会いたい気持ち、辛い決意 1
見上げた校舎は、陽射しのあまりの強さと熱気に揺らいで見えた。
8月の今の時期は、夏休みの補習もなく、生徒の姿も部活生以外はほとんど見かけない。騒がしい生徒たちの代わりに、けたたましい蝉の声が辺りを取り巻いていた。
毎日通っていた学校なのに、知らない人の家に足を踏み入れるような感覚だ。
遼太郎は校舎に向かうことなく、校門の前の道を渡った第2グラウンドから、職員室の窓を見つめた。
――…あそこに、先生がいるかもしれない……。
そう思うだけで、体が震えてくる。
毎日想わない日はないほど、遼太郎の一部になっている人。思い描くその姿は、いつも微笑んで遼太郎を見守ってくれている。芯は強いけれども、とても可憐で、思いがけないところでドンくさい、愛しくてたまらない人だ。
心はいつも「先生に会いたい!」と叫び続けている。なのに、遼太郎はもう何日も、部活の手伝いで学校へ来ていても、みのりに会いに行かなかった。
会いに行っても、きっとみのりを困らせる。いつも懸命に働いているみのりの邪魔をしたくない。
……それよりも、あの春の日の別れを思い出すたび、恐怖で体がすくんでしまう。やっとの思いで立ち直った自分の心の均衡が、またみのりに突き放されて再び崩れてしまうのが怖かった。
第2グラウンドに向かうと、気持ちが幾分落ち着くのが分かる。
ここでこうやってラグビーボールに触れていると、遼太郎は自分の中心に潜在している硬くて冷たいものさえ、いつの間にか意識しないですんでいた。
一方、夏休みに入ったというのに少しも息つく暇のなかったのは、みのりだった。
〝恋の痛手を癒すのは、新しい恋ではなくて忙しい仕事〟
と言ったのは誰か知らないが、みのりに関してそれは的を射ていた。
今年は初任者研修もなく、クラス担任に就いていないとはいえ、すでに個別指導をする生徒を何人も抱えていて、補習がない夏休みでも、ほぼ一日ひっきりなしに生徒がみのりのもとへと訪れた。
学校にいるときは次々に仕事が押し寄せてきて、余計なことを考えずに済む。自宅のアパートに帰っても疲れ切っていて、何も考える余裕もないまま眠りに落ちてしまう。
いつも「はぁ…」と、ため息をついてしまうような疲労感に支配されているけれども、決して嫌な疲れではない。自分を必要としてくれて、それに応えている心地よい充実感の中に身を置いて、みのりはそれに没頭していた。
蓮見とお見合いをしてから、1か月に1度の頻度で、携帯電話に蓮見からの着信が示されていた。
こんな些細なことにもみのりの心は過敏に反応し、動揺する。折り返しの電話など出来るはずもなく、平常心でいられる自分を取り戻すのに、かなりの時間を要してしまう。
ましてや、遼太郎を意識してしまったら…。
それを自覚しているみのりは、無意識に遼太郎を記憶の底に押し込めた。まるで、その部分の自分の人生さえも、ないものにしてしまうかのように。遼太郎と彼に関わる全てのことに、目を閉ざして見ないようにしていた。
そんなふうに、精神の均衡を保っていたみのりにとって、なおさら夏休みは心休まる期間ではない。
休みになり帰省している卒業生たちが、たまに学校へと姿を見せる。その度に、みのりの心臓は跳ね上がり、遼太郎ではないことを確認して、胸をホッと落ち着ける。
あんなに傷つけておいて、わざわざ遼太郎が自分に会いに来るはずがない……。
大学でたくさんの友達が出来て、彼女なんかも出来て、もう自分のことなどどうでもいい存在になっている……。
それが普通の人間の感覚だ……。
みのりはそう自分に言い聞かせて、遼太郎のことを〝過去の思い出〟にしようと必死だった。




