祇園祭の夜 7
素直な感性を持つ女子ならば、こんな笑顔を見せられてしまうと、一目で蓮見のことが好きになってしまうだろう。
けれども、みのりの心は浮き立つどころか、言いようのない不安に襲われてしまう。
決して蓮見のことを恋い慕う気持ちはないけれども、この笑顔の力に、流されてしまいそうで怖い…。
しかも、蓮見の自分に向けられている気持ちを、みのりは知っている。
それなりの時が経てば、蓮見の気持ちも薄れ、お見合いしたことも忘れてくれるだろうと、みのりは思っていたのだが、どうやら蓮見の心はそうなってはいないらしい。
冬にラグビーの試合で会った時の言動も、現に今日こうやって誘われたことも、蓮見の気持ちが変わっていないという証拠だ。
蓮見の想いが漂うこの空間の、あまりの居心地の悪さに、みのりは逃げ出したくなったが、勇気を出してもうはっきりさせるべきだと思った。
蓮見とお見合いをしてから、もう2年が経つ。蓮見との結婚について、ゆっくり考えて答えを出すために十分すぎる時間が経った。
きっと蓮見も、みのりの返事を聞きにはるばる芳野にやって来て、こうやって会う機会を持ったに違いない。
――…でも、今それを言ってはいけない…。
蓮見が待ち望んでいる答えを、みのりは用意していない。今それを蓮見に伝えてしまっては、もっと気まずい思いをして、ここでの時間をやり過ごさねばならなくなる。
――…とにかくここで食事を済ませて、山鉾の巡行を観て…、別れ際に…。
部屋に運ばれてくる日本料理の数々は、目も楽しませてくれる。そして予想も裏切らない味も楽しみながら、みのりはそんなことを考えて、決心を固めた。
それでも、他愛のない会話を交わす合間に、時折見せてくれる蓮見の柔らかく明るい笑顔を見るたびに、みのりの決心が鈍ってくる…。
こんなにも優しくて、一片の曇りもない善良な人を、傷つけるようなことをしてもいいのだろうかと…。
食事が終わって、ホテルから出てきた時は、もう辺りもすっかり暗くなり、山鉾巡行を観るには最適な頃合いになっていた。
それに連れて、通りの見物客の数も増えて、人を避けながら歩かなければならなり、ややもするとお互いにはぐれてしまいそうになる。普通のカップルならば手でも繋ぐのだろうが、近づきすぎることさえ憚られる二人にとっては、こんな時すごく難しい。
少し行くと、一段と人が大勢集まっている通りがあり、そのあまりの人の多さに、蓮見の口から思わず疑問が飛び出してくる。
「どうして、ここはこんなに人が多いのでしょうか?」
「…この通りは、二つの町の山鉾が見られる場所だったと思います。」
みのりがその疑問に答えると、蓮見は『なるほど』と頷いた。
夜になって幾分涼しくなったとはいえ、この人出の多さもあって、蒸し暑い空気がまとわりついてくる。
しかし、間もなく笛や鉦のお囃子の音が聞こえてきて、明かりが灯った色とりどりの山鉾が姿を現すと、みのりはその暑ささえも忘れて見入ってしまった。
あまりの美しさに、心が痛くなる…。
賑やかな祭囃子も、切なく心に響いてくる…。
一緒にいるのが、心から愛しいと想える人だったならば、この美しさももっと穏やかに感じられるのだろうか…。こんなにも心に刺さらないのだろうか…。
見物客の波に押されるので、蓮見は盾になるようにみのりの背後に立ってくれている。
みのりはすぐ側にいる蓮見の息遣いを感じながら、彼がどんな表情をしているのか、見上げることさえできなかった。ただ、目の前の山鉾の姿と囃子の音に、心を澄ませた。
目に映る夢のような光景が終わると、人の波が一斉に動き始める。
「…あら?あれ…!?」
相変わらずドンくさいみのりは、自分の体が制御できなくなり、この人の波に流されていく。
意思に反してどんどん蓮見から遠ざかっていき始めた時、
「みのりさん…!」
蓮見もその状況に気が付いて、とっさに腕を伸ばした。
みのりは蓮見に手を握られて、力強く引き寄せられる。人ごみにも押されて、蓮見の胸に抱き留められるかたちになった。
「…あ、ありがとうございます。」
みのりがお礼を言いながらも体を硬くしたので、蓮見も手を離してぎこちない笑顔を作る。
「もう少し…、散歩して帰りたいんですが、お付き合いくださいますか?」
蓮見の礼儀正しい申し出に、みのりも頷いた。きちんと気持ちを伝えるには、もう少し落ち着いた場所の方がいい。
二人は、おもむろに並んで歩き出し、この後の展開をあれこれ思い描いて……、お互いがそれぞれに心を決める。
そうやって考え事をして歩いていると、みのりはまた人とぶつかってしまった。そして、そこに思わぬ段差と慣れない下駄。前につんのめって倒れそうになる瞬間、フワリを身体が浮き、それを免れた。




