夏合宿、恋模様 11
並べられている本を一通り見渡すと、その中の一冊が際立って遼太郎の目の中に飛び込んできた。
『環境の日本史』
思わずその本がある所へ歩み寄って、見覚えのあるそれを手に取ってみる。
「あ、その本!今日の展示のこと、書いてそうですね。」
遼太郎の腕に頭を付けて、陽菜が覗き込んでくる。
そのあまりの近さに、ピクリと遼太郎は反応したが、敢えて陽菜を振り払うようなことはせず、懐かしい本をペラペラとめくってみた。
「読んでおくと良さそうな本だけど……、おいくらですか?……うわ、5000円!」
本の裏表紙に印刷されてあるその専門書の値段に、陽菜が驚いて目を丸くする。
驚く時に左手を口に当てる…そんな仕草も、陽菜はみのりを連想させる…。
一介の学生にとって、本1冊に5000円をかけるというのは、なかなかハードルが高いのだろう。そんな陽菜の言葉を聞いて、遼太郎はフッと息をもらした。
「大丈夫、この本はもう持ってるから。」
「えっ?持ってる?」
「うん。高校を卒業する時に、日本史の先生からもらったんだ。」
「ええっ?!こんな高価なものを?」
「…うん。」
と、返事をしながら、日本史の卒業レポートの目処がついて、これと同じ借りた本をみのりに返しに行った時のことを思い出す。
あの時はまだ想いが通じ合う前だったが、みのりは本を差し出して、
『この本は、狩野くんが持ってていいよ。これから、役に立つかもしれないし。』
そう言って渡してくれた。
あの時、すでに自分のことを想っていてくれていたみのりは、その本心を隠しながら、卒業していく自分にこの本を託してくれたのだと思う。
あの渡してくれる時の、みのりの少し寂しそうな柔らかい笑顔を心に浮かべると、今でも胸がキュウっと痛くなってくる。
これ以上思い出に浸ってしまうと、普段の平静な自分ではいられなくなる……。
そう思った遼太郎は、息苦しさを紛らわせるように本を閉じて、元の場所へと戻した。
すると、それを待っていたかのように、陽菜が遼太郎の腕を抱えるようにして引っ張った。
「あっちにも、それっぽい本がありますよ!」
けれどもその時、視界に入ってきた白く細い腕が、なぜか遼太郎の目に留まる。
その腕は、まるでスローモーションのようにふわりと動いて……、たった今遼太郎が置いたばかりの本を手に取った。
腕を見ただけなのに、ドキッと胸が反応し、デジャヴのような不思議な感覚に襲われる。
釘付けになった視線は導かれるようにその腕をたどって、その人物を確かめる。
その腕の持ち主も、遼太郎のことを感じ取ったらしく、同じような趣きで遼太郎へと視線を投げかけた。
視線がぶつかった瞬間、遼太郎の呼吸が止まり、感覚も記憶も全てがなくなった。
「………先生………。」
ただその一言が、無意識のうちに遼太郎の口からこぼれ出た。
お互いに視線を動かせず、それから何も言葉にならない。
だけど、そこに立って本を握りしめているのは、紛れもなく〝みのり〟その人――。
この2年半もの間、何度も何度も心に描いてきたその人を間違えるはずはない。
あんなに狭い芳野の街では一度も出会えなかったのに、こんなに大きな東京の中で出会えてしまうなんて……。
止まっていた二人の時間が、突然再び動き始めた……。




