宿題の代償 10
みのりの容態の説明のために、別室に招き入れられる。その間も、陽菜が逃げてしまわないように、一緒に室内へと入った。
遼太郎は、みのりの血で汚れた服のまま、医師と向かい合った。
みのりは、見た目よりもずいぶん深く傷を負っていて、動脈を損傷してしまっていた。それが大量の出血に繋がり、ショック状態に陥っていたらしい。輸血をし、動脈と傷の縫合をして、今は鎮静剤で眠っているとのこと。
もし、もっと出血していたら命も危うかったと医師から聞いて、遼太郎の背筋に冷たいものが落ちていった。
みのりが眠る病室に入ることを許されたのは、もう深夜になっていた。
遼太郎がみのりの枕元にたたずむと、陽菜は出入り口のところでひっそりと立ちすくんでいた。
みのりの表情には苦しみはなかったけれども、顔色は依然として青白く血の気がなかった。
もともと、透き通るように色の白いみのり。だけど、こんな生気のないみのりを見るのは、遼太郎も初めてだった。
こんなことが本当に起こってしまうなんて。
ただの悪夢だと思いたくて、何度も目覚めようとしてみても、ほのかな明かりのこの病室も、みのりの腕に繋がる点滴も、目の前にあるものは現実に違いなかった。
みのりがどれだけ苦しんだのか。それを思うと、遼太郎の体が震えた。みのりは、遼太郎が想像も及ばないくらいの苦痛を味わったはずだ。
それなのに遼太郎は、血を流し続けるみのりを前にして何もできなかった。何も、自分で判断して動くことができず、ただ幼い子どものようにオロオロして、苦しみの中にいるみのりが指示してくれたことをやっただけだった。
あまりの情けなさに耐えかねて、きつく唇を噛む。
陽菜がこんなことをしてしまった原因を作ったのは、誰でもない自分だと、遼太郎は自分を激しく責めた。
「……先生。俺のせいで、こんな……。」
頭を抱えてうなだれて、みのりの眠るベッドへと肘をついた。
みのりの言ったように最初に陽菜に謝っていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。
たとえ傷つけてでも、もっときちんとケジメをつけて一線を引いていれば、陽菜を〝その気〟にさせてしまうこともなかったかもしれない。
こんなことが起こってしまうことを、樫原は忠告してくれていたのに、遼太郎は軽く考えていた。樫原の危惧が今現実となって、遼太郎ではなくみのりの身に振りかかってしまった。
しばらくして、看護師が様子を見にくる。
「安定しているようですが、もし何か様子が変わったら教えてください。」
そう言われて、悲痛な表情のまま遼太郎はうなずいた。
看護師が終わりそうになっていた点滴を外して病室を出ていってからも、遼太郎はそのまま時間を忘れて、みのりの枕元でその寝顔を見つめ続けた。
こんな時でさえ、みのりはとても綺麗で、その澄んだ心が透けて見えるようだった。愛しくて愛しくて、その想いが募るほど、その愛しい人を守れなかったことが悔しくてならなかった。
みのりのことしか考えられなかった遼太郎の意識の中に、病室の隅にたたずむ陽菜の存在が不意に浮かんでくる。
陽菜は何を思ってみのりを刺し、何を思ってそこに立っているのだろう。
陽菜も自分で自分が分からなくなるほど、思いつめているのかもしれない。
それでも、刃物を持ち出して人を刺すなんて、自分勝手な思考の果ての〝犯罪〟だ。どんな理由があっても、それは許されることではない。
何よりも、みのりにこんな傷を負わせるなんて、他の誰もが陽菜を許しても、自分だけは絶対に許さないと、遼太郎は思った。
陽菜に対する憎しみが大きく渦巻いて、それは自己嫌悪と相まって増幅される。経験したこともない憎悪の感情が遼太郎を飲み込んで、とうとう遼太郎は自分を制御できなくなった。
「どうして、先生にこんなことを……。恨みがあるなら、俺を刺せばいいだろう?」
遼太郎の低い声が、病室に響き渡る。陽菜は、その声にピクッと体をこわばらせたが、口を開くことはなかった。
「刺したのが腕じゃなくて胸だったら、死んでたかもしれないだろ?!胸じゃなくても、病院に運ばれるのがもう少し遅かったら、死ぬとこだったんだぞ!!」
「…………。」
「先生は、俺の命よりも大事な人だって言ってただろ?それを分かって、先生を殺そうとしたのかよ?」
遼太郎にそう詰られても、陽菜は黙ったまま何も答えなかった。言い訳さえしない陽菜に対して、遼太郎は憎悪と怒りをますます抑えられなくなる。
「先生に手出しするなんて、絶対に許さない!今度こんなことしようものなら、その時は俺がお前を殺してやる……!」
遼太郎は、ベッドの上の拳を握ってふり返り、憎しみに満ちた険しい顔で陽菜を睨んだ。
あの優しい遼太郎が、こんな形相をするなんて。こんな激しい言葉を放つなんて。陽菜は体も思考もすくみ上がって、唇さえも動かせなかった。
「……遼ちゃん……。」
その時、みのりのかすかな声が聞こえた。虚を衝かれて、遼太郎の毒気が抜ける。
みのりが気がついたことに安堵して、遼太郎は陽菜からみのりへと視線を戻す。すると、みのりはうっすらと目を開けていて、それから枕に頭を預けたまま、ジッと遼太郎の顔を見つめた。




