高校入試と免許証 2
城跡へ行ったデートの日。夕闇が辺りを包み始めた頃、みのりは遼太郎を家の前まで送っていった。
「それじゃ…。」
と、ほの暗い車の中の消沈した空気の中から、遼太郎が短く密やかに発した。ハンドルを握って、遼太郎がシートベルトを外す動作を見ながら、みのりは小さく頷く。
遼太郎がドアを開け、外へ踏み出そうとした別れ際、
「…じゃあね。……遼ちゃん…。」
みのりは思い切って、もう一度遼太郎をそう呼んだ。
ピクリと体を強ばらせた後、遼太郎は振り返り、表情を硬くしてみのりを凝視した。
『先生にそんなふうに呼ばれると、キスしたくなるから……』
そう言った遼太郎の言葉が脳裏をかすめる。キスの予感にみのりの胸は早鐘のように打ち、顔には一気に血が上ってくる。
しかし、遼太郎は口角をわずかに上げ、その表情にニコリと笑みを含ませると、そのまま車を降りてしまった。
「送ってもらって、ありがとうございました。」
車の横に立って律儀に礼をする姿は、まさに生徒が教師に対するものだ。そう言われてしまうと、みのりも教師としての笑顔を作って帰らなければならなくなる。
車を発進させて、自分の家へと向かう運転中、みのりの心には落胆が充満した。菜の花畑にいた時のように、もう一度遼太郎に触れてほしかった。優しく触れて、キスをしてほしかった。
それだけじゃない。本当はあの菜の花畑でも、世界に二人だけしかいないと感じられるほど、もっと抱きしめてほしかった。
でも、別れ際の淡い期待を挫かれて、みのりは自分の中の分を弁えない欲求に気がついた。それを再認識するたびに、みのりは言いようのない羞恥心にさいなまれる。
相手は十二歳も年下の少年だ。硬派な遼太郎は、これまでに女性に触れたことなんて、ほとんど経験してないだろう。そんな遼太郎を相手に、なんという願望を抱いているのだろう…。
そう自分を客観視すると、自己嫌悪にも似た感覚に襲われて窒息しそうになる。
けれども、遼太郎を愛しく想う感情は、心の底から止めどなく湧き上がって、みのりの自制心を脆いものにした。思いの中に遼太郎を描くたびに、心は切ない叫びをあげる。一刻も早く、再び遼太郎に会いたいと……。
好きで愛しくて、どうしようもない切なさは、想いが通じ合ってからの方が強くなった。
――…遼ちゃん…。
まだ呼び慣れていないその名を、心の中でそっと呼んで、膨らみすぎた感情を少し和らげる。切なさで苦しい胸に手を当てると、手のひらに乱れた鼓動を感じた。
後方の教室のドアの開けられる音が鳴り、先ほどの男性講師が入ってきた。同時に「あと5分です」という放送が入り、みのりはハッとして我に返った。
乱れた鼓動を覆い尽くすように、突然脈拍が一気に速くなり、動転して体が震えた。
高校入試という大事な仕事を目の前にしているのに、物思いにふけるなんて何ということだろう。冷たいものが背筋を落ちていくような感覚になって、みのりは固唾をのんだ。
取り乱している心を気取られないように、大きく呼吸して平常心を探す。とりあえず、この時間の試験は何事もなく終わってくれそうだったので、胸をなでおろした。
仕事中は、遼太郎のことは考えないようにしなければ。四六時中遼太郎のことを考えていたら、きっとそのうち取り返しのつかない失敗をしてしまう。
遼太郎への想いに溺れそうになっている自分を改めて顧みて、みのりは怖ささえ感じた。