愛しい想いと体の関係 13
この時、道子が遼太郎に話そうとしていたこと。それは、ゼミを変わるという決心だった。
遼太郎と別れた後も気まずい思いをしなくていいように…、というわけではなく、自分が考えていることや将来の夢などを遼太郎と話をしている中で、道子自身が『変わるべきだ』という結論を導き出したから。
3年のこの時期にゼミを変えることは、回り道をすることになるが、これからは〝夢〟が道子を後押ししてくれる。ちょっとした心の傷など気にならないくらい、道子はただ前を見据えて歩き続けることに夢中になった。
そして、道子にそのきっかけを作ってあげた当の遼太郎は……。
まだ、その未来はあまりにも混沌としていて…、どっちに向いて歩き出せばいいのか迷っているような状態だった。
正月に合わせて帰省した遼太郎は、例年のようにラグビー部のOB会に参加し、数試合をこなして、いい汗を流した。
第2グラウンドから、1年前と同じように明かりの灯る芳野高校の職員室を見上げる。
――……多分、あそこに先生もいる……。
そこを仰ぐたびに、遼太郎は同じことを思った。
遼太郎にとっては、遠い過去のことのように思われる高校生活。でも、みのりはあの頃と同じように今も変わらず、あの職員室の雑踏の中に身を置いている。
今、みのりはどうしているのだろう…。
さすがに結婚したとなれば、ラグビー部顧問の江口の口からそんな話も出てくるはずだが、みのりのことが話題に上ることもなかった。
せめて元気でいるか、無理をしていないか…、みのりがどんな様子でいるのか、遼太郎は知りたいと思っていたが、それを誰にも訊き出せずにいた。
誰かに尋ねるなどしなくても、今もここから走り出せば、ものの数分で、遼太郎はみのりの姿を確かめることが出来るだろう。
――…まだ、こんな俺じゃ、先生に会いに行けない…。
しかし、遼太郎は自分で自分の足に枷を付けて、その足はそこから一歩も踏み出せない。
みのりのいる場所……そこは、遼太郎にとって近くて遠い場所だった。
それでも、1年前とは変化したこともある。以前は、みのりを想うたびに辛い痛みに突き上げられて、何も手につかなくなるほど自分が制御できなくなっていたのに、今は少し冷静に、もっと穏やかに思い出せるようになった。
心の感度が鈍化してしまったのか、痛みに慣れてしまったのか…。
どちらかと言えば、後者だろう。
みのりを想う切ない痛みは、自分が自分であるために、自分を構成する大事な一部分でもあった。
――先生を好きでなくなったら、俺が俺ではなくなってしまう…。
そんなことを思いながら、遼太郎は職員室の窓を見上げたが、そこにみのりの姿が映ろうものなら、それこそ今の思考の何もかも…、自分が自分であることさえも忘れてしまうだろう。
「……遼ちゃん、帰らないのかよ?」
遠く校舎を見つめたまま、いつまでも動かない遼太郎に、二俣が声をかけた。
気が付けばもう他にOBやラグビー部員たちの姿はなく、そこに二人だけになってしまっていた。
グラウンドを吹き渡ってくる新春の寒風が、いきなり身に沁みてきて、遼太郎は身震いしながら二俣を振り返る。
「いや、もう帰るよ。今日は夕方からも、二次会があるし。」
二次会というのは、OBだけで集まって行われる飲み会のことだ。晴れて二十歳になったので、今年からはこの夕方からの会にも招集がかかっていた。
「…うん、それじゃ、その時にしようか…。」
二俣にしては珍しい、歯切れの悪い物言いに、遼太郎は眉根を寄せて二俣を見つめた。
「…どうしたんだよ?大事な話だったら、逆に飲み会じゃ話せないぞ。」
遼太郎にそう促されて、二俣は唇を噛む。
二俣は大学生になってラグビーをやめてしまった上に、ビールを飲みつけたこともあって、ずいぶん緩んだ体型になってしまっていた。
その風貌さえも変わってしまった二俣を、遼太郎はじっと見つめて、ひたすらに待った。




