宿題の代償 11
「どんな理由があっても、人を『殺す』なんて言っちゃいけないわ……。」
少しかすれた声でのみのりの諌めを聞いて、遼太郎もその通りだと思う。だけど、何よりも大事なみのりに危害を加えられて、陽菜を殺したいほど憎いことは否定できなかった。
遼太郎は何もみのりに言葉を返せず、悲痛でやるせない表情で唇を噛んだ。その表情を見て、遼太郎がどれだけ心配して、どれだけ気を病ませたのか、みのりにも痛いほど伝わってくる。
今は、この愛しい遼太郎の心を軽くして、怒りで消えてしまった本来の優しさを取り戻してあげたかった。
「もう大丈夫みたい。どこも痛くないから。」
あれだけの怪我を負っていて、痛くないはずがない。それでも笑ってみせるみのりの顔を見て、遼太郎の胸の方が痛くなる。
「でも、一時は死ぬとこだったんです。」
「でも、私は死んでないし。遼ちゃんに介抱してもらって、こんなふうに見つめてもらえて、とってもラッキーだし。」
「……なに、言ってんですか……。」
遼太郎は、みのりの物言いに半ば呆れたが、そのみのりの心を読み取っていっそう胸が苦しくなった。
遼太郎の目が少し潤んだのを見上げながら、みのりはいっそう優しげな笑みを浮かべた。
「……少し、陽菜ちゃんと話がしたいから、二人きりにしてくれる?」
みのりがそう言うのを聞いて、遼太郎は血相を変える。それから、激しく首を横に振った。
「冗談じゃない!先生を刺した人間と先生を二人きりになんて、絶対にできません!!」
「大丈夫。陽菜ちゃんは、私を狙ってあんなことしたんじゃないから。」
「……え?」
陽菜は、邪魔な存在のみのりを消そうとした。そう思い込んでいた遼太郎は、戸惑ったような声を上げて、みのりを見つめ返した。
「陽菜ちゃんは、私があのアパートにいるって知ってるはずないもの。」
みのりの推測を聞いて、遼太郎は言葉を逸する。……それでは、陽菜の目的は……。遼太郎が思考を巡らせ始めたとき、みのりが言葉を続けた。
「でも、こんなことになったのは、私のせいよ。私が陽菜ちゃんの心を弄ぶようなことをしたから。だから、少し話をさせて。」
「これは、先生のせいじゃないし。それに、二人きりにはしません。」
「それじゃ、この部屋にいてもいいから。だけど、口は出さないで。」
みのりから真剣な目で懇願されて、遼太郎はうなずくしかなかった。
陽菜とは、いずれにしても話をする必要はある。多分、みのりの力を借りなければ、まともな話し合いなどできないだろう。
「……こっちに来て。変な真似したら、すぐに警察に通報するからな。」
遼太郎は振り向いて、陽菜へ目配せした。遼太郎の冷たい目に見据えられて、陽菜はビクッと体をすくませたが、もう逆らうことはできなかった。
陽菜がみのりの枕元まで歩いてくると、遼太郎はその場を入れ替わるように部屋の隅に行き、陽菜の様子に目を光らせた。
「一緒にご飯を食べたとき、嘘をついててごめんなさい。あのときは、陽菜ちゃんが遼ちゃんの彼女だと思い込んでて、本当のことが言えなくて。」
みのりは開口一番、遼太郎が言えなかった謝罪の言葉を口にした。
けれども、陽菜は死んでしまったような目をして、みのりとは目も合わさず、なんの反応も示さなかった。起き上がることのできないみのりは、そんな陽菜を見上げるかたちで言葉を続けた。
「遼ちゃんに彼女がいたって知ってるから、きっと陽菜ちゃんもそうなれるって思ってたのよね?……でも、遼ちゃんが彼女を作ったのは、私が〝宿題〟を出してたからなの。大学では、いろんな経験をたくさんして、女の人ともきちんと付き合うように……って。」
自分の思惑をみのりに見透かされて、陽菜の目が戸惑いを宿した。遼太郎の口から語られるのことのなかった事情を知って、凍りついていた陽菜の感情がざわめき始める。
「もちろん、そのときはちゃんと私とは別れたし、新しく別の人を好きになって〝付き合う〟っていう意味だったんだけど。遼ちゃんは宿題をするために割り切って、偽りの恋人同士になった。私の言ってしまったことで、遼ちゃんと相手の女の子と陽菜ちゃんの心を弄んで、罪なことをしたと心から悔やんでるし反省してる。……だから、ごめんなさい。」
みのりが心から詫びていることは、陽菜にも分かっていた。
だけど、陽菜の歪んだ心には、みのりの唇からこぼれ出る言葉が、ただの綺麗事ばかりを並べて自己弁護しているだけのように思われた。
その言葉の響きは、遼太郎からただ一人想われている人間の余裕のように聞こえた。こんなにも遼太郎を恋い慕っているのに報われない陽菜の想いに、哀れみをかけられているようにしか感じられなかった。
陽菜の心はますます病んで、みのりの不幸を願わずにはいられなくなる。その心を映して、陽菜の表情は不穏な暗さを漂わせた。
「遼ちゃんと一緒に、自分も死のうと思ってたの?」
その時、みのりが核心を突くような問いを発した。
陽菜は遼太郎を狙っていた。それはドアを開けた瞬間に刺されたときから、みのりには分かっていたことだった。




