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Rhapsody in Love 〜幸せの在処〜  作者: 皆実 景葉
宿題の代償 Ⅱ
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宿題の代償 13




「やっぱり陽菜ちゃんを一人にしちゃダメよ。……もしかして、衝動的に自殺してしまうかもしれない。」



 自分を殺されかけたにもかかわらず、こんなふうに陽菜を心配するみのりを、遼太郎はジッと見つめ直した。



「早く、行って!」



 動こうとしない遼太郎を、みのりが急かす。けれども、遼太郎はしかめた表情を緩めて、ようやく微笑んだ。



「ああ、大丈夫です。さっき佐山に……、ゼミの友達に連絡して、待合室で待機してくれてます。長谷川を家まで送ってくれるはずです。」



「そう……、なら、よかった……。それにやっぱり、彼女に遼ちゃんを近づけるのは、心配だしね……。」



 みのりは胸を撫で下ろして緊張を解き、遼太郎の腕にその体を預けた。昏睡状態から覚めた直後に、狂気を帯びた陽菜と渡り合い、体のみならず心の疲労度も相当なものだった。


 遼太郎はそのまま、みのりの体をベッドの上に横たえさせようとしたが、衝動のままに胸の方へ引き寄せて抱きしめた。

 遼太郎の心の中にあるものが、言葉となって表現できるまでには、まだ時間が必要だった。みのりはただジッとして、遼太郎の言葉にならない想いを、その抱きしめる腕の力と胸の鼓動から感じ取った。



 遼太郎は大きく息を吸い込んだ後、ようやく言葉を絞り出す。



「……本当に、死ぬところだったんです……!」



 抱きしめられるみのりの耳に、遼太郎の声の切ない響きが聞こえてくる。いっそう力が込められる腕は、かすかに震えていた。


 傷口は小さいのに、流れ続けて止まらなかった血。それを目の当たりにして、遼太郎はどれほど不安だっただろう。

 みのりは自由になる右腕を、遼太郎の背中に回して撫でさすった。



「……心配かけてしまって、……ごめんね?」



 遼太郎の胸に唇をつけながら、みのりが語りかける。その微かな声を聞いて、遼太郎は唇を食いしばった。きつく瞑った目の奥から涙が滲み出て、体の震えが大きくなる。

 優しく慰めるようなみのりの手の動き、遼太郎の腕を通して伝わってくるみのりの血の通った温かさ、それは紛れもなくみのりが生きている証拠だった。



「……謝らなきゃならないのは、俺の方です。先生をこんな目に遭わせて……。」



 遼太郎は腕の力を緩めて抱擁をほどき、それから壊れものを扱うように、みのりの体をベッドへと寝かせた。

 みのりは頭を枕に乗せて、枕元にある遼太郎の思いつめた顔を見上げる。



「こんな傷くらい、全然痛くも苦しくもない。私はあなたを守るためだったら、なんだってするんだから。」



 みのりはそう言いながら右腕を伸ばして、そっと遼太郎の頬を撫でた。



 遼太郎は、頬にあるみのりの手に自分の手を重ねて、みのりの言葉を噛みしめるように目を閉じた。自分を包み込んでくれるみのりの大きな想いが心に沁みて、遼太郎の喉元に今まで以上のみのりへの想いが込み上げてくる。


 そのまま、みのりの華奢な手を両手で握りなおして、遼太郎が目を開けると……、堪えきれずに涙が一筋零れて落ちた。




「先生は、俺のすべてです。先生がいてくれるから、俺は生きていけるんです。俺は、先生を……、愛しています。」




 遼太郎の涙と、その究極の言葉に、みのりの息が止まった。


 遼太郎の声が耳の奥でこだまして、何も考えることができなくなり、みのりの大きな目が溢れてくる涙に潤んで揺れる。悲しいわけではなく、ただ嬉しいだけでもなく、心が震えた。



「俺は、先生のほかに人を好きになったことがないから、よく分からないけど……、ただの『好き』じゃないんです。きっと、今の俺のこんな気持ちを『愛している』って言うんだと思います。」



 何にも増して大切な人がくれた宝物のような言葉を聞いて、みのりは胸がいっぱいになって、何と言って答えたらいいのか分からなかった。


 みのりの手が、おぼつかない力で遼太郎の手を握り返す。涙が溢れるみのりの瞳は、ただ真っすぐに遼太郎を見つめ返していて、とても澄んでいた。



 それだけで、遼太郎は十分だった。自分のこの想いを、みのりがしっかりと受け取って、その心の一番大切な場所にしまい込んでくれたと思った。



「さ、先生は眠ってください。俺、ずっとここにいますから。」



 遼太郎はいつもの優しい微笑みを見せて、みのりの腕を掛布の中へと仕舞った。



「うん。でも、遼ちゃんも眠らなきゃ。」



 心配そうに、みのりがそう言うのを聞きながら、遼太郎はいっそう笑ってみせる。



「大丈夫です。俺はいつでも寝れますから。先生が眠るまで側にいます。」


「……うん。」



 みのりは素直にうなずいて、目を閉じた。寝たふりでもしないと、遼太郎もいつまでも眠ることができない。



 病室の中を静寂が立ち込めて、お互いの息遣いだけが耳に届いてくる。

 未だ残る鎮静剤のせいで、意識は次第に眠気を帯びてくる。思考は安らかな虚無の中を漂い始め、心も落ち着いて、自分にもそれが見極められるようになる。



「……遼ちゃん。」



 眠りに落ちる前に、不意にみのりが口を開いた。

 枕元でみのりの寝顔を見つめていた遼太郎は、視線を合わせて和ませるだけで、返事の代わりにした。



「……ありがとう。私、こんなふうにきちんと『愛してる』なんて言われたの、生まれて初めてよ……?」



 そんなみのりの言葉を聞いて、遼太郎はほのかに顔を赤らめた。〝生まれて初めて〟というフレーズが、遼太郎の心を甘くくすぐった。



「とっても嬉しくて……、もう私、明日死んでもいい。」



 みのりが自分の心を素直に表現すると、遼太郎は眉を寄せて、それでいてとても穏やかに笑ってみせた。



「先生に死なれちゃ、困ります。心の中にずっと生き続けることはできても、思いの中の先生は、抱きしめられないから。」



 みのりに会えなかった二年半の間、遼太郎はずっと心にみのりを描き続けることしかできなかった。どんなに完璧に描いても、決してそれには触れることはできなかった。


 そんな遼太郎の想いが滲んでいる言葉。それは、みのりの胸にキュンと響いて、みのりの眼差しを切なくさせる。



「それに、死にかけてたところを助けてもらったのに、『死んでもいい』なんて言っちゃいけないわね。」



 そう言って、みのりも笑いながら切なさを紛らわせる。

 でも、心の中では、遼太郎への切ない想いが溢れてきて、止められなかった。



――でも私は、遼ちゃんのためなら、死ぬことだって怖くない……。



 ベッドへ肘をついて笑顔を向けてくれている遼太郎を見上げて、みのりはそんなことを思った。


 この命より大切な人――。

 こんな愛しさを覚えたのは、遼太郎だけ。見返りを求めない愛情が、こんなにも切なくて温かいものだったなんて、みのりは知らなかった。この遼太郎が安らかに笑っていてくれるのなら、すべてを捧げられると思った。



 それから、遼太郎の深い眼差しに見守られながら目を閉じると、みのりは間もなく深い眠りへと落ちていった。













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