練習試合 1
みのりをアパートまで送りとどけたとき、遼太郎はみのりが部屋へと誘ってくれるという、淡い期待をした。しかし、みのりはそんな素振りを見せなかったので、そのまま挨拶を交わして、落胆しつつ帰らざるを得なかった。
――これで良かったのかもしれない…。
遼太郎はそう思うことにした。
遊園地でみのりを抱きしめていたとき、あそこが人の大勢いる遊園地でなかったら、きっとキス以上の行為に及んでいたと、思い返す。
あの熱烈なキスの余韻が残る今、アパートという密室で二人きりになったならば、自分は自分の中に巣食う欲望を制御出来なくなるだろう。
みのりの意思など関係なく、みのりをベッドへ押し倒して、全てを求めてしまうだろう。
遼太郎は自分の中の欲望を押しとどめるのに必死になったが、心も体も蕩けてしまいそうな甘いキスの感覚は、遼太郎の体に染み付き、四六時中意識の大半を占拠した。
そして、気が付くと、妄想はキスのその向こうの行為へと及んでいる。
辛うじて考えずにすむのは、試合に出るため、ラグビーの練習をしている時だけだった。
しかし、第2グラウンドを離れた瞬間に、遼太郎の思考は一気にみのりで満たされる。特に夜、布団の中で暗闇に包まれると、みのりに触れることが頭から離れてくれない。
自分の中に存在するみのりを抱きたいという願望を、遼太郎はもう否定できなかった。
「遼ちゃん、東京にはいつ行く?」
部活の練習が終わって、片づけをしている時に、二俣が不意に尋ねてきた。
例によって、みのりのことが立ち込めてきていた遼太郎の頭の中に、新しい風が吹き込んでくる。
思考からほとんど排除されていた東京での新生活のことを、いきなり目の前にぶら下げられた気がした。
「うん。3月の終わりの週末に、母さんと一緒に行くことにしてるよ。アパートとかも、姉ちゃんが探してくれてるから、あんまり急がなくてもいいんだ。」
「そうか。じゃ、ぎりぎりまでみのりちゃんの側にいられるってわけだな。」
相変わらず心の中を見透したような二俣の物言いに、遼太郎は肩をすくめた。
ぎりぎりまで側にいられても、その後は離れ離れになってしまう現実が待っている。
みのりの側を離れてしまう……。そのことが頭を過っただけで、遼太郎は言いようのない不安に襲われる。
花園予選の時、みのりが応援に来れない試合があった。その時のような感覚…。
ほぼこの一年間、勉強においても部活においても、遼太郎の生活の主軸はみのりと共にあった。みのりが側にいなくなって、独りになってしまうとどうしていいのか分からなくなってしまう。
そんな不安に加え、遊園地でのみのりを思い出す度に、みのりの側を離れられないという、焦燥にも似た気持ちが遼太郎の中にこみ上げてくる。
『遼ちゃん…!』と繰り返し、しがみついてきたみのりを置いて行くことを考えただけで、遼太郎の心は引き裂かれるように痛む。
こんなに想い合っているのに離れてしまったら、二人の心はどうなってしまうのだろう…。
「ああ、狩野先輩すみません。片づけてもらって。」
1年生の佐藤が、マーカーを集めて回っている遼太郎にそう声をかけて、重ねられて遼太郎の手にあったマーカーを受け取った。
我に返った遼太郎は、佐藤の顔を見て、いつも一緒にいた荘野の姿を最近見ていないことに気が付いた。
「そう言えば、荘野はどうした?」
遼太郎から訊かれて、佐藤は表情を曇らせる。
「…荘野は、辞めました…。」
「辞めたって、部活を?」
「いえ…、学校を辞めたんです。」
「えっ…!?」
遼太郎は、学校を辞めるかどうか悩んで泣いていた荘野のことを思い出した。
結局荘野の力になれなかったことが悔やまれたが、何よりもみのりが落胆して心を痛めているだろうと思うと、いたたまれなかった。
大きな溜息を、遼太郎は一つ吐いた。
本来ならば、東京での新生活に気持ちも浮き立っているはずなのに、それを思うと逆に遼太郎の心は沈んでくる。
遼太郎の足はまだここに踏みしめられていて、一歩も動けそうもなかった。東京へ発つには、ここから離れる原動力を心にため込む必要があった。




