さまよう心 3
その時、玄関のドアが閉まる音がして、鼻歌が聞こえてきた。
「ただいまぁ~。表に車が停まってたけど、誰かお客さん?」
という声を響かせながら、リビングに俊次の大きな体が姿を現し、みのりの顔を見るや否や、固まった。
「…な、なんで、…みのりちゃん?!…え、お、俺?俺、何かした…!?」
そして、突然意味もなく焦り始める。自分が学校で何か問題を起こしたので、みのりが来ている…と思い込んでいるようだ。
「俊次!そんなに焦るなんて、何か変なことでもしてるの?仲松先生は、家庭訪問にいらっしゃってるんでしょう?」
母親が恥ずかしそうな声を上げると、俊次も状況を把握して、いつもの調子が戻ってくる。
「なぁんだ、みのりちゃん。まだ家庭訪問に来てなかったのかよ~?」
と、スポーツバッグを放り投げ、側にやって来てソファーに座ろうとする。すると、すかさず母親が叫んだ。
「ああっ!俊ちゃん!!ダメよ、座っちゃ!!」
反射的に、俊次は空気イス状態で、動けなくなった。
訳が解らないのと、その母親の大きな声に、みのりが驚いて目を丸くする。そんなみのりの反応を見て、母親は顔を赤らめて口を押さえた。
「……座るのは、シャワーを浴びてきてからよ……。」
部活をして帰ったから、俊次は砂と泥にまみれているはずだ。なるほど…と言った表情で、みのりも俊次を見上げると、俊次はスゴスゴと腰を上げ、リビングを出て行った。
俊次の存在は本当に不思議で、遼太郎の面影を宿してみのりを切なくさせると同時に、その切なさを上手に紛らわせてくれる。
少し意地っ張りでへそ曲がりなところをみせつつも、根は遼太郎と同じ純粋で明るい俊次は、いつでもみのりの心を明るく照らしてくれた。
俊次は速攻でシャワーを浴びてきたらしく、10分足らずでさっぱりした姿を再び現した。
大きな体を、みのりの隣に移動させ、おしゃべりに興じ始める。
俊次のペースにはまってしまい、これでは〝家庭訪問〟というより、ただの雑談になってしまったが、親子仲は疑う余地もないくらいに良好なようだ。
この家の暖かさが感じられて、みのりも自然と柔らかい笑顔になった。
「それじゃ、最後に俊次くんのお部屋を見せてもらえる?」
帰り際に、みのりがそう提案すると、俊次の顔色が変わった。
「…な、なんで、俺の部屋を?!」
「他の子も、できるだけ見せてもらってるの。どんな環境で勉強してるのか、確認するために。」
「…べ、勉強なんて、家じゃ全くしてないんだから、見せる必要なんかないじゃないかっ!」
焦る俊次を傍目で見ながら、母親がその無駄な抵抗を一蹴する。
「見てもらったら、到底勉強ができる机じゃないって解ってもらえるから、つべこべ言わずに部屋にご案内して!」
母親のその言葉を頑強に拒むほどの根性もなく、俊次は言われるまま、しぶしぶみのりを2階へと連れて行った。
母親のあの言い様では、俊次の机はおろか、部屋自体もさぞかし散らかっているのだろうと、みのりは想像する。
すると、俊次がドアを開いて入れてくれた部屋は、思いがけないくらいすっきりと片付いていた。
窓辺と机とベッドと、部屋を一通り見回して……、自分を取り巻く空気に、みのりの全てが反応した。
ここは、遼太郎の部屋だ。
俊次に確かめなくとも、この部屋のそこかしこから遼太郎の息吹きを感じ取って、遼太郎に包み込まれているような気がした。
心と体に残る、遼太郎に抱きしめられた時の感覚――。それが呼び起こされて、頭の中が遼太郎のことだけで埋め尽くされた。
心臓が激しく脈打ち始める。目の奥が熱くなって涙が込み上げ、体の震えが抑えられなくなる。
俊次の存在など忘れ、もう自分を制御できずに、「遼ちゃん…!!」と、思わず叫んでしまいそうになる。
「こら!そこは、遼太郎の部屋じゃないの!!」
その時、母親の声が響いて、みのりは辛うじて我に返ることができた。
「…か、母さん。なんで言うんだよ?!言わなきゃ、分かんないのに!」
「何言ってるの!あなたのあの散らかった部屋を、きちんと先生に見てもらいなさい。」
という親子の会話を聞きながら、みのりは胸に手を当てて、必死で心を落ち着けようとした。
大きく息をして、動揺を紛らわせるように口を開く。
「…お母さんに言われなくても、すぐに分かったよ。あのポスター、元オールブラックスのスタンドオフの選手でしょ?」
みのりが指をさした先には、「ダン・カーター」の小さなポスターが貼られていた。スタンドオフをしていた遼太郎の、あこがれの選手だったのだろう。
「すっげー!さすが、みのりちゃん!よく知ってるじゃん!!」
自分の部屋のことから気を逸らそうと、俊次がみのりをはやし立てる。しかし、母親はそれを気にも留めず、みのりを手招きして、隣の俊次の部屋を見せてくれた。




