆になろうという頃、ようやく練習に顔を見せた二俣が、そう遼太郎に提案した。
みのりの名前が出てきた瞬間、遼太郎の体がピクッと硬直する。こわばらせた表情で、ゴクリと唾を呑み込んで、
「…いや、俺は会わなくてもいいよ…。」
と、ポツリとつぶやいた。
意外なこの一言に、二俣は大きな目をいっそう見開いて口を尖らせた。
「そりゃ、遼ちゃんは、帰省してから何度もみのりちゃんに会ってるだろうから?わざわざ会わなくてもいいかもしれないけど、俺だってみのりちゃんに会いてーよ。」
「会いたかったら、ふっくんが一人で会いに行けばいい。……それに、帰ってきてから、一度も先生には会ってないよ。」
「何で、会いに行かないんだよ?」
二俣の疑問も当然だ。
あんなことがなかったなら、遼太郎だって、帰省して真っ先にみのりに会いに行っている。
「……きっと、先生は座る暇もないほど忙しくしている。仕事の邪魔をしたくないんだ。」
会いに行かない本当の理由を打ち明けることが出来ず、遼太郎は取って付けたような言い訳をした。
「仕事の邪魔って言ったって、夏休みだし、補習も今はやってないはずだろ?少し会うくらいの時間はあると思うぜ?……ま、みのりちゃんだけじゃない、他の先生にも会いに行ってみようぜ!」
そこまで促されて頑強に拒むと、勘のいい二俣は、本当のことに気が付くかもしれない。
遼太郎はしぶしぶ、二俣の後について職員室への歩を進めた。
窓辺のコピー機で、模試の過去問の複写作業をしていたみのりは、抜けるように青い夏の空に立ち上がる入道雲を見上げた。一つ息を吐き、それから暑い太陽が照りつける前庭へと視線を移す。
こちらへ向かって歩いている人影に目を止めた瞬間、みのりの心臓が一気に跳ね上がった。
仁王立ちする熊のような、見覚えのあるシルエット。ラグビージャージを着ていることからも、二俣に違いない。
そして、その隣にいる人物……!!
それが誰か、直視して確認する前に、みのりはとっさに目を逸らした。
激しい鼓動がみのりに襲い掛かる。動転するあまり、自分が何をしていいのか一瞬分からなくなった。
しかし、こうしている間にも、〝遼太郎〟はここにやって来てしまうだろう。
みのりは自分の机に取って返すと、わなわなと震える手で辛うじてメモを書く。ボールペンを放り投げ、バッグを抱えると、小走りで職員室を飛び出した。
今、遼太郎に会うわけにはいかない。
それは、自分の道を歩み始めた遼太郎の心を、揺らしてしまうからではなく、みのり自身の理性が揺らいでしまうからだ。
会えば自分を抑えきれず、きっとあの時の別れを選んだ決心など吹き飛んでしまう。
今の遼太郎の状況や気持ちなどは関係なく、その胸に飛び込んで泣きじゃくり、あの時のキスの続きを求めてしまうだろう。……そんな、自分のことしか考えていない、ただの愚かな女にはなりたくなかった。
みのりは熱気が充満した車に乗り込むと、息が整うのも待たずにハンドルを握り、逃げるように学校を後にした。
遼太郎と二俣が、3年部にあるみのりの机を捜し当てた時には、すでにそこには誰もいなかった。
「あれ?みのりちゃんは?さっき古庄先生は『いるはずだ』って言ってたのに…。」
二俣は長身の体でさらに背伸びをして、職員室中を眺め回した。
「仲松先生なら、つい今バッグを抱えて出ていったよ。帰宅したんじゃないか?」
そう言って教えてくれたのは、昨年遼太郎に地学を教えてくれていた理科の教師だ。
みのりの机の上には、走り書きしたメモが残されていた。
『久保田くんへ 今日の4時からの個別指導ですが、急用ができたので明日の4時に延期にしてください。わざわざ来てくれたのに、ごめんなさいね。 仲松』
その筆跡を見た遼太郎の鳩尾に、キュウンと切ない痛みが走る。
まぎれもなく、みのりがここにいた証拠だ。
かつては、自分がこんなふうに、みのりからの小さな手紙を受け取っていた。
「うーん…。連絡して来ればよかったな…。それにしても、みのりちゃん。帰るにしても、ちったぁ片付けて帰ればいいのにな。お茶なんか、飲みかけだぜ?」
遼太郎も、見覚えのある野イチゴ模様のマグカップに目を落とした。そして、半分ほど残されているお茶に映る自分の顔を見て、ハッとあることに勘付いた。
「……ふっくん。俺が一緒にいたら、仲松先生には会えないと思う。どうしても先生に会いたいんなら、一人で来なきゃ。」
遼太郎はそう言うや否や、踵を返して職員室を後にした。




