新生活 3
荷物の整理が一通り終わり、親子3人は近くにレストランを見つけて、そこで夕食を共にした。
街を歩いてみても、遼太郎には東京に来ているという実感がまるで湧かない。こんなふうに街の一部を切り取って見てみると、地方の街の中を歩いている感覚とあまり違わなかった。
ただ、違うのは人の多さ。どの往来も人が行き交っている。そして、東京はこの街が延々と広がっていて、そこには同じようにたくさんの人がいる…。その中には、二俣もいるだろうし、姉もいる。他にも知っている人間もいて、会おうと思えばいつでも会える。
しかし、こんなにもいろんな人間がいるのに、遼太郎はただ一人取り残されるような孤独を感じた。
確かに、みのりの言う通り、これから大学で様々な人間に出会えるだろう。けれども、こんな枯れた心では誰とも心は通わせられない。
みのりから遮断されてしまうということは、遼太郎にとって生きる力の源を断たれてしまうようなものだ。
みのりのいない場所――、みのりから隔絶された世界は、遼太郎にとって誰もいない砂漠のような場所だった。
「まぁ、遼太郎…。そんなに落ち込むな。大学行けば、すごく面白いことがたくさんあるし。今の辛さも少しは和らぐと思うし。」
そう言って姉は肩をたたいて慰めてくれ、自分のアパートへと帰って行った。
母親はその晩は遼太郎のアパートに泊まったが、別段姉が気にしていたことには触れようとせず、淡々と接してくれた。
次の日、母親は遼太郎と一緒に日用品の量販店に行き、調理道具や掃除用具などの家庭用品を一通り買い揃えてくれた。大荷物を抱えアパートまで戻り、それから二人で近所の蕎麦屋で昼食をとった。
そして、飛行機の時間が迫ってきたので、母親はそのままアパートへは戻らず帰ることになった。アパートから歩いて10分余りの駅まで、遼太郎は母親を送って行った。
ついこの前までは、どちらかというとうっとうしかった母親なのに、その母親が帰ってしまうとなると、漠然とした不安が濃くなってくる。側に誰もいなくなると、どうやって精神の均衡を図ればいいのか、不安でしょうがなかった。
「それじゃ、ね。何か困ったことがあったら、連絡するのよ。戸締りと火の元だけには気を付けてね。初めは心細いだろうけど、大丈夫。…頑張って。」
母親がそう言ってくれても、遼太郎は何も言葉は返せず、ただ頷くことしかできなかった。それでも、母親を心配させまいと、少し薄い笑顔を作った。母親も自分とよく似たその笑顔を見て微笑み、手を振って駅の改札の向こうへと消えて行った。
遼太郎は寂しさのあまり、すでに東京に来ているだろう二俣に連絡をとってみようかと思ったが、……止めた。
この空虚感を誰かの慰めで埋めてしまってはいけないと、無意識に感じていた。自分の中のことは、自分で解決しなければならない。
これは、自分が大人になるために、ここで最初に課せれた試練なのだと思った。
新学期が始まり、入学式も終わって、芳野高校にも新しい日常が始まった。
まだ中学生の様相を匂わせる初々しい1年生をよそ目に、みのりが向かうのはもっぱら3年生の教室。
今年度は3年部の副担任に納まったみのりは、3年生全ての日本史選択者を担当するという重責を担わされている。対外的な模擬試験などで、芳野高校の日本史の偏差値が低い場合、それはみのりの指導の仕方がまずいということになる。
けれども、辛うじてクラス担任の責は免れたので、教科指導に専念できる立場にあった。
かつて澄子が担任をし、遼太郎をはじめ二俣や衛藤、宇佐美や平野がいた3年1組は、今年は国立文系クラスとなり授業の雰囲気もガラッと変わってしまった。推薦組の緩い空気はなく、まだ4月だというのにセンター試験に向けてピリッとした緊迫感がある。
その雰囲気の中で、みのりはただ授業をする。淡々と…ではなく、情熱を込めて。
〝歴史〟という科目を、生徒たちにただの暗記科目だと思ってもらいたくなかった。人々の営みが紡いできた本当にあったドラマだということを感じてもらいたかった。そして、そのためには、自分の持っている力の全てを注ぐつもりだった。
……かつて、遼太郎にそうしてあげたように。
そうやっていれば、みのりの中心にある冷たく固まったものを意識しなくてすむ。その哀しみと苦しみに対峙すると、日常生活さえままならなくなると、みのりは自覚していた。
精神の安定を保ち続けるためには、めまぐるしく押し寄せてくる目の前のことだけに意識を向けて、それに没頭するしかなかった。




