新生活 6
「次の講義は英語で選択科目じゃないから、最初から一緒のはずだよね。」
そう言って笑いかけられても、遼太郎は笑顔を作るどころか、助言をしてくれたお礼さえも言えなかった。
それほど、樫原の最初の一言が効いていた。
人の好みは、その人それぞれだ。世の中にはいろんな恋愛のかたちがあって、同性の方が好きという人がいるということも知っているし、そんな人の存在を遼太郎だって否定しない。
けれども、自分がその相手になるのは、話が別だ。
遼太郎は、あれほど密接に生活を共にしていた二俣の、筋骨隆々な体躯を見て、一度だってゾクゾクしたことはない。
「おー!猛雄ー。猛々しいオスの猛雄くーん。」
遼太郎と樫原が、英語の講義に行くべく並んで歩いていると、後方から声をかけられ、猛雄がビクッと身を固めて振り向いた。
遼太郎はそのまま先に行ってしまうことが頭を過ったが、そうする勇気も出なかった。樫原と同じように声の主を見遣ると、中肉中背の眼鏡をかけた男が大股で追いかけてきている。
「もう!晋ちゃん!その呼び方やめてって言ってるでしょ。」
樫原はそう言って怒っている風なのに全く迫力はなく、怒られているその男も悪びれる様子はない。
「今日は見かけないと思ったら、こんなところにいたのか?」
と言いながら、その男は、いち早く遼太郎の存在に気づいて、目を丸くした。
「お!こちらさんは?」
「こちらは、同じ環境学部の狩野くん。さっき友達になったんだー。ね?」
『ね?』と確認されても、遼太郎には友達になった覚えなどないのだが、樫原の感覚では、あれで友達になったことになるのだろう。
しょうがなく、遼太郎はその男に目を向けて、軽く会釈をした。
「俺は、佐山晋也。俺も環境学部なんだ。よろしく。」
と、佐山はスッと片手を出した。釣られて遼太郎も片手を出して、ごく自然な流れで握手を交わす。
しかし、手が触れ合った瞬間、遼太郎の中に佐山に対する疑惑が渦巻き始める。
「俺と猛雄は附属から上がって来てるんだ。小学校からの腐れ縁だよ。狩野くんは?」
そう言った自己紹介を兼ねた身の上話をしながら、遼太郎は佐山を観察する。
樫原と違って、佐山はノーマルみたいだ。けれども、樫原の友達だから、そっちの系統の男かもしれない……。
そう言った男たちとつるむと、自分もそっちの世界に引き入れられてしまうかもしれない……。
そこまで考えが及ぶと、遼太郎の背中に嫌な汗が流れ始めた。その様子を、佐山は敏感に察知する。
「おい!狩野くん。もしかして、俺のことをゲイだと思ってんじゃないか?」
頭の中を言い当てられた指摘に、遼太郎はギクリとして目を見張った。
「えー、狩野くん、そう思ってるの?晋ちゃんはゲイじゃないよ。こう見えてけっこうプレーボーイなんだから。」
樫原が驚いたように、横から口を挟む。
「猛雄!お前のせいで、狩野くんはそう思ってるに違いないんだぞ!お前、猛々しいオスって名前のくせに、いい加減その女みたいな話し方やめろよ!」
佐山はそう言いながら樫原の両頬を、両手でつねった。
「いやーん!晋ちゃん。やめて!」
「そのしゃべり方が、女みたいだっつってんだよ!!」
樫原が女みたいなのは、話し方だけではなく、仕草の一つ一つからにじみ出るもの全てが女っぽい。
佐山は樫原には背を向けて、遼太郎に耳打ちした。
「言っとくけど、俺はちゃんと彼女もいるし、ゲイでも両刀でもないからな。」
「僕だって、ゲイじゃないよ。可愛い女の子、好きだし。」
遼太郎と佐山の背中に、樫原自身もゲイじゃない宣言をした。
――……ホ、ホントかよ……?
にわかに信じがたく思いながら、遼太郎は樫原へと振り向いた。樫原は相変わらずニコニコとした表情で、遼太郎と佐山に笑いかけている。
「ま、そういうことだから、心配しないで。仲良くしよう、狩野くん。」
ポンと一つ遼太郎の肩をたたいて、佐山はそう言ってニッコリと笑いかけてくれた。
その佐山の表情を見て遼太郎は、プレーボーイだということに納得した。爽やかで優しげな笑顔に、普通の女子ならばきっと魅了されてしまうだろう。
こんな佐山と一緒にいる樫原も、本当は普通の男子なのかもしれない。
どこよりも男っぽい場所、ラグビー部でもまれてきた遼太郎にとって、樫原のように物腰の柔らかい男子は縁のない存在だった。自分が今まで関わることがなかっただけで、世の中には、樫原のように女よりも女らしい男も存在していてもおかしくない。
そう思い直すと、少し打ち解けられた。
「狩野くんは、何かスポーツやってたでしょ?」
「うん、高校ではラグビーを。」
「やっぱり!!そうだと思った!」
「へえ、ラグビーかぁ。大学のラグビー部にも入るの?」
大学構内を歩きながら、二人からいろいろと質問されて、楽しく会話が弾み始めた頃、一般教養棟の15号室に着いた。
3人は講義室の後方の席に、並んで座る。
遼太郎は、気のいい友達が出来た…と、ホッと息を吐いて受講の準備を始めた。
向こう側に座る樫原が、真ん中に座る佐山へとヒソヒソと話しかけている。その会話が、遼太郎の耳にも伝わってきた。
「ね、晋ちゃん。狩野くんって、…カッコいいね…。」
「…………!」
樫原のその言葉を聞いた瞬間、遼太郎の鳩尾にヒュッと冷たいものが落ちていった。




