祇園祭の夜 8
「…大丈夫ですか?」
蓮見の腕が背後から回され、みのりの両腕を掴んで支えてくれている。度重なる失敗に、みのりは恥ずかしさのあまり顔に血が上り、今度はお礼さえも言えなかった。
そんなみのりに蓮見はほのかに笑いかけたが、意を決するように唇をキュッと引き結ぶと、もう一度みのりの手を握った。
今度は偶然などではなく、意志を持って握られたことに、みのりの眼に戸惑いが過る。
「…人ごみの中では、危ないですから…。」
そんなふうに言われると、転びそうになるのを助けてもらった手前、みのりもこの手をむやみに振り払うことができなくなる。しょうがなく、そのまま蓮見に手を引かれ、黙って歩き始めた。
手を繋いで歩くかたちになってしまい、傍目で見るときっと恋人同士に見えるだろう。それでなくても、際立っているこの二人の容姿は、周りをそぞろ歩く人々の目を引いた。
ドキドキと心臓が不穏にざわめいてくる…。どこを歩いているのか分からなくなるほど、意識は握られている左手にしかなかった。
気が付くと、見物客の多い大通りを抜け、露店もなく人も少ない川沿いの道を歩いていた。
祭りの楽しげな喧騒が遠のき、河原の草むらからは夏虫たちの清かな鳴き声が聞こえ、川を渡る風が吹いて、ここは少しだけ暑さも和らいでいる。
「……あの、蓮見さん。…もう、人ごみは抜けましたから…。」
みのりはそう声をかけて、握られている左手を解放してくれるように促した。
蓮見は立ち止まり、薄明かりの中で、みのりに視線を合わせたが、みのりの意図を解してくれていないようだ。
「…もう、大丈夫ですから、手を…。」
今度はみのりもはっきり言ったつもりだったのだが、蓮見は手を離してくれるどころか、しっかりと握りなおした。
その力の強さに、みのりの心臓が跳び上がる。驚いた目で蓮見を見上げると、その目は蓮見の真剣な目に射抜かれた。
先ほどの優しい眼差しとは違う力を持った視線に、みのりはもう何も言えなくなり、自分の体の芯が震えはじめるのを感じた。
「この手を…、ずっと僕が握っていてはいけませんか?」
この言葉の奥にある本当の意味に、みのりは気づきたくなかった。出来ることならそれに気づくことなく、この場をやり過ごしたかった。
しかし、思いも寄らなかった蓮見の言動に、何も言葉が出て来ず、体の自由も利かなくなる。
「僕とずっと…、こうやって手を携えて生きていってくれませんか?」
蓮見はみのりに向き直り、みのりの右手も取ってしっかりと両手で握りなおす。蓮見の手は思ったよりも大きくて、みのりの両手は蓮見のそれにすっぽりと包み込まれた。
「僕と、結婚してください。」
みのりの目を見て、はっきりと伝えられた蓮見の声。
もう聞こえないふりも、意味を取り違えるふりもできず、みのりには逃げ込む場所もなくなってしまった。
でも今こそ、目の前の蓮見と同じように、自分も勇気を出すべきだと思った。
「……結婚は…、できません。」
蓮見から目を逸らし、俯いたみのりから発せられたこの答えに、蓮見はしばし消沈した。
しかし、これまでのみのりの態度からも、蓮見の中でそれは想定していたことだった。みのりの手を握る両手に力を込め、もう一歩その先へと踏み出した。
「……どうして僕ではダメなのか…、理由を聞かせてもらっていいですか?」
蓮見がそう言うのも、もっともだった。
これほど結婚相手として完璧な蓮見には、きちんと理由を告げなければ納得してもらえないだろう。
2年も待たせてしまったからには、『仕事が忙しい』『まだ結婚する気になれない』などの理由は通用しない。
もうみのりは、自分自身にさえも見えないように、覆い隠していた自分の本当の心を、蓮見にさらけ出すしかなかった。




