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Rhapsody in Love 〜幸せの在処〜  作者: 皆実 景葉
宿題の代償 Ⅰ
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宿題の代償 6




 ぼんやりと講義を聞いている最中や、佐山や樫原と他愛のない話をしているとき、バイトでゴミの掃除をしているとき、前触れもなくそれは意識の表面に浮き出てくる。


 唇を滑らせたその肌の、柔らかさと滑らかさ。狂おしいほどに唇を重ねたときの息遣い。


 意識するのはどれも断片的なものだけれども、そのたびに遼太郎の血液は逆巻き、息が止まる。そして、甘い感覚が通り過ぎてくれた後は、どうしようもなくみのりに会いたくなる。


 でも、まだ〝あの日〟から一週間しか経っていない。帰省してみのりに会いに行ける年末までは、まだまだ遠い。その時の長さを思うと、遼太郎は気が遠くなりそうになる。


 逆に、それまでにやらなければならないことはたくさんあった。年が明けると就職活動の本番は、もう目前に迫っている。それを考えると、年末までにあまり時間はないと感じる。



 恋しさと切なさと、焦りと、遼太郎は幾度となくそんな感情を繰り返していた。これは、みのりと別れていたときとはまた違った、遼太郎の新たな苦悩だった。




 苦悩を抱えていたのは遼太郎だけじゃなく、みのりも遼太郎と同じだった。


 抱き合っているとき、体中の細胞の一つひとつが反応してしまうような、あんな感覚は今まで経験したことはない。会えないにもかかわらず、何年も想い続けた人との触れ合いは、意識の中に深く食い込んで、何度もその感覚を思い出しては確かめてしまう。



 それは、夜に一人で眠るベッドの中だけでなく、職員室にいるときでも。生徒に小テストを解かせてホッと一息つく、ほんのわずかな時の合間でさえも。



「みのりちゃん!なに、ぼんやりしてるんだよ?!」



 清掃時間、教室の中で声をかけられて、みのりはハッとして我に返った。遼太郎のことを考えていた矢先、俊次の顔がいきなり視界に飛び込んできて、思わず体をビクッとすくませた。



「なんだよ。人のこと、バケモノみたいに。」


「……ご、ごめん。」



 怪訝そうな俊次に、みのりは小声で謝ってみたものの、その胸の鼓動はますます激しくなる。

 俊次の目元は、遼太郎とよく似ている。その目で見られただけで、みのりの肌は粟立って自分が何をしているのか分からなくなる。遼太郎を意識して、みのりは俊次の顔をまともに見ることもできなくなった。



 こんな状態は、自分でも〝異常だ〟と思う。仕事に集中できないほど、こんなふうにこの想いに囚われてしまうなんて。


 みのりは、大人になった遼太郎に改めて出会って、もう一度新しい恋に落ちたようなものだった。一人の男性として、遼太郎を恋い慕う気持ちは、再会する前よりもいっそう強くなった。



 体の中に残る遼太郎の息吹を確かめるだけでは、恋しさは満たされなくて、会いたくてたまらなくなってくる。

 せめて、その声を聞きたいと思っていたけれど、みのりは遼太郎に電話はしなかった。陽菜とのその後のことも気になっていたのに、電話どころかメールの一通も打つ勇気がなかった。


 少しでも接触を持てば、堰が切れたみたいに、会いたい気持ちが抑えられなくなる。それを、みのりは自覚していた。

 遼太郎の方から何も連絡がないのは、きっと遼太郎も同じなんだと思う。それとも、みのりの意図を汲んで、連絡してくれるのをひたすら待っているのかもしれない。




 けれども、十月に入って十日が過ぎる頃、みのりはとうとう我慢ができなくなった。このまま遼太郎に会わないでい続けると、本当におかしくなって、日常生活もままならなくなってしまうそうだった。

 折しも、ちょうど前期が終わり、週末を挟んで短い秋休みがある。金曜日の勤務が終わると、みのりはもう居ても立っていられなくなり、後先も考えずに空港へ駆けつけると、気づいたときには飛行機に飛び乗っていた。



 東京に着いたときには、すっかり夜になっていたが、遼太郎のアパートへの道はもう迷うことはなかった。建ち並ぶ商店やレストランの照明、街灯が照らしてくれる夜道を歩いて遼太郎のアパートへたどり着いたのは、もう九時頃だった。



 いささかの緊張と大きな胸の高鳴りを抱え、みのりは居住まいを整えると、人差し指を差し出して玄関のドアのチャイムを押した。



「…………?」



 しかし、玄関のドアが開くどころか、中からは何の反応もない。もう一度チャイムを押してみても、遼太郎の部屋はひっそりとして何の気配も窺えなかった。



――……遼ちゃん、もしかしてこの週末は家にいないんじゃ……?!



 東京に来さえすれば遼太郎に会えると思い込んでいたみのりは、ようやく冷静になって考え直した。




 遼太郎がコーチをしているラグビースクールは、週末に泊りがけでよく遠征に行くと言っていた。それとも、ゼミでの研究や就職活動などで、遠方に行っているのかもしれない。


 みのりは急いでバッグの中から携帯電話を取り出し、その画面に遼太郎の番号を表示させたが、発信ボタンを押す前に思い止まった。



――遼ちゃんが、自分のことに頑張ってるときに、余計な気苦労かけたくない……。



 遼太郎に連絡もせず、衝動的に突飛な行動をとってしまったことを、みのりは今更ながらに悔いた。遼太郎の事情も考えず、自分の気持ちを優先させるなんて、なんて愚かな女なのだろう。


 遼太郎に会えないことが寂しくて悲しいのと、それ以上に自分に対して情けなくなって、みのりの目からジワリと涙が滲んでくる。







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