高校入試と免許証 3
高校入試は学力検査が滞りなく終わり、3日目は採点が行われる。
教科ごとに教室が割り振られ、そこへ答案用紙が集められる。体育科や芸術科など5教科以外の教員たちも、5教科のどれかに割り振られて5教科の教員たちと一緒に採点することになる。
みのりは地理の古庄、世界史の久我、同じ日本史の浜田や公民科の教員たちと社会科の採点にあたる。その採点要員の中に、あの江口もいた。
江口とは、去年の暮れに口説かれてそれを断ってから、みのりは普通には接していたが、通常の仕事をする中では取り立てて接点もなかったので、個人的に口を利くことはほとんどなかった。
普通に接したいと思ってはいても、やはり隣の席に座るのは躊躇してしまう。かと言って、何かと取沙汰される古庄の隣も遠慮したかったので、みのりはそっと浜田と久我の間に座った。
記号で解答しているようなところは、教科外の教員でも採点可能なので、そこを任される。みのりたち専門の教員たちは、自分の教科に関する分野の記述問題を中心に採点することになる。
たとえば、古庄は「イギリスは高緯度に位置しているのに気候が温暖なのはなぜか」ということを説明する問題を採点し、みのりは浜田とともに「参勤交代」について説明する問題を担当する。他にも、〝マニュファクチュア〟について説明する問題があったり、普段大学入試の問題に接しているみのりでも、中学生が解くにしては結構難しい問題だと思った。
20枚の束の採点をし終わったら、今度は別の教員にそれを渡し、採点のミスがないか確認する。その確認は二度ほど行われて、万全が期される。
論述問題を担当しているところは、なかなか作業がはかどらないが、記号問題のところは早々に終わってしまうらしく、次に答案が回ってくるまで、江口たち教科外の教員たちは暇そうにしている。
採点の合間一息つくために、みのりは席を立って、飲み物のある教室の隅へと向かった。すると、そこには飲み物を選んでいる江口がいた。
みのり自身意識しないようにはしているつもりだけど、思わず身構えてしまうのが自分でも分かる。席に引き返すのは、あまりにも不自然なので、そのまま江口の横へと立った。
「仲松さん、何飲む?」
数本置かれたペットボトルを指さして、江口が尋ねる。不意を突かれて、みのりは息を呑んで固まった。
「……取って食ったりしないから、そんな顔しなさんな。」
江口にそう言われて、自分の反応を顧みて申し訳なくなった。
「…ごめんなさい…。」
小さくなるみのりを見て、江口は薄く笑って息を抜いた。
「何飲む?」
と、もう一度同じ問いをされて、
「あ、お茶をください。」
と、みのりはぎこちない笑顔を作った。
「今度、春休みに練習試合をすることになったよ。」
江口がそう口を開くと、みのりは思わず「ラグビーの?」と訊きそうになったが、江口が言うのだからラグビーの試合に違いない。
「そうですか…。」
と、みのりは生返事のような相づちを打つ。
今まで自分が足繁くラグビーの試合の応援に行っていたのは、ひとえにラグビーをする遼太郎が見たかったからだと、今更ながらに自覚した。
でも、もう遼太郎は卒業してしまった。グラウンドを駆け回るあの凛々しい遼太郎をもう見ることはできない。
「今の部員だけじゃ足りないから、卒業生も駆り出してね。」
江口のその一言は、パチンとみのりの目の前で弾けた。その瞬間みのりの頭の中は、仕事中は意識的に追い出していたはずの遼太郎のことでいっぱいになる。
「…卒業生も?」
「うん、二俣や狩野も動員するつもりなんだけど、ポジションはちょっと変えて…。」
「……?」
何故ポジションを変えなければならないのだろう……。みのりが首をかしげると、江口はその疑問に答えた。
「ナンバー8もスタンドオフも、新しくそのポジションに着ける2年にさせたいからね。」
なるほどその通りだと、みのりも思った。もう10番を背負う遼太郎を見られないと思うと寂しかったけれど、またラグビーをする遼太郎を見られることに、みのりの心は喜びで沸き立った。
「仲松さん!これ、確認お願い。」
その時、浜田がそう声をかけて、答案用紙の束を掲げた。みのりは肩をすくめて江口と目を合わせると、紙コップのお茶を飲みほす。
そして、沸き立った心を落ち着かせながら席に着き、再び答案をめくり始めた。