愛しい想いと体の関係 8
遼太郎は歯を食いしばり、道子の腕を掴むと、相手が女性だということも忘れ、力任せに自分の首から引き離した。
道子はそうされて痛かったのだろう、少し顔をしかめて遼太郎を見上げた。
そのまま、遼太郎はそこから逃げ出すこともできた。しかし、そうしてしまうと自分は、〝初体験〟に怖気づいた、ただの腰抜けになってしまう。
遼太郎はそのまま道子の腕を引っぱって、このいかがわしい空間から抜け出した。大股で雑多な街を歩きながら、どこか…、二人きりにはならずに、落ち着いて話ができるところを探した。
「…どうしたのよ?あそこじゃ、気に入らなかった?」
背後から道子がそう問いかけてきたけれど、遼太郎は振り向きもせずに、黙殺して歩き続ける。
仲良く手を繋いで、楽しくおしゃべりしながら散歩する――。そんな、普通のカップルのデートで、普通に見られる光景などではなかった。
それでも、道子は遼太郎に腕を引かれるがまま、黙って後について行った。
温厚だと思っていた遼太郎の、思いがけない行動に驚きながら。そして、胸の奥にチカチカと光り始める不思議な感覚を覚えながら。
遼太郎は、街角で目に付いたコーヒーショップに足を踏み入れた。ここなら人目もあり、道子から迫られることもない。道路に面した落ち着ける場所を確保できたので、きちんと話もできる。
「……先輩は、何を飲みますか?」
不機嫌そうな低い声で、遼太郎が道子に訊く。
「……ラテを。」
道子が短く答えると、遼太郎は頷いてレジへと向かった。
しばらくして遼太郎は両手にそれぞれカップを持って戻り、座って待っていた道子の前に一つを置く。
「…あ、ありがと。」
横柄な道子が殊勝にお礼を言ったにもかかわらず、遼太郎は今度は頷きもせず、ドカッと道子の向かいの椅子に腰かけた。
道子がカフェラテをゆっくりと飲みあげる間、二人の間には沈黙が漂った。
遼太郎は難しい表情をして道子から顔を逸らし、自分が注文した飲み物をすすりながら、何も発しようとしない。
もともと無愛想な上に、先ほど渾身の誘惑を無視されたこともあって、道子も自分から話題を持ち出そうとはしない。
この気まずい雰囲気に耐えかねて、道子が帰ってしまおうかと思い始めた頃、ようやく遼太郎が口を開いた。
「……俺、一応『彼氏』にはなってますけど、まだ…知り合って間もないし、亀山先輩だって、俺のことを好きではないはずです。」
遼太郎はそう道子の気持ちを推測したが、道子はそれに対してチラリと遼太郎を一瞥しただけで何も答えなかった。
道子の遼太郎の対する感情は、『好きではない』と断言するには、極めて曖昧で微妙すぎた。
道子が何も自分の考えを吐露してくれないので、遼太郎は唇を噛んだ後に、思い切って核心に触れることを質問した。
「どうして、先輩は好きでもない相手とも、やりたいって思うんですか?どうして、そんなにまで、それをすることにこだわるんですか?」
それは遼太郎自身のことだけではない。道子がこれまで関係を持ってきた、おそらく本名さえ知らない男たちとのことを指していた。遼太郎には、好きでもない男に触れられる道子の感覚が、到底理解できなかった。
核心を衝かれて、道子はもう遼太郎から目を逸らせておけなくなった。細い目が光って、じっと遼太郎を見つめ返す。
道子にとってそれを繰り返す理由は、そう簡単に、遼太郎が理解できるように説明できるものではなかった。
すると反対に、遼太郎が自分の思いを語り始めた。
「……男だって、…少なくとも俺は、好きな人だからこそ抱きたいって思うんです。好きな人に対する想いを、抱きしめたりキスしたり…そうやって表現したいって思うんです。…だから、好きじゃない人とどうしてそれが出来るのか、それが解らないんです。」
遼太郎の純粋な思いを聞きながら、道子は自分がどんどん惨めに思われてきて、次第に目の奥が熱くなってくる。
そして、それが涙となって溢れてくる前に、自分を守る言葉の鎧をまとった。
「…そうね。狩野くんの言う通り、私だって、そうやって好きになってくれる人が抱いてくれたら、本当に幸せだと思う。…でも、誰が私のことをそんなふうに思ってくれる?現に狩野くんだって、一応私の『彼氏』ってことになってるけど、私のこと、これっぽっちも好きじゃないでしょう?」
道子から自分の心を見透かされて、遼太郎はグッと言葉を詰まらせた。『これっぽっちも好きじゃない』どころか、さっきは『死んでも嫌だ』とまで思ってしまった。




