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Rhapsody in Love 〜幸せの在処〜  作者: 皆実 景葉
遼太郎のアパート
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遼太郎のアパート 6





「バカなことだろうがなんだろうが、大学を卒業して先生に会いに行くために、『宿題』をしておくことは、必要条件だと思ってました。先生が認めてくれる大人になって、もう一度先生の恋人にしてもらおうと思っていました。」



 遼太郎のあまりにも健気な心を知って、みのりはもう何も言えなくなる。遼太郎を見上げたまま、自分の中にせり上がってくる愛しさに、今にも呑み込まれそうになる。



「……先生の、今の気持ちを聞かせてください。」



 囁かれた遼太郎の言葉を聞いて、本当の気持ちが口を衝いて出てきそうになった。

 だけど、今の遼太郎の側には、陽菜がいる。こんな十二歳も年上の自分よりも、彼女の方がずっと遼太郎にふさわしい。きっと彼女と生きていく方が、苦労も少なく幸せになれる。



「言ったでしょう?プロポーズされてるって。私も、新しい別の人生を踏み出そうとしているの。だから、狩野くんも、いつまでもこんな私のことにこだわってちゃダメよ。陽菜ちゃんは歳も近いし、きっと楽しくやれるわ。」



 みのりは遼太郎から目を逸らして、足元を見つめながら、また遼太郎を突き放した。

 あまりの切なさに心が悲鳴を上げて、唇を噛みしめて我慢しているのに、涙が浮かんでくる。この涙が溢れだしてくる前に、遼太郎の前から姿を消してしまいたかった。



「それじゃあ、答えになってません。先生にプロポーズした人のことが好きなんですか?もう……、俺のことは何とも思ってないってことですか?」



 遼太郎も唇を震わせながら、みのりから真実を聞き出そうと必死だった。



「……そういうことね。」



 自分の心を偽るのが、こんなにも苦しいものだったなんて、みのりは改めて思い知った。


 一言発せられたみのりの返事を聞いて、遼太郎は震えていた唇をキュッと引き結んだ。


 高校生の時の遼太郎なら、ここで何も言い返せず、絶望していたかもしれない。だけど、今はもう、みのりに言われたことを素直に受け入れることしかできない子どもではなかった。


 遼太郎は、覚悟を決めたようにみのりの両腕を掴んで、みのりを正面から見据えた。そして、自分の中に生まれていた一つの確信を切り出した。



「……じゃあ、なんで?先生はなんで、この辺りにいたんですか?俺の家に来ようとしてたからじゃないですか?」



 切なさに震えていたみのりの心臓が、遼太郎に真実を突かれて、突然跳ね上がった。



「違う。ここに来ようなんて思ってなかった。散歩してたら、道に迷って……。」



 とっさにみのりは首を横に振って、遼太郎の言葉を否定した。胸が激しく鼓動を打ち始めて、自分でも制御できなくなるほど感情が乱れ始める。



 それは遼太郎も同じで、どうやって自分の心を表現したらいいのか、どうしたらみのりを繋ぎ止められるのか、もう分からない状態だった。



「嘘だ!!何の用もなく、こんなところに来るはずがない!」



 いつもの〝優しさ〟というフィルターがかけられず、遼太郎は思わず叫んでしまった。

 その激しさはみのりの心を貫いて、堪えていた涙が堰を切って溢れだしてくる。もう自分を偽ることができず、すべてをさらけ出すしかできなくなる。



「……嘘じゃない。ただ……。ただ、最後に狩野くんの姿を一度だけ見ようと思って……。それで、自分の気持ちに見切りをつけて諦めようって……。」



「諦めるって、なにを諦めるんですか?」



「狩野くんには、あんなに若くて可愛い彼女がいるから……、私なんて狩野くんにとってもう邪魔な存在だから……、この想いはもう諦めなきゃって……。」



 大粒の涙が止めどなく流れて落ちて、みのりの顔を濡らす。涙声を途切らせながら、その想いを遼太郎に打ち明けるとき、みのりの胸がキュウっと絞られて痛くなった。



 遼太郎の中にも、止まることのないみのりへの想いが溢れてくる。



――諦めなくてもいいです。



 そう言おうとしたが、愛しさが募ってなにも言葉にはならなかった。言葉の代わりにそっと腕を伸ばして、みのりを抱きしめた。




 二年半もの間、ずっと想い続けた人。

 その存在を確かめるように、遼太郎はギュッとその腕に力を込めて、懐深くにみのりを抱き込んだ。


 強くて優しい、昔と変わらない遼太郎の抱擁。

 遼太郎に包み込まれて、みのりの激しい胸の痛みも穏やかに鎮まっていく。遼太郎を想う切なさはいっそう増して、涙はもっと溢れ出てくる。



 遼太郎に抱きしめられながら、みのりはしばらくその胸で涙を拭い続けた。そんなみのりに、幾分冷静になった遼太郎が優しく囁きかける。



「俺が好きなのは、ずっと先生だけです。どんな人に出会っても、どんなに想ってもらっても、結局誰にも先生に対するような感情は抱けなかった。」



 遼太郎は別れたときと同じ心で、今でも想ってくれている。それを語る遼太郎の言葉が、涸れていたみのりのすべてを瞬く間に潤していく。


 遼太郎が語ってくれたように、みのりも本当の気持ちを表現する時だと思った。だけど、自分の心に素直になればなるほど、浮き彫りになってくる怖さがある。



「でも、これからだって……。就職したらまた世界が拓けるし、そこには十二歳も年上の私なんかよりもずっと、素敵な人がきっといるわ……。」



 腕の中でうつむくみのりを、遼太郎は抱擁を緩めて覗き込んだ。それから、きちんと自分の気持ちを伝えるために、もう一度みのりの両腕を掴んで、正面からしっかりと向き直った。



「俺が芳野を離れる時も、先生は同じことを言ってました。でも、何度同じことがあっても、それは関係ない。先生と離れてみて、はっきりと分かりました。どんな時でも何があっても、俺自身がどんなふうに変わっても、いつも心の中に想うのは先生だけ。それは、俺が死ぬまで変わりません。」



 遼太郎のまっすぐな目に表れた深い想いが、みのりの全身に沁みてくる。震える心を映した眼差しで、みのりも遼太郎を見つめ返す。



「……もし、俺のためにと思ってくれてるのなら、俺の側にいてください。俺がこれから生きていくうえで何よりも必要なのは、先生なんです。」



 もうみのりは、自分を偽ることができなくなった。遼太郎がいなければ生きていけないのは、みのりの方だった。



「……遼ちゃん……!」



 みのりの想いは何も言葉にならず、瞳を閉じ涙をこぼしながら、ただ遼太郎の名を呼んだ。それは、遼太郎を〝恋人〟として呼ぶときの、呼び方だった。



 それが遼太郎の胸に響いて、想いがいっそう込み上げてくる。

 遼太郎はみのりを抱き寄せて見つめ合うと、その唇に口づけた。みのりも、そうしてくれるのを待っていたかのように、遼太郎をギュッと抱きしめ返しながらキスに応えた。



 まるで、あの春の日に、みのりのアパートで交わしたキスの続きをしているようだった。

 今はあの時よりも幸せな切なさを伴って……、溢れてくる想いのままに夢中でキスを重ねた。








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