宿題の代償 7
でも、いつ帰ってくるか分からない遼太郎を、この部屋の前でずっと待っているわけにもいかない。
みのりは涙を拭って、トボトボと歩き出した。今日の宿も探さなければならず、途方にくれながらアパートの階段を一つひとつゆっくりと下りていく。
するとその時、階段を上ってくる人影が視界に入ってきて、みのりの感覚が敏感に反応した。
疲れた感じで、一歩一歩踏みしめるように上がってくる重い足どり。その足は、みのりの存在に気がつくと、不意を突かれたように止まってしまった。
「…………先生?」
階段の下からみのりを見上げる遼太郎の表情は、信じられないものでも見ているようだ。
「どうしてここに?」
目を丸くしている遼太郎は、問いかけながら階段を駆け上がってくる。それを聞いてみのりは、自分がここにいる不自然さを改めて自覚した。
「……あのね。私、やっぱり心配になって。……陽菜ちゃんのこと。」
みのりはその不自然さをごまかすように、頭の中のほんの片隅にしかなかった陽菜のことを、取って付けたような口実にした。
『会いたかった』と言えば良かったのに、こんな時やっぱり〝先生〟という立場から抜けられず、素直に甘えられない自分がいる。
遼太郎は、〝陽菜〟という話題をいきなり持ち出されて、その表情に影を帯びさせた。
「ああ……、長谷川のことは。心配するようなことは何もありません。」
少し不機嫌そうな声色で答えながら、部屋に向かって先を歩く遼太郎の背中を見て、みのりはホッとするより不安になる。
疲れて帰ってきた遼太郎。それなのに、何も考えずこんなふうに押しかけてきてしまって、遼太郎は迷惑だったのではないかと……。
「どうぞ。」
遼太郎はドアの鍵を開けて、部屋の中へと迎え入れてくれたが、いつもの笑顔を見せてくれない。気まずさのあまり、みのりは何か楽しい話題を持ち出したいと思ったけれど、口から出てきたのは、やっぱり陽菜のことだった。
「陽菜ちゃん、なんて言ってた?泣いたりしてなかった?」
居間の照明を点け、簡単に片づけている遼太郎に向かって、畳みかけるように質問をしてしまう。
遼太郎はそう問われて、陽菜が何も聞き入れようとしなかった不愉快な出来事を思い出した。
「長谷川は、泣いたりするようなヤツじゃありません。」
「でも……、陽菜ちゃんにはきちんと謝った?」
追い打ちをかけるようなみのりの問いを聞いて、遼太郎はピクリとその動きを止めた。
陽菜には、『ごめん』の一言も告げていなかった。〝謝るようなことは何もしていない〟という考えに囚われて、遼太郎も意地になってしまっていた。その一言を最初に言っていれば、陽菜も素直に話を聞いてくれていたかもしれない。
「……先生、すみません。俺、バイトでゴミの仕事したし、汗もかいてるんで、先にシャワー浴びていいですか?」
みのりの質問に答えることもなく、遼太郎が会話を遮った。
「ああ、うん。……ごめん。私、気がつかなくて。」
いつもの遼太郎なら、こんな時には微笑みを返してくれるのに、目も合わさないまま浴室へと籠ってしまった。
居間に一人にされたみのりには、言いようのない切なさが込み上げてくる。会いたくて会いたくて、やっと遼太郎に会えたのに、言葉は思いのままに出てきてくれなくて、心は思ったように満たされなくて……、自分が変な期待をしすぎていたことを思い知らされる。
みのりは窓辺にたたずんで、気を紛らわせるように夜の景色に目を馳せた。唇を噛んでも切なさは消えてくれず、みのりはただ遼太郎が出てきてくれるのを待ち続けた。




