不本意なデート 9
北参道を通り森を抜けて、代々木駅方面に出ると、街の喧騒が再び戻ってくる。
夕食にちょうどいい時刻にもなり、駅へ向かう道を歩きながら、適当なイタリアンレストランを見つけてそこに入った。
緑を配したテラス席のある可愛い店で、遼太郎は落ち着けるその1席を希望して案内してもらう。
リードしてくれているのに押し付けがましくなく、きちんと女子の嗜好も押さえてくれている…。
普段女っ気がない遼太郎だが、こんなところに女性と付き合った経験が、微かにかいま見える。
普段の遼太郎を観察して、陽菜は勝手に〝硬派で女には興味がない〟人物像を作り上げていた。強い押しで迫っていけば、優しい遼太郎はすんなり心を開いて、自分を受け入れてくれると思い込んでいた。
でも、どうやらそうではなかったようだ。
向かいに座って楽しくなさそうにスパゲッティを食べる遼太郎を見て、陽菜は落胆した。遼太郎と親しくなるために、数か月かけて練った計画は、成功とは言えないみたいだ。
陽菜の売りである〝ポジティブさ〟もさすがに鳴りを潜めて、もう遼太郎にかける言葉さえ見つからない。
内心ため息を吐きながら、陽菜が食事を食べ終わる頃、店員が可愛らしく美味しそうなデザートプレートと飲み物を陽菜の前に置いた。
「…え?私、デザートは頼んでませんけど。」
反射的に、陽菜が店員に声をかける。すると、先に食後のコーヒーを飲んでいた遼太郎が、それを遮った。
「俺が頼んでおいたんだよ。君が頼んだメニューだけじゃ、到底チケット代には足りなかったから。」
遼太郎が思ってもみなかった気遣いをしてくれたことに、陽菜の表情が感激で活き返る。
「ありがとうございます…!」
「…いや、俺の方こそありがとう。オールブラックスの試合を観ることが出来て、本当に感謝してる。それに、明治神宮も付き合わせてしまって…、ずいぶん歩いたから疲れただろう?」
そして、遼太郎からのそんな優しい言葉は、しおれていた陽菜の心に甘い雨となって降り注いだ。ケーキにシャーベットにフルーツ、デザートの盛り合わせを食べながら、自分の中にやる気と勇気が充填されていくのが分かる。
陽菜は、まだ諦めるわけにはいかなかった。まだ何も、きちんと言葉にして、遼太郎に意思表示をしていないのだから。
店を出て駅まで向かう短い道のりの間に、かねてより心に決めていた計画の最後のミッションを遂行しようと、陽菜は勇気を振り絞って思い切ってみた。
「…今日は、狩野さんを騙すようなことをして、すみませんでした…。でも、私がどうして、嘘を吐いてまで狩野さんを誘い出したのか、狩野さんには解りますか…?」
並んで歩いている陽菜からそう問いかけられて、遼太郎はチラリと陽菜を一瞥した。
陽菜から恋愛感情を持たれている――。
それは、遼太郎自身も気づきたくないことだった。出来ることなら、こんな話はせずに、このまま今日は別れたかった。
遼太郎は、陽菜にも聞こえるほどのため息をついてから、苦みを含んだ面持ちで口を開いた。
「解るよ。……だけど、その気持ちには応えられない。さっきも言ったはずだ。『好きな人』がいるって…。」
「…でも、その人は『彼女だった』って…。今は付き合ってないんですよね?別れたのに、忘れられないってことですか?」
こんなにもはっきりと断っているのに、陽菜も後には引けないのか、しつこく食い下がってくる
「…だったら、私が忘れさせてみせます。狩野さんに、その人よりも好きになってもらえればいいんですよね?」
「無理だよ。…とにかく、俺は、誰とも付き合う気はないから。」
女の子ともきちんと付き合う――。
あの春の別れの日に、みのりから出された〝宿題〟をもう一度やってその経験を増やすのなら、このまま陽菜の想いを受け入れてもいいのかもしれない。
けれども、例え付き合うことになっても、遼太郎は同じ想いを彼女に返せない。それは、初めから分かりきっていることで、彩恵と付き合った時の苦い経験を、もう二度と繰り返したくなかった。
しかし、陽菜のポジティブさは、遼太郎のそのくらいの言葉ではへこたれない。
「今はそうかもしれません。でも、先のことはどうなるか分かりません。」
と、まっすぐな目で遼太郎を見上げ、一縷でも望みを見つけ出そうとしているようだ。
――俺のこと、何も知らないくせに、何言ってんだコイツ…。
遼太郎ほうんざりして歯ぎしりした。こんなふうに粘られては、可愛いと思うどころか煩わしいばかりだ。
苦虫を噛み潰したような顔をして、何も答えない遼太郎に、陽菜はさらに言葉を続ける。
「さっきも狩野さん言ってましたよね?『なりたい自分になるために努力してる』って。だから、私も努力します。精一杯頑張ってもいないのに、諦めちゃいけないんです。」
これを聞いて、遼太郎はハッとした。
自分の中に、いきなり鮮明な思い出が蘇ってくる。
『諦めるのは、本気で頑張った人だけが許されることなのよ』
高校生の時にみのりが言ってくれた言葉が心に響き渡って、陽菜の言葉がそれと重なった。
あたかもみのりがそこにいて、その言葉を言ってくれたような錯覚に陥って、陽菜の顔を見つめたまま固まってしまう。
それを陽菜は、遼太郎が自分のことを肯定してくれたと解釈したようで、ニッコリと愛らしく、それでいて不敵な笑みを湛えた。
「狩野さんに好きになってもらえるように、…私、頑張ります!!」
そう宣言すると、ぺこりと頭を下げる。そして、きびすを返すと、先に駅の改札の方へと駆けて行った。
厄介なことを抱え込んでしまって、半端ではない気の重さで遼太郎の心が曇ってくる。改札前の雑踏の中で、遼太郎はこの日一番に深い溜息を吐いた。
「前へ」と向かう足は止まり、途方に暮れて立ちすくんだ。




