不本意なデート 8
うっそうと生い茂る様々な樹木。木々の発する澄んだ空気とエネルギーに囲まれて、その気を胸いっぱいに吸い込む。高い梢を見上げても東京の高層ビルを見ることは出来ず、ここが東京の真ん中だということも忘れてしまいそうになる。
「……東京の真ん中にも、こんな森が残っているところがあったんですね。知りませんでした。」
陽菜も同じことを感じていたようで、その心の中の感嘆を、そうやって言葉にした。
しかし、この陽菜の発言に、遼太郎は同意するどころか、少し呆れたように面白そうな息を抜く。
「この森は、『残っている』森じゃないよ。人間が作り出した森なんだ。」
それを聞いて、陽菜は驚き、今日一番の目の丸さを見せてくれた。
「……これ、人間が作ったって?…だって、どう見ても、自然の森にしか見えない!!」
陽菜の思い描く人工の森は、杉や檜が整然と植えられている…そういうものだと思い込んでいたのだろう。
「うん、大木の下には小さな木が生えて、地面には苔やキノコもあって…、いろんな生物が旨く共生して、本当に『自然の森』だね。だけど、100年前の人間が、何もないところに木を植えて、この森は始まったんだ。この〝自然〟は人間が作り出した〝環境〟なんだよ」
「ええっ!?100年前までは何もなかったんですか?!」
「何もないというか、江戸時代には大名の屋敷があったらしいけど。さっき見た『清正の井戸』。あれも、あそこに加藤家の屋敷か何かがあった名残りだろう?」
「……へ?加藤家…?」
そんな陽菜の反応を聞いて、遼太郎は本当に呆れたような声を出した。
「清正って、加藤清正のことだろ?豊臣秀吉の家臣の。土木の神様って言われてたから、井戸を掘るのもお手の物だったんだろうな。」
「へえぇ~!!狩野さんスゴイ!!歴史にも詳しかったなんて、知りませんでしたー!!」
陽菜が胸のところで両手を組んで、尊敬と憧れの目で遼太郎を見つめる。
そんな大きくキラキラした目で見つめられても、遼太郎の心は陽菜の可愛さにときめくどころか、一瞬にして切ない思い出の中に飛ばされる。
肩を並べて勉強を見てもらった、朝の学校の渡り廊下……。
お互いの息遣いさえ聞こえてくるように静かで、誰にも侵されない時間……。
「……ずっと前に、〝ある人〟に教えてもらったんだよ。この神宮の森のことも、清正の井戸のことも。」
「『ある人』…って?」
他意のない目で、陽菜が訊き返す。
日が傾き、重なり合う木々の梢が作るほの暗い影の中で、遼太郎はしっかりと陽菜に視線を合わせて、少し言いよどんだ。
遼太郎から真面目に見つめられて、陽菜は少し照れて嬉しそうに、戸惑ったような表情を浮かべる。
「……ある人っていうのは、……俺の好きな人だ。」
しかし、遼太郎のその言葉を聞いた瞬間、陽菜の胸の中には不安の火が熾り、その顔から笑みが消える。しかし、陽菜は『好きな人』の意味を確かめるべく、思い切って切り出した。
「…好きな人って?男の人ですか?尊敬する人とか?」
陽菜は直感的に、歴史に詳しい人物だから男だと思ったのだろう。遼太郎はそれを聞いて、薄く笑うと首を左右に振った。
「確かに、尊敬する人でもあるけど…。好きな人って言えば、普通は女の人だろう?…俺の『彼女』だった人だ。」
決定的な事実を知って、思わず陽菜は唇を噛んだ。
そんな陽菜の反応を、遼太郎は注視して観察する。
恋愛に関しては、心の周りに強固な柵を作り上げているのに、陽菜は遠慮もなくその柵を乗り越えて、遼太郎の領域に入り込んで来ようとしている…。遼太郎は面倒なことになるのを恐れ、予防線を張るのに必死だった。
ここまで言えば、〝その気がない〟ことを宣言しているのと同じことだと思った。
案の定、陽菜は言葉少なになった。他愛のない大学の話題が出てきても、陽菜が努力しない限り会話は成り立たないので、大半はただ黙々と神宮の森の中を歩いた。
するとその時、突然二人の前を、何かの生き物がすばやく走って横切っていった。驚いた陽菜が、思わず口を開いた。
「…何ですか?今の。…犬?!」
「いや、犬じゃなくて、多分タヌキだろう。」
「…えっ?!タヌキ!?」
「野生のタヌキが住めるほどの森が、こんな都会の真ん中にあるなんて、やっぱり驚きだな。」
驚いていたのは遼太郎も同じで、その心の内の感覚を素直に表現する。
それをきっかけに二人とも構えることなく少し打ち解けて、大学のゼミ室で会う先輩と後輩のように、普通に無難な会話は交わせるようになった。




