初めてのあとで 6
「駅は、こっち?」
重くなった空気を払うように、みのりが明るい声で遼太郎に尋ねる。遼太郎も気を取り直すように、みのりの手を取った。
「駅は……こっちです。」
遼太郎が敢えて導いたのは、駅へと向かう回り道。駅に着くと、みのりは電車に乗ってしまう。今は少しでも長く、みのりと一緒にいたかった。
一緒にいられるあとわずかな時間、できるだけ穏やかな気持ちで、そして別れを告げるときには次に会えることを楽しみにして、お互いに笑顔を交わしたいと思った。
だけど、会えない時間の切なさは、なによりも身に染みている。その切なさに突き上げられて、みのりの手を握る遼太郎の手には、知らず知らずのうちに力がこもる。
みのりも握られている手をギュッと握り返して、遼太郎の気持ちに応えてくれた。たったそれだけのことで、胸がきしんで痛くなる。
「さっきのお店、素敵なところだったね。」
「もう九月も終わるのに、まだ暑いね。」
みのりが気を紛らわせようと、そんな当たり障りのない話題を幾度となく持ち出すけれども、切なさに覆いかぶされて会話は少しも弾むことはない。
流れていく時間を惜しむように、ゆっくりゆっくり歩いても、そうしているうちにとうとう駅に到着してしまった。改札口から少し離れた所に立ちすくんで、二人はどちらからもその繋いだ手を離せないでいた。
でももう、みのりが飛行機に乗るためには、時間の猶予はない。遼太郎は深く息を吸い込むと、思い切って口を開いた。
「……それじゃ、先生。」
「……うん。」
みのりは声を掛けられて、遼太郎を見上げた。
明るく別れようと、いつもの笑顔を見せるつもりだった。だけど、遼太郎の目を見た瞬間に感情の制御ができなくなって、涙が込み上げてくる。何とか我慢しようとしたけれども、意思に反してその涙は溢れて、零れ落ちてしまった。
「ごめんなさい……。こんなところで泣いたら、遼ちゃんを困らせるって分かってるのに……。」
うろたえたように俯くみのりを、遼太郎はそっと抱き寄せて、その胸で涙を受け止めた。大勢の人々が行き交う駅の真ん中で、遼太郎は人目を気にすることなくみのりを抱きしめる。
みのりも遼太郎をギュッと抱きしめ返し、溢れてくる涙を押し止めるように、その胸に顔を押し付けて鳴き声が漏れないように歯を食いしばった。
「離れ離れになるたびに、こんな思いをするのが怖くて……。遠距離恋愛なんて、私には無理だと思ったのよ。」
切なさに震えながら遼太郎にしがみついて、みのりが思いを漏らす。
遼太郎の胸も、会えなくなる寂しさに張り裂けそうだった。それでも、遼太郎は慰めとなる言葉を探して、みのりへとかける。
「年末には帰省します。帰ったら真っ先に、先生に会いに行っていいですか?」
「……でも、三ヶ月も先よ?おかしいよね。今まで二年半も会えなくて、今朝まではもう一生会わないでおこうって思ってたくらいなのに、たったの三ヶ月がこんなに遠いなんて……。」
二年半も会えなかったにも関わらず、お互いにその間ずっと想い続けていた。こんなにも深く想い合っているにも関わらず、再会して一緒にいられた時間があまりにも短すぎた。
「先生は毎日忙しくしてるから、三ヶ月なんてあっという間ですよ。」
遼太郎は自分自身にも言い聞かせるように、胸に顔をうずめるみのりにそう言った。すると、背中に回されたみのりの腕の力が緩む。
「うん……。そうだね。」
遼太郎の優しい言葉の響きを受けて、みのりはようやく顔を上げた。
泣いて赤らんだみのりの顔を見下ろして、遼太郎は思わずキスをしたくなったが、場所柄を考えて思い止まった。慈しむようにみのりの頬をなでて、そこに残る涙の粒を拭い取る。そうしてやっと、みのりはいつものように可憐な笑顔を見せてくれた。
「重いのに、ありがとう。」
遼太郎に持ってもらっていた旅行カバンを受け取って、みのりは歩き始める。遼太郎もみのりに寄り添って、改札口へ一緒に向かう。
「それじゃ……、行くね?」
改札口の前で、とうとうみのりが意を決すると、遼太郎はぎこちなく頷くだけの返事をした。
そして、みのりが背を向けて改札に入ろうとした瞬間、遼太郎は追いかけるように、もう一度ギュッとみのりの手首を掴んだ。引っ張られて驚いたみのりが、目を丸くして振り向く。
「もう……。遼ちゃん。」
まるで駄々っ子のような遼太郎を、みのりは微笑みながら優しく諌めた。遼太郎も唇を噛みながら突発的な感情を収め、みのりの手を離すと両手をジーパンのポケットに突っ込んだ。
みのりが改札を抜けて向こう側へ出ると、そこでもう一度振り返った。
「体に気をつけて、頑張ってね!」
笑顔で手を振るみのりに、遼太郎も応える。
「冬休みになったら、すぐに会いに行きます。」
みのりが笑顔のまま頷いて、ホームへ向かおうとしたとき、ふと遼太郎の背後から注がれる視線に気がついた。
その視線の主を確かめて、みのりの表情から笑みが消える。
向かい合う遼太郎も、そのみのりの異変に気付く。みのりの眼差しが自分にないので、それが向く先を探して振り向いた。
そこにいたのは、陽菜。
つい先ほど、みのりも心配していた陽菜が、二人を見つめたまま人々のざわめく駅の中に立ちすくんでいる。




