遊園地 10
非難した休憩所は、自動販売機が1台とプラスチック製のテーブルとイスがあるだけの粗末なもので、気を付けていないと見落としてしまいそうな場所だった。照明も器具はあるが、節電のためか蛍光灯は取り外されていて、室内は雨のせいもあって薄暗い。
二人きりの休憩所を激しい雨音が包み込んで、本当にここがにぎやかな遊園地の中かと疑ってしまうような感覚になる。
遼太郎が羽織っていたボタンダウンのシャツの肩を、みのりがタオルハンカチで押さえていると、みのりの手を遼太郎の大きな手が覆った。
「…もう、滲みこんでしまってて、拭いても意味ないですよ。そのうち、渇きます。」
遼太郎は笑顔を作って、みのりの手からハンカチを抜き取る。そして、みのりがいつまでも自分の顔を拭かないので、遼太郎は腕を伸ばして、みのりの顎に溜まった水滴を押さえた。
頬に張り付いた濡れた髪を撫でつけ、前髪に滴る雨水をふき取るのと同時に、髪に半分隠されていたみのりの顔がはっきりと現れてくる。
自分を見上げるみのりの澄んだ美しさに、遼太郎は胸に切なく甘い痛みが走るのを感じた。
「…なんか、こうやって先生を拭いてあげるこのシチュエーション、何度もありますね…。」
遼太郎が語りかけると、同じことを思っていたのか、みのりも遼太郎を見上げるその顔に笑みを浮かべた。
「…泥まみれになって、それはそれは悲惨だった時もあるわね…。」
みのりの自虐的な言葉に、第2グラウンドの水たまりに突っ伏してしまったみのりを思い出して、遼太郎も口元をほころばす。
箏曲部の大会の後、みのりが吉長の出産に立ち会って帰校する途中で遼太郎に会い、泣いてしまった時も…。
花園の決勝戦で、遼太郎への想いを自覚して涙が止まらなかった時も…。
そして、遼太郎に告白されて、みのりも想いを伝えた時も…。
遼太郎は優しく、みのりの涙を拭ってくれていた。
それらのことが思い出されるにつれて、みのりの中に、その時その時の想いが甦ってくる。
自分の中に芽生えた感情への戸惑い。その気持ちを自分で認めた後、許されない恋の苦しさ。苦しいけれども、どうしようもなく深まっていく遼太郎のへの想い。
遼太郎は、そんなみのりをずっと想い続けてくれていて、ずっと見守ってくれていた――。
その時、みのりの心の堰が切れて、満々と湛えられていた想いが溢れ出した。
たった今、遼太郎がきれいに雨粒を拭い取ったみのりの頬に、水滴が零れ落ちる。
「…先生…?」
突然涙を落とし始めたみのりに、遼太郎は驚いて、その顔を覗き込んだ。
みのり自身、予想外の自分の反応にうろたえて、思わず両手でその顔を覆った。
両手を拳に変え、自分の中の深い底からかき乱されて溢れ出してくる激しい感情を、何とかして押し止めたかった。
それを表現せずに済むように、みのりは必死で堪えようとした。
高校生や大学生が謳歌し楽しむような、刹那的で軽い恋愛ではない。
辛すぎることもあった様々な恋愛を経験してきて、それでも人を好きになってしまった深い想い。自分でももてあまし制御できなくなるような激しい感情。
みのりはそれを、自分の中に押し止めておくことに、我慢ができなくなってしまった。
体中が緊張して、震えが走る。あまりの息苦しさに、みのりはとうとう一言絞り出した。
「…遼ちゃん……!!」
自分の名を呼ぶその一言は雷となって、遼太郎を打ちつけた。
どう応えていいのか分からなくて、触れることはおろか言葉をかけることさえできずに、ただ見守ることしか出来ない。
一言発してしまうと、みのりの中の込み上げるその想いは、次々と溢れ出して激流となる。抑えられない感情を、どうコントロールすればいいのか、みのり自身にも分からない。
みのりは無意識に、遼太郎へと助けを求めた。拳を顔に付けたまま、遼太郎の首の付け根へと頭を押し付ける。
「…遼ちゃん…!遼ちゃん…!遼ちゃん……!!」
暴れ出した想いを、どう処理していいのか分からなくて、みのりはただ遼太郎の名を繰り返した。
きっと遼太郎は困惑している――。
いきなりこんな激しい感情を突きつけられても、若すぎる遼太郎にはきっと受け止められないだろう。
それは、みのりにも充分に解っている。だけど、一度堰を切った想いの流れは、すべて流れ出してしまわなければ、鎮めることは叶わなかった。




