再会の日 6
「狩野くんは目立つ方じゃなかったけど、真面目で優秀な生徒だったわよ。……午後の授業じゃ、たまに起きてるフリして居眠りしてたこと、私はちゃあんと気づいてたけどね。」
少しユーモアを交えて、この場の雰囲気を和ませて楽しくしてくれるのも、みのりらしいところだ。みのりの思惑どおり、陽菜はまた楽しそうに笑い声を立てた。
「先生は、何の教科の先生なんですか?」
機転の利く陽菜は新たな質問をして、話を盛り上げようとする。そんな陽菜を、みのりもじっと観察するように見つめながら、質問に答える。
「私は、専門は日本史なの。狩野くんのお姉さんも教えたし、今は弟くんも教えてるのよ」
「ええっ!?狩野さんって、三人姉弟だったんですか?知りませんでした〜!」
遼太郎に関する新たな事実を見つけて、陽菜はいっそう嬉しそうに笑顔を輝かせた。
「そうだ。狩野さんの周りに、日本史が得意な女の子、いませんでした?」
身を乗り出して、真剣な表情になって、陽菜がさらに尋ねてくる。質問の真意が分からず、みのりは首を傾げた。
「狩野さんの昔の彼女、日本史に詳しかったって聞いたんで。」
付け足してそう言った陽菜の言葉に、みのりの〝教師の仮面〟が一瞬剥がれ落ちてしまう。浮かべていた微笑みが消え、正面に座る遼太郎の表情を、思わず確かめてしまった。
その遼太郎の眼差しが、切なさの影を帯びる。目が合ったこの瞬間に、二人の間には、かつて共有したかけがえのない大事な時間がよみがえっていく。
「先生は、その彼女のこと何か知りませんか?」
問い直されて、みのりは我に返って陽菜へと視線を合わせた。
「さあ?どうだったかな?私が教えている中じゃ、狩野くんが群を抜いて一番優秀だったんだけど。そもそも、狩野くんに彼女なんていたの?」
思い出すたびに体が痺れて震えが走るようなキスを、遼太郎と交わしていたのは、誰でもない目の前にいるこのみのりだ。こんなしらじらしいことを言ってのけるみのりを、遼太郎は複雑な気持ちで見つめた。
「ええ、いたらしいんです。どうも、大学に入ってからの彼女じゃないみたいだし。」
サラダをパクパク食べながら、陽菜がその事実を暴露すると、みのりは少し意外そうに目を見開いた。
「……狩野くん。大学生になって、彼女がいたの?」
どちらに向けられたものかは、はっきりしない問いだったが、遼太郎は憮然として口を開かず、代わりに陽菜がそれに答えた。
「そうなんです。こんな堅物そうに見えるのに、一年生のときと二年生の時に、いたんです。一年生の時の同級生の彼女は、とっても可愛い人なんですよ!」
調査が得意な陽菜にしてみれば、遼太郎の過去の彼女のことを調べることも容易かったはずだ。きっと、陽菜に気を許している佐山あたりから聞き出したのだろう。
過去の彼女のことは、みのりから出された〝宿題〟をやっただけのことだ。いつかはそれを、みのりに知らせなければならないことなのに、今はこのことを話題にしたくなかった。
「……そんな、俺の昔の彼女の話なんて、今、先生にしなくたっていいだろ?」
遼太郎は否定することなく、憮然な表情のまま怪訝そうなため息を漏らして、取り分けられたサラダを矢継ぎ早に口に放り込んだ。
そんな遼太郎を見て、みのりはつくづく思い知った。自分はもうとっくの昔に、遼太郎にとって〝過去の存在〟になっていたのだと。
遼太郎は、大学という場所でたくさんの出会いを得て、その中から心を通じ合わせる存在を見つけていた。
それは驚くべきことではなく、ましてや心を傷めることでもなく、みのりも初めから想像していたことだった。みのり自身がそうするべきだと遼太郎に助言し、そのためにあの日、別れという選択をしたはずだった。
心が冷たくなって凍りついていくような感覚を覚えながら、みのりも目の前にあるサラダを口に入れ、噛んで呑み込んだ。
陽菜は、遼太郎に不機嫌な態度を取られても、めげるどころではない。ケロッとした表情で肩をすくめると、今度は興味の対象をみのりへと向けた。
「先生は、ご結婚はなさってないんですね?」
みのりは、その事実を指摘した陽菜の洞察に、目を丸くした。
「……あら、どうして分かるの?」
「ピアスをしている人が、結婚指輪は付けないなんて、あんまりないんじゃないかと思って。」
自信ありげに微笑む陽菜を見て、機転が利いて可愛いだけではなく、とても賢い子なんだろうとみのりは思う。
「そう、当たり。結婚はしてないの。」
「でも、そんなにお綺麗だから、彼氏くらいはいるんじゃないですか?」
「仕事が忙しくて、彼氏なんか作る暇もないんだけど……、」
陽菜との会話の中で、みのりはそこで言葉を切って、視界の端で黙々と食べている遼太郎を捉えた。
今の遼太郎には、この陽菜がいる。みのりが思い描いていた以上に、理想的な〝彼女〟がいる。この陽菜とならば、遼太郎もきっと楽しく幸せに生きていける……。
みのりは、遼太郎への未練をにじませて彼を迷わせてはならないと思った。自分も過去のことは振り切って、新しい一歩を踏み出していると、振る舞う必要を感じた。
みのりは考えた末に、その事実を告げる決心を固めた。
「……でもね。実は、プロポーズはされてるの。」
その言葉を聞いた瞬間、食べていた遼太郎の手が止まった。
「えっ?!彼氏はいないのに?」
「ええ、お見合いして、そのお相手の人から。一度は断ったんだけど、もう一度申し込まれて……。」
「断ったって、……ブサメンだったんですか?」
陽菜の受け応えに、思わずみのりが笑いを漏らす。
「ブサメンじゃないわ。びっくりするくらいイケメンだし、新聞記者のインテリよ。」
「新聞記者さんと高校の先生だったら、お似合いじゃないですかぁ!」
みのりの結婚話で盛り上がる、和気あいあいとした二人の会話は、まるで女子会のようだった。楽しげな二人の側で、遼太郎は息を潜めて固まっていた。




