三人の男… 6
思いがけず楽しい時間となった時を、一時間ほど過ごして、そのパブも出ることになった。
パブの玄関先、更けてきた夜の中で、トレンチコートのベルトを結びながら、これでやっと解放されると、みのりは息を抜いた。
そして、別れの挨拶をしようとした矢先、突然伊納はみのりの肩を抱いて引き寄せた。
「まだまだ、帰さないよ。」
「………!!」
豹変した伊納の言動に、みのりは内心跳び上がって体の制御が利かなくなった。思考も凍り付いて、何も言葉を発せられない。
そうしている間にも、伊納はタクシーを止めて、それにみのりを伴って乗り込んだ。
「…ど、どこに行くんですかっ…!?」
血相を変えて、みのりがようやく口を開く。
「さあ、どこだろうね?」
みのりの焦りを想定していたのだろう、伊納はとぼけたように答える。
「でも、もう遅いですし、明日も仕事があるから、もう帰らないと…!」
「大丈夫、まだ10時すぎじゃないか。…それに、君は1時間も遅れてきたんだから、埋め合わせはしてもらうよ。」
この伊納の言葉を聞いて、みのりは心の中で地団太を踏んだ。
――ああ、しまった~~~っ!!!
自分のささやかな抵抗が、こんなふうに裏目に出るなんて思ってみなかった。どうやらこういった駆け引きは、百戦錬磨の伊納の方が数枚上手だったみたいだ。
みのりはもう何も言い返せなくなって、間もなくタクシーは伊納の目的地に着いてしまった。
「…なんで、ここに…!?」
見覚えのあるその建物に、みのりは目を丸くする。そこはかつて、みのりの親友の澄子が住んでいたアパートだった。
「俺のアパートだよ。」
「ええっ!?伊納先生の…?!」
――ヤバい、ヤバい、ヤバい!…このままだったら、絶対ヤバい!!
このまま部屋へと上がり込んでしまったら、どんなことがあっても、それはもう〝同意の上で〟ということになる。
「もう少し飲みたいけど、一人じゃつまらないだろ?それに付き合ってくれればいいから。そんなに遅くならないようにするよ。」
優しい口調でそうは言っているけれども、伊納は有無を言わさないようにみのりの腕を取って部屋への螺旋階段を上っている。
無理やりに腕を振りほどいて、伊納の気分を害して逆ギレされたくない。静まり返ったこんな場所で、芳野高校の教員が騒ぎを起こしてしまうと、それこそ校長に叱られるほどの大事になる。
こともあろうか、伊納が鍵を開けているその部屋は、みのり自身何度も来たことのある澄子の部屋だった。
そしてみのりは、何も抵抗できないまま、とうとう伊納と二人っきりの密室へ、足を踏み入れてしまった――。
「それで?それからどうなったの??伊納先生の部屋って、どんな感じだった?」
由起子は食べ終わった夕食の食器を脇に片して、身を乗り出して訊いてくる。
この日、由起子は、みのりが伊納とどんなデートしたのか訊き出すべく、週末を利用して泊まりに来ていた。
「どんな感じって…。普通のデンキじゃなかった…。」
みのりは食器を積み重ねて台所のシンクへと下げに行きながら、目をクルリとさせて伊納の部屋を思い浮かべた。
伊納の部屋は、かつて知っている澄子の部屋と確かに間取りは同じなのに、その雰囲気は全く違っていた。
「は…?どういうこと?アパートなのに自家発電?」
目を点にして、由起子が訊きなおす。
「違う、そういう意味じゃない。普通のこんな電灯をつけてなくて、小さなランプや間接照明で部屋全体が薄暗くって……。」
「ははあ…。要するに、足を踏み入れた瞬間から、『やる気』に満ち溢れてたわけね。」
由起子がそう言ってニヤリと笑ったけれども、みのりにとっては思い出すのもおぞましい出来事だ。
「それに、部屋の片隅にサックスが数本飾ってあった。」
「…サックス?」
「うん、楽器のサックス。休みの日なんかに、芳野川の河川敷とかで練習してるんだって。」
「また!ガラでもない。モテたい根性丸出しの趣味!!…で、それからどうなったの?」
いよいよその場面になりつつあり、由起子はますます興味津々だ。




