祇園祭の夜 5
由起子の背中が見えなくなって、みのりは混乱した思考のまま、蓮見に返事をしなければならなかった。
「…あの、…えっと。分かりました。私も今、近くにいるので…。弥栄神社で待っていればいいですか…?」
不意のことに、みのりは狡猾な対処ができず、これから蓮見と会うことになってしまった。
そもそも、善良そうで誠意をもって接してくれる蓮見には、伊納に対したように、駆け引きをしたり謀略を用いるなんてできない。
みのりは、七月の長い日がようやく傾き夕陽が照らす賑やかな街の中を、その心の重さを表すように、一人ゆっくりと歩いた。
もちろん、蓮見に会うことは気が進まない。でも、いつまでも逃げ回ってもいられない。
もう二度とこんなふうに二人で会ったり誘われたり…なんてことがないように、きちんと蓮見には言っておかなければならない。
『いつまでも私にこだわってないで、結婚は他の人と考えてください』…と。
弥栄神社に着くと、境内にも露店が立ち並び、祭りの見物客で既にごった返していた。
待ち合わせ場所にしたのはいいけれど、これではお互いを見つけだすのは難しいだろう。
みのりは仕方がなく、比較的人がまばらな藤棚の下に落ち着いた。
ここにいて、蓮見が見つけてくれなければ、それでもいいと思った。いっそのこと会えないまま、蓮見が諦めてくれたらいいとさえ思った。
だけど、こんな祭りの日に、浴衣で着飾りながら一人で歩いている人間は、却って目立ってしまうのだろう。境内を行き交う人々から、チラチラと視線を投げかけられて、居心地の悪いことこの上ない。
祇園祭の時期特有の、蒸し返すような暑さがまとわりついてくる。みのりがバッグからタオルハンカチを出して、額とうなじの汗を拭きとった時、肩をポンと叩かれた。
思わず蓮見かと思って、みのりは体をすくめて振り返る。
「おねーさん、一人?」
いかにも軽薄そうな男の二人連れが、そこには立っていた。みのりは返事もせずに、しげしげと男たちを眺め回す。
「うわぁ、こんなキレイなおねーさんから見つめられて、俺、嬉しいなぁ。」
と、男の一人はおめでたいことを言っているが、みのりは『あら、いい男ね』…なんて思って見つめているのではない。
ずいぶん若い男なので、自分が教えた芳野高校の卒業生ではないかと、ついついみのりは確認してしまう。
だが、知っている元生徒ではない。それに、どうも少し性質が悪そうだ。
「ねー、それより。一人で祭り見物なんて寂しいでしょ?俺らと遊びに行かない?」
あからさまにナンパされて、みのりの顔つきはもっと険悪になる。
――浴衣まで着て、独りで祭り見物なんてするわけないでしょう?!コイツら、見た目通りのバカなのね?
心の中で悪態を吐きながら、どうやってコイツらを撒こうかと考えを巡らせた。
逆切れされて面倒なことになっても困るので、みのりは人目に付きにくい藤棚の下からおもむろに歩き出し、何気なく社務所の方へと向かい始める。
すると、男たちもみのりに付いて歩き、しつこく食い下がってくる。
――コイツら…、私の本当の年齢を教えたら、ビックリして逃げていくかも…。
みのりのことを、さすがに30を3つも越えているとは思っていないのだろう。そうでなければ二十歳そこそこの男の子が、こんな軽いノリで誘いをかけてくるなんてありえないことだ。
そんなふうに考えを巡らせて〝対策〟を練っていると、
「みのりさん!!」
人ごみの中から、突然名前を呼ばれた。
振り返ると、人の波を避けながら蓮見が駆け寄ってきている。
蓮見は、みのりと男たちの様子を一目見ただけで状況を覚って、眉を寄せて表情を険しくさせた。
「すみません。お待たせして。」
そう言いながら、みのりの背中を抱え込むように押して、男たちに背を向け歩き出す。
「…ちぇ、なんだ。やっぱ、男連れかよ…。」
そんな言葉を背後に聞きながら、みのりはホッと胸をなで下ろしている自分に気が付いた。蓮見が登場して身構えるどころか、そんなふうに感じている自分が信じられなかった。
「……大丈夫でしたか?こんな所で待ち合わせをしたから、不快な思いをさせてしまって、本当にすみません。」
男たちが見えなくなって、蓮見がみのりに向き直る。
しかし、蓮見に見つめられたその瞬間、やっぱり今自分が直面している問題は、あの不埒なナンパ男よりもこの蓮見そのものだと、みのりは確信した。
「大丈夫です。あのくらいのナンパ、よくあることですから。」
心配するに及ばないと、みのりはわざと強がって見せたが、みのりのその言葉に蓮見は安心するどころか、却って目を丸くする。
「…あ、そうなんですか…。」
と答える蓮見の反応を見て、しょっちゅうナンパされて、しかもそれに慣れていると誤解されたように感じたが、みのりは敢えて弁解することはしなかった。
祭りの見物客が行き交い賑わう街の中で、恋人でもなく友人とも言い難い二人の周りにだけ、気まずい空気が漂っている。
決してみのりに歓迎されていないことは、蓮見も自覚していたが、それを気に病んでいては、はるばる芳野までやって来た意味がない。
蓮見は勇気を奮い起こして笑顔を作り、みのりに話しかける。
「山鉾の巡行は、何時ごろなんですか?」
「…この辺は、7時半くらいだって言ってました。」
みのりも携帯を開いて時刻を確認しながら、蓮見に答える。
「それじゃ、それまでどこかで食事でもしましょうか。」
「そうですね…。」
みのりもしょうがなく頷いた。




