「彼氏」と「彼女」 3
遼太郎は、口に含んでいたコーヒーを飲み込んで、隣にいる佐山に視線を合わせた。
「……どんな人って一言では言えないし、俺が何を言っても惚気てるって思われるだろうけど。彼女は……、俺にとって本当に遠いところにいた人で……、ずっとずっと想い続けて、やっと振り向いてくれたんだ。やっとこの手が届いた人なんだ。」
みのりを語る遼太郎の想いに、佐山の胸がキュンと切なくなった。
〝彼女〟に近づくため、自分を高めるために、遼太郎が不断の努力を続けていたことは、側にいた佐山が誰よりもよく知っている。
〝彼女〟はいつも、そんな遼太郎の心の中にいて、すでに今の遼太郎を形作る一部になっているんだろうと、佐山は思った。ゼミの皆から慕われる遼太郎も、陽菜が狂気を帯びるほどに恋い焦がれた遼太郎も、〝彼女〟がいなければ存在し得なかった。
その何よりも大切な〝彼女〟が生死をさまようような傷を負った……。
今の遼太郎がどれほど心を痛めているか。きっと傷を負った彼女よりも苦しんでいることは、佐山にも容易に想像できた。
「……くれぐれも言っておくけど、今回のことは、お前のせいじゃないからな。悪いのは、一人で勝手に暴走した長谷川陽菜だ。あんな女だったなんて、お前じゃなくても誰も想像もしてなかったんだから。」
まるで遼太郎の心の中を読んでいるような、佐山の言葉。それは、遼太郎が自分に言い訳をして、逃げ込みたくなる場所のようなものだった。
だけど、遼太郎の後悔はあまりにも大きすぎて、どうしても佐山の言うようには思うことができなかった。頷きもせず、唇を噛んで思いつめた目をするばかり。
今は、どんなふうに佐山に励まされても、遼太郎の心に立ち込める黒い雲は消えることはなかった。
そのコーヒーショップでしばらく待った後に、由加里が戻ってきた。
「怪我をして入院してるって聞いたから、きつくない楽なブラがいいと思って、ハーフトップにしといた。これなら、サイズも厳密じゃなくていいし。」
由加里の機転に、遼太郎も「なるほど」と納得する。
「ありがとう。ホントに助かったよ。」
と言いながら、遼太郎は心から感謝し深々と頭を下げる。由加里は、自分に向けられた優しげな笑顔を見て、ほんのりと頬を赤らめた。
「他にもパジャマとか、普通の服とか必要なんじゃない?よかったらそれも、私が買ってこようか?」
しかし、そんな由加里の好意に、遼太郎は首を横に振った。
「気持ちはありがたいけど、それは自分でなんとかするよ。早く買い物済ませて病院へ戻りたいから、それじゃこれで。」
心の中の焦りは極力見せないように、遼太郎は爽やかな笑みを残して、風のように二人の前から姿を消した。
遼太郎の余韻に浸る由加里に、佐山が釘をさす。
「……お前、言っとくけど。遼太郎は彼女がいるんだからな。」
「はあ?!なにバカなこと考えてんの?」
由加里は形相を変えて否定したが、変なことを勘ぐられて、途端に顔が真っ赤に変化した。
「ボーッとして、見惚れてたくせに。」
しかし、その佐山の指摘は事実なだけに、由加里は苦し紛れの言葉を放つ。
「晋ちゃんみたいなブサイクばっか見てると、狩野くんがすっごくイイ男に見えるんだから、しょうがないじゃない!」
「…おまっ!誰がブサイクだって?!そんなこと言うの、お前だけなんだからな!」
「ハイハイ。チャラ男の晋ちゃんは、相変わらずおモテになるようで。」
「俺は、チャラ男じゃねーよ!!」
佐山の語気が荒く大きくなると、由加里は〝あっかんべー〟をしながらコーヒーショップから走り去った。
残された佐山は、店内の注目が自分に集まっているのを感じ取り、小さくなって座っていた椅子に再び腰かけた。
もう大学も三年生になるというのに、由加里とは小学生の頃からずっとこんな感じだ。なんでも気兼ねなく話せる反面、鋭く真実を突くこともあれば、言い過ぎてしまうこともある。そして、大概ケンカになる。
それでも、そこに恋愛という駆け引きや損得感情を持ち込まない由加里は、佐山にとって誰よりも信頼の置ける女子でもあった。
由加里が言っていたように、いつでもとてもモテる佐山。だけど、佐山に近づいてくる女の子は、恋愛が破綻すると同時に他人よりも遠い存在になる。
ましてや、心底〝いい子〟だと思っていた陽菜の本性を知って、佐山は女というものが本当に分からなくなり、そこに不信感が生まれた。
ただ、遼太郎が羨ましかった。
もちろん今は、大変な状況だとは思うけれど、あんなに一途に一人の女性を想い続けられるなんて……。あんなに自分の想いを信じて疑わないなんて……。
遼太郎が〝彼女〟を愛するように、自分も誰かを愛してみたい……。それは佐山の、切なる願いでもあった。
遼太郎がみのりの物の買い物を済ませて、病院へと向かうことができたのは、もうお昼過ぎになってしまっていた。
朝からずいぶん時間が経ってしまったので、みのりの容態が気になりながら病室へと急ぐ。
夜の病院と違って昼間のそれは、とても明るくて賑やかで、遼太郎の張り詰めた気持ちも少しほどけていく。みのりがそこで待っていてくれると思うと、心が逸った。
病室のドアをノックして、みのりは眠っているかもしれない…と思いながら、返事を待たずに引き戸を開ける。