夏合宿、恋模様 5
この日の夜は、合宿最後の夜ということで、勉強はしばし忘れて懇親会が開かれる。
予算を抑えての旅行なので、有名旅館のような豪華な料理は出てこないが、お酒が入ると皆はいっそう打ち解けて、楽しい雰囲気の会となった。
陽菜はこの時も何気なく遼太郎の側にいて、相変わらず無敵な笑顔を振りまいていた。3泊4日、ずっと一緒にいられるこの合宿で、一気に遼太郎との距離を縮めて、もっと親しくなろうという策略のようだ。
これを見て、心穏やかでないのは、樫原だった。教授と遼太郎、そして陽菜が、真面目にだけど楽しそうに話をしている。その輪の中に入って行きたいとは思うけれど、端で見ている者がそこに割って入っていくには、いささか勇気を要した。
「おーい!それじゃ、花火するよ~。」
レクレーション担当のゼミ生の一人が声をかけると、皆ぞろぞろと民宿の中庭へと向かった。
小さな民宿なのでゼミ生以外は泊まっておらず、宿の了解さえ取れれば、多少は気兼ねなく騒ぐこともできる。
ただの手持ちの花火しかないが、友達同士でやればそれなりに楽しい。
陽菜は無邪気に花火に興じ、遼太郎はゼミ生たちが楽しそうにしているのを、中庭の片隅から眺めていた。
普段の慌ただしさが嘘のように、ゆっくり流れていく時間。
色とりどりに輝く花火の刹那的な美しさ…。
その光景を見ていて、不意に遼太郎は意味もなく不安になった。
今の自分は正しい場所にいるのだろうか…。こんなことをしていてもいいのだろうか…。
大学生活も、あと半分も残っていない。早くみのりに会いに行きたいと思う反面、みのりに会いに行ける人間になるための時間の猶予が、あまりないことに焦りもあった。
この不安が一旦心に過ると、普段の自分を取り戻すのに、それなりの時間を要した。遼太郎は少し一人になりたくなって、中庭の片隅から密かに姿を消した。
その遼太郎の動きに、敏感に反応した者が二人いた。陽菜と樫原だ。
まだ火花を放っている花火を投げ捨てて、すかさず遼太郎を追って中庭を出て行こうとする陽菜。そんな陽菜に気が付いて、樫原は反射的にその行く手を阻むように立ちふさがった。
「…どこ行くの?」
樫原が声をかけても、陽菜は遼太郎のことしか頭にないようだ。二人きりになる絶好のチャンスを逃したくないのだろう。
「いえ、ちょっと。あっちに用があって。」
と、適当なことを言いながら、ろくに樫原に目を合わせようとしない。
「狩野くんは一人になりたいんだよ。どうしてそんなにまとわり付くの?」
という樫原の忠告を無視し、陽菜は樫原の横をすり抜けて、遼太郎を追っていこうとする。
「はっきり言って、狩野くんが迷惑してるよ。しつこい女は嫌われるんだよ?」
自分の背中に投げかけられた言葉を、陽菜は聞き捨てられなかったらしい。立ち止まると、忌々しさをにじませた顔をして振り向いた。
「……狩野さんが迷惑だって言ってたんですか?」
遼太郎に話しかける時とはまるで違う、低い声で樫原を威圧した。
「狩野くんが言ってたわけじゃないけど。」
その陽菜の豹変ぶりに内心驚きながら、樫原は受けて立つ覚悟を決める。
「私は狩野さんの役に立ちたくて、頑張ってるだけです。役に立つには、側にいなきゃできませんよね?」
「役に立ちたい…っていうより、狩野くんのことが好きだから、つきまとってるだけでしょ?」
樫原はそう言って、核心を突いたつもりだったが、陽菜は逆に開き直った。
「そうです。私は狩野さんのことが好きです。一緒にいればいるほど、もっと狩野さんのことが好きになりました。だから、しつこいと思われても何でも、私は頑張るしかないんです。だからいつかは、きっと狩野さんも振り向いてくれるって信じています。」
陽菜の言葉を聞きながら、樫原の中に怒りが込み上げてくる。気立てのよい気がつく女を演じて、その実はただの自己中な陽菜。この女から遼太郎を守らなければ……、樫原はその一心だった。
「そういうの、すごくウザいってこと、少しは自覚したら?」
樫原のその一言を聞いて、陽菜の顔も怒りで覆い尽くされ、険しい目で樫原を睨みつけた。
「私をウザいって思ってるのは、狩野さんじゃなくて樫原さんの方じゃないんですか?」
「………!!」
陽菜の視線に射抜かれ、陽菜のその鋭い言葉に本心を衝かれて、樫原の身体がすくみ上がる。唇が震えて、何も言い返すことができなくなってしまった。
すると、そんな樫原を見て、陽菜は勝ち誇ったような不敵の笑みを浮かべた。
「いくら樫原さんがやきもちを焼いても、虚しいだけですよ。少なくとも私は女ですから。私は樫原さんみたいに、最初から『恋愛対象外』っていうわけじゃありませんから。」
そう言うと、立ちすくむ樫原に視線を残しながら背中を向けて、陽菜は中庭を出て行った。
きっと、どこかで佇む遼太郎のもとへ駆けて行くのだろう。フワリと天使のようなチュニックを着たその後ろ姿が、夜陰に紛れていくのを、樫原はただ見送ることしかできなかった。




