切ない心の中 2
アパートに帰り着いたみのりは、荷物を放り投げてベッドへと倒れこんだ。
まだ胸が、ドキドキと激しい鼓動を打っている。何とかそれをなだめようと思うが、
『ずっと側にいたい』
という遼太郎の言葉を思い出すたびに、息が止まった。
――あんなことを言い出すなんて…。
自分のことを想ってくれているからこその言葉だとは、みのりにもよく分かっている。
けれども、遼太郎のためには、このままではいけない…。それは、歴然としている。
それをどうにかするための手段を考えると、心が切り裂かれて悲鳴をあげた。
「…どうすればいいの…?」
みのりはつぶやき、天井を見上げる。目尻から涙がこぼれ落ちて、耳を濡らした。
あまりにも重すぎて、みのり一人で判断してはいけないような気がしてくる。
しかし、誰かを頼ろうにも、遼太郎とのことを誰に相談すればいいのだろう。
石原と不倫をしていた時は、澄子がいろいろと相談に乗ってくれていたが、遼太郎とのことは、誰にも…澄子にさえも打ち明けられないでいた。
教え子と恋に落ちる…、ましてや12歳も年下の生徒を恋愛の対象にするなんて、不倫以上に許されないことのように、みのりには感じられた。
その許されないことを、当然誰にも話せるはずはなく……、遼太郎とのことは誰にも相談できず、みのりは自分で考えて、自分で結論を出すしかなかった。
「みのりちゃん、何で泣いてたんだよ?」
お好み焼きをたらふく食べたお腹を抱えて歩きながら、二俣が遼太郎に尋ねる。
「あれは…、荘野のことで。学校辞めたこと話してたら…。」
話がみのりのことになって、遼太郎は神経を硬くした。
少し前までは、みのりを心に思い浮かべるだけで心が温かく和んでいたのに、それがウソのように胸がキリキリと痛みだしてくる。
「それじゃ、みのりちゃんの様子が変になったのは、遼ちゃんがあんなこと言ったからだな…。」
「あんなことって…?」
と言いながら、遼太郎は二俣の言おうとしていることを察して、二俣の顔を凝視した。
「『大学なんて、東京なんて行きたくない』って言ってただろ…?」
察していたことを二俣から言い当てられて、遼太郎は言葉をなくした。
「…ごめん。片づけが始まったことを言いに部室に行ったら…その…。」
二俣の方も顔を赤らめて、言葉を詰まらせた。
みのりを抱擁する遼太郎の姿を目撃し、その時の会話を聞いてしまったのだろう。
みのりと遼太郎だけが共有する甘い時間を覗き見してしまったような気がして、二俣は申し訳なく感じていた。
二人ともただ黙って、自転車を置いてある第2グラウンドまでの歩を進めた。何からどんなふうに話をしたらいいのか、お互い模索していた。
第2グラウンドにある部室が見えてきたところで、二俣の方が先に口を開いた。
「みのりちゃん、遼ちゃんが法南大学行くのに、どれだけ励ましてくれて力を尽くしてくれたよ?それなのにあんなこと言ったら、みのりちゃん、がっかりするだろうし悲しむと思うぜ。」
二俣のこの諫言に、遼太郎は息を呑んだ。ガツンと頭を殴られた気がした。
法南大学への指定校推薦が決まった時、みのりが喜びのあまり涙ぐんでくれたことを、遼太郎は思い出した。
本当ならば、自分で気が付かなければならないことだ。それなのに二俣に言われるまで、そのことに思いが及ばなかった不甲斐なさに、遼太郎は情けなくなった。
みのりと釣り合う男になるためには、大学へ行って、ちゃんと就職しなければならないことは分かっていたはずだ。
そのために自分は努力してきたはずなのに…。
けれども、目の前の感情に流されてしまうのも、それほどみのりの想いが強くて深いからにほかならない。自分でも気づかないうちに、その想いの深さに溺れてしまいそうになっていた。
「一日だって、みのりちゃんの側を離れたくない…って気持ちも、解らなくもないけどよ…。」
二俣は言い過ぎたと思ったのか、遼太郎の気持ちを思いやって、そう付け足した。
遼太郎はそんなふうに大事なことを忌憚なく指摘してくれる、二俣の好意が本当にありがたかった。お互いが親友だと思い合っていなければ、言えないことだろう。
遼太郎は口角を無理に引き上げ、笑い顔を作る。
「…いや、ふっくんの言ってくれてる通りだと思う。先生には後でちゃんと話をするよ。」
それを聞いて、二俣は安心したように微笑み返した。
部室の横に駐めてある自転車を引っ張り出している二俣の背中に、遼太郎はさらに言葉を投げかけた。
「…ふっくんには、本当に感謝してるよ。」
二俣が目を丸くして振り向く。
面と向かって、こんなことを改めて言うのは気恥ずかしかったが、遼太郎は二俣を真っ直ぐに見つめた。二俣の方も少し恥ずかしそうに、大きな目をクルリとさせ、肩をすくめた。
「これからはお互い別々の大学に行くから、細かいことは分からなくなるけど。遼ちゃんが俺の一番の友達なのは変わらないし、またいつでも相談に乗るからな。」
二俣は自転車のハンドルを片手に持ったまま、もう片方の腕を遼太郎の肩へと回し、グッと力を込めた。
「うん、ありがとう。」
遼太郎が微笑んで頷くと、二俣も同じように頷いて、
「それじゃ、またな!」
と、自転車にまたがると第2グラウンドを後にした。
また明日会えるかのような二俣の言い方だけど、「また」次に会えるのはいつになるのかは分からない。
みのりだけではない、心から信頼し合える親友とも離れ離れになってしまう現実が、どっと遼太郎に押し寄せてくる。
遼太郎は第2グラウンドにたたずんで、大きな二俣の背中が遠く小さくなっていくまで、一人静かに見送った。




