祇園祭の夜 6
7時半まで、まだずいぶん時間はある。その間、あてどもなく歩き続けるわけにもいかないし、ブラブラしてると人目にも付きやすい。……蓮見と一緒にいるところは、生徒や保護者、その他仕事仲間にも、なるべく見られたくはなかった。
ところが、今夜は曳山の夜だ。あまり気心の知れていない大人の男女二人が、食事をするのに適当だと思えるような所は、やはり予約が必要だった。
その界隈にある小洒落たフレンチレストランや、落ち着けるような日本料理の店を数件訪ねてみたが、どこも断られてしまった。
「ここもダメでした…。すみません。誘っておきながら、店の予約もしてなくて…。」
落胆した声で蓮見が謝るのを聞いても、みのりはお愛想を言って慰めることはしなかった。
しかし、このまま何も食べないわけにはいかないし、この場は地元である自分が、蓮見をもてなす立場にあると思った。
「…ちょっと、知り合いに当たってみます…。」
みのりはそう言うと、おもむろに歩き始める。蓮見もそれに付いて行くと、ほどなく、蓮見も当然知っている大きくて有名な観光ホテルに行きついた。
ロビーに入って行くと、みのりはフロントではなくコンシェルジュの方へと向かう。そして待つこと数分、今度は旅館の女将らしき人物が姿を現し、丁寧に挨拶を交わすと、みのりは神妙な態度で頼みごとをした。それから、みのりの顔つきが明るくなり、再び丁寧に頭を下げた。
みのりも、願いを聞き遂げてもらって安心したのだろう。少し離れていた所からその様子を見守っていた蓮見に、笑顔で駆け寄ってくる。
浴衣の袖を揺らし…、下駄を鳴らして…。
そのみのりの愛らしい様に、蓮見の中にはキュンと甘酸っぱい感覚が過り、唇を噛んで自分の中にある〝ある決意〟を確かなものにした。
「1階のレストランはやっぱり満席だったんですけど、今日、キャンセルが出たお部屋の方で、食事をさせてくれるそうです。」
みのりからもたらされた嬉しい報告に、思わず蓮見も女将に頭を下げる。
「蓮見と申します。特別なお計らいを、ありがとうございます。」
女将はその蓮見の容姿と物腰に、一瞬見とれて動けなくなったが、すぐに我に返って、にこやかな営業スマイルを見せてくれた。
「仲松先生には、この春卒業しましたうちの娘が、本当にお世話になったんです。先生が顧問をなさっている筝曲部でも、クラス担任としても、本当によくして下さいました。」
女将は蓮見のことを、みのりの〝彼氏〟が何かと判断したのか、そう言ってみのりを持ち上げた。
蓮見も普段のみのりの様子を知ることができたからか、嬉しそうな顔をして頷いてみせる。
すると、蓮見の笑顔に女将も気を良くして、部屋へと案内してくれながら、さらに新たな話題を持ち出した。
「それに、仲松先生は古文書も読んで下さったんですよ。」
「…古文書?」
これには蓮見も興味を持ち、女将に訊き返す。
「この芳野は江戸時代に天領だったんですが、そのお代官にお出ししたお料理の史料が、東京の食品会社の資料室で見つかったんです。それで、観光の目玉に再現してみようということになって…、仲松先生に解読をお願いしたんです。」
女将の説明を聞きながら、蓮見の記憶の中に、一つの新聞記事が浮かび上がった。
「…そう言えば、うちの新聞の地方欄に、再現された料理の話題が出ていましたね?」
「そうなんです!県民新聞さんにも載せて頂きました!仲松先生も、3年生の担任で本当にお忙しかったのに、ご尽力下さったんですよ。」
「そうだったんですか…!」
蓮見は相づちを打ちながら、みのりへと優しい視線を向ける。みのりはそれを受けて、恥ずかしそうに肩をすくめた。
部屋に通されて、料理が来るのを待つ間、二人きりにされた気まずさを紛らわすように、みのりの方から先ほどの話題の補足をする。
「…その、新聞にも載ったお代官様のお料理。試作の物を食べさせて頂いたんです。だから、ここのお料理は美味しいと保証できます。」
「こんな大きなホテルの女将さんが知り合いだなんて、びっくりしましたが、なるほど、そういうことでしたか。でも、本当に助かりました。」
座卓に向かい合って座る蓮見も、みのりが少し打ち解けてくれた様子を感じて、表情を緩める。
「いえ、〝連れ〟が県民新聞の記者さんだって言ったら、二つ返事で承諾してくれました。やっぱりマスコミには力がありますね。」
みのりがそう打ち明けると、蓮見は眼鏡の向こうの目を細めて、優しげで輝くような微笑みを見せた。




