祇園祭の夜 1
また春がやって来て、芳野高校はまた同じ景色に包まれる。
この暖かくのどかな空気も、明るく青い空も、切ないほどの桜吹雪も…、あの春と何も変わらないのに、2年が過ぎた……。
もう2年?それとも、まだ2年…?
この先一生、この想いを抱えて生きていかなければならないのなら、『まだ2年』と言うべきかもしれない。
2年も経てばその想いも風化していき、懐かしく思い出せるようにもなってもいい頃なのに…。
普通の恋なら、今頃きっとそうなっているだろう。
でも、この想いを自覚するのにも、みのりは相当の勇気を要した。この想いを声に出して表現する時には、相当の覚悟をした。だからこそ、忘れ去るどころか、そう簡単に思い出にもなってくれない。
現に今、みのりの目の前には、遼太郎の弟の俊次がいる。
この春から、みのりが担任する2年9組の教室の一席に、彼は毎日座ることになった。しかも、日本史を選択しているので、週に3回ほど授業でも顔を合わせる。
同じ両親の血を分けているとはいえ、体つきといい顔つきといい、彼はあまり遼太郎とは似ていない。
それでも彼を見るたびに、みのりはどうしてもその表情の中に遼太郎の面影を探してしまう。
そして、俊次の目元や笑顔…そこに遼太郎を見つけるたびに、みのりの胸はキュンと切なく痛んだ。
しかし、俊次は遼太郎とは違う、別の個性を持った一人の人間だ。
それに、実際に教室にいて友達とじゃれ合ってたりする俊次を見ていると、そんな心を切なくさせる感傷などどこかに行ってしまう。
初めて対面するわけでもなく、個人的な繋がりがないわけでもないのに、俊次はいつも澄ましていて、みのりと目を合わそうとはしない。
みのりの方から声をかけようとしても、顔を赤くして、ぎこちなく逃げて行ってしまうものだから、みのりは可笑しくてしょうがない。
俊次の気の済むようにと思って、俊次の態度をそのままにしておいたがのだが…。
もうすぐ県体が始まろうかという5月の終わり、終礼の直後の教室で、みのりは俊次を呼び止めた。
これから部活に行こうとしていた俊次は、みのりから声をかけられても、それを振り切って階段を駆け下りて行こうとする。
「こら!俊次くん、待ちなさい!!」
この日、みのりは何としても、俊次と話をしなければならない退っ引きならない事情があった。
「…ちょっと、誰か。俊次くん…狩野くんを捕まえて!!」
俊次を追いかけながら、みのりが叫ぶと、それを聞きつけた女子たちが、数人がかりで俊次を捕まえて、踊り場の壁際に追い詰めた。
「なんだよっ…!俺は何もしてないぞ!!」
女の子たちに拘束されながら、俊次が苦しそうに発すると、みのりは腕組みして立ちはだかった。
「そう!なーんにもしてない。だから、問題なのよ!!」
「……へっ?!」
俊次が抵抗をやめたので、女の子たちもその腕の力を弱めて俊次を解放してあげる。
みのりは女の子たちに笑いかけて労をねぎらうと、俊次の腕を取ってから職員室へ通じる渡り廊下まで連れて来て、本題を持ち出した。
「…俊次くん。日本史の週末課題。4月から1枚も提出してないよね?」
「……!!」
俊次は突然冷水をかけられたように、息を呑んだ。その一瞬後には、極まり悪そうに神妙な顔つきになる。
「……しゅ、週末は他の課題もあるから、日本史はついつい後回しになってて…。」
俊次がシドロモドロと言い訳を始めると、みのりは怪訝そうな目つきで俊次を見据えた。
「へえ?後回し?!もうプリントが6枚も溜まってるんだけど?…そもそも、提出する気あるの?他の教科の課題だって、きちんと出してないでしょう?」
「…な、なんで、他の教科のことまで知ってんの?」
「そりゃ、知ってるわよ。私はあなたの担任なんだから!」
みのりの厳しく本気の口調に、俊次は恐れをなして顔をこわばらせた。
そこには、いつもラグビーの応援に来てくれる優しいみのりの笑顔はなく、俊次はその大きな体にかかわらず、小さくなってうつむいた。
何を発せられない俊次を見上げて、みのりは深いため息を吐く。
「…英語や数学の授業は、理解が出来てるの?」
「……なんとなく……。」
「『なんとなく』ってことは、近いうちに全く理解が出来なくなるってことよ。」
そんなふうにみのりに切り捨てられて、俊次はさらに縮み上がった。
授業が理解できてないのであれば、課題が提出できないのも当然だ。逆に課題に取り組まなければ、授業の理解も深まらず、どんどん〝勉強ができないスパイラル〟に陥ってしまう。
このままこの状態を放置すると、俊次はこの先卒業まで、授業中に〝昼寝〟をしているしかなくなってしまう。




