第三話 賢者への願い
リカリノさんがする、賢者様への相談とは。
ようやくリカリノさんも落ち着かれたようです。先ほどみたいに可愛らしくなかれる女性に対し、エウリュイアス様がその頬を赤らめる姿に、この上もなく萌えてしまいます。このままぎゅっと抱きしめて、そのお顔を私の細い分かれた舌で、ペロペロして差し上げたい。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、エウリュイアス様はサラサさんが淹れ直してくれた珈琲を一口、こくんと飲まれてからお話を始められました。
「先程は、大変失礼しました。呪い言葉の文言を間違ってしまい、ご不快な思いをさせてしまいました。サラサさんの言うとおり。この僕もまだまだ未熟者、どうかお許しください」
頬を赤らめたまま、エウリュイアス様が頭を垂れてリカリノさんにお謝りになりました。
「い、いえ、わたくしの方こそ恥ずかしき姿を晒してしまいまして……その、そちらのフィアーロさ、様の心優しいお気遣いにもお礼申し上げます。その、とても美しい鱗でいらっしゃいますが、ついぞおられた気配さえ、一向に感じませなんだ。さすがは大賢者様のお側に侍られるだけのことがおありだ」
リカリノさんはなぜか、私の方を少し上目遣いに見つめながら、潤んだような視線を送ってらっしゃいます。そんな私なんてただの蛇でございます。エウリュイアス様のお側にいさせていただくだけでも僭越なことなのに、そのように褒められるなんて。とてももったいないこと、身に余ります。
「はい、フィアーロはバジリスクの女王種。僕なんかにはもったいないくらいの、大切な、大切なパートナーなんです!」
長く美しい黒髪を揺らし、エウリュイアスさまがとても、とても嬉しいことを仰られます。私の方こそ、数多ある世界にその名を馳せる賢者の第一、『木漏れ日の賢者』様にお使え出来る光栄に、この身が震えるほどですのに。
「やはりそうでしたか。頭に付きし鶏冠がなによりの表れ。輝かんばかりの明緑の鱗と相まって、気品がおありだ」
リカリノさんが、重ねて嬉しいことを言ってくださいます。サラサさんも深く頷いているのが見えて。なんだか気恥ずかしい思いがして、私は巻いていたとぐろを解き、恥ずかしさから後ろを向きました。
「ふふ、しかもたいそう乙女でいらっしゃる」
そう言い目を優しく細めては、慈しみささえ感じさせる笑みを浮かべてらっしゃいます。ですがそのお顔が、次第になにをか思い出されたようで苦渋に満ちたものに変わっていきました。とても辛そうで、その様子を見た私は、ただただ目を伏せるばかりでした。
「わたくしのおります国では、貴女様の眷属、と言って良いものかどうか……強大さを見せつけるバジリスクなどは畏怖、いいえ大いなる恐怖であり、災厄の象徴でもありました。此度の戦においても、北方で猛威を振るう一団の中にその存在が確認されておりましたし、わたくし自身その攻撃を受け」
「どうぞそこまでに。お辛かったことでしょうが、お分かりのようにフィアーロにはその心配は当たりませんから、どうぞ安心してください」
私が背を向けている間にお話しになる内容から、エウリュイアス様はリカリノさんの身に起こられた苦悩、苦難を汲み取られてお答えになります。そして、私のことまでおかばいくださるなんて。
「それはそうと、リカリノさんのご容姿から察するに、お国はレーデンですね? 攻め入るはアーガバンデ。でも今時分は確か雪に閉ざされ、関所のあるサザンの谷は通れなかったはずでは」
「おお! まこと賢者様には、遠く離れた地にも目がお有りのご様子。これこそ『千の目、万の耳』でござりましょうや」
「はい、まあ。繋がってからはだいぶ経っているんですけどね。ドーゼルより北方は、夏季には豊富な農作物が穫れるけど、冬場は雪深く厳しい暮らしぶりだった印象がありますが。で、今のお話からすると、雪が浅かったために砦の防備が手薄なのを突かれて侵入を許したと。そして、魔兵団の復活。規模は判りますか?」
エウリュイアス様とのお話が私にも関わりがあるものですので、後ろに向けていた首をリカリノさんの方に向け直します。先ほど潤んでいるように見えたリカリノさんの瞳は、お国の魔物、しかも敵として危険な存在である私の同族に対する警戒心と、大いなる恐怖――騎士様であるリカリノさんには申し訳ありませんが――からくるものだったようです。
私が自らの出自を思い返して慙愧の念に耐え切れず、再びうつむきかけますとサラサさんが、優しく頭をなぜて頷いてくれました。
「わたくしはゴッファード騎士団に属しており、ちょうどその時は巡回の任に当たっておりました」
リカリノさんが一言一言、噛みしめるように言葉を紡いでいくのが、なおのこと痛々しい限りです。
「外回りを巡回している最中に、攻め入ったアーガバンデ兵と交戦になりました。その数は少なくとも兵士が五百以上、魔物においては地を這うもの、砦を越えて飛来するものなど多数あり……確とは把握出来ませなんだ」
砦をめぐる攻防戦は熾烈を極めたとのこと。砦という地理的優位性はあるものの、いかんせん守る兵の絶対数が少なく、防戦虚しく、砦は三日と保たずに門が破壊されたそうです。リカリノさんもその際に奮戦するも従者とはぐれ、気がついた時には孤立し、にっちもさっちもいかない状況に陥ってしまっていたのだそうです。
「砦での抗戦、更に雪中戦に魔兵団とは。よく生き延びられましたね。そしてここまで本当に、よく辿り着かれた。ですが彼の地には、『船運び』が可能な施設はなかったと思うんですが」
確かにエウリュイアス様の仰る通り、騎士の身に付ける重い甲冑姿で、雪に足を取られながらの応戦。頭上をも越えていく魔物に悔しい思いをされながら、孤軍奮闘されていらっしゃったのでしょう。目尻には涙が滲み、食いしばる口元からは臍を噛む音が鈍く響きます。
「わたくしのような騎士の中には、高額なので皆が持ち合わせているわけではないのですが、魔力密度を高く保つことの出来る水晶を所持している者もおりまして……」
「ほう。まだ忘れ去られてはいなかったんですね、封入の言葉は」
そう答えられてからエウリュイアス様は、小さく『もしかしたらララの弟子が夜明けを……』と呟かれました。
「わたくしは運が良かったのです。時期が時期故に北方の遠隔地であるサザン砦から、『船運び』のあるドーゼルまでは早馬でさえ五日はかかります。その折に団長から水晶を借り受けていたのを思い出し、救いの手を強く願いましたところ、こうして賢者様の許に参ることが叶いました次第です」
そう言い終えたリカリノさんは、座っていた椅子から甲冑姿ながら、優雅な儀礼を尽くしてエウリュイアス様の前に跪き、頭を垂れながら確かな口調で口上を述べられました。
「改めまして言上つかまつります。良き指導者、良き理解者、良き支援者であらせられる『木漏れ日の賢者』エウリュイアス様。わたくしレーデン王国はゴッファード騎士団の騎士リカリノ、祖国の危急存亡につきなにとぞ、なにとぞその尊い救いの御手を、指し示していただきたくお願い申し上げ奉る」
深く頭を垂れているリカリノさんの足元に、落ちる雫が染みを広げていきました。
しばらく沈黙が辺りを包み込みます。店の外では木漏れ日も薄れ、夕闇が広がりつつありました。サラサさんだけが静かに音も立てずに動き回り、壁に立て掛けられた燭台に火を灯していました。
深く沈み込んだ空気が身に重みを感じさせる寸前に、エウリュイアス様が口を開かれました。そのお姿は、それまでの汚れがなくあどけない少年のようなものからは想像もできないほどの、永い永い歲月を経た大樹のような佇まいを醸し出しておられました。
「そなたの言に嘘偽りなし。また私利私欲のないことをしかと見極めしものなり。よってそなたは今この時より、我がメンサーとして扱うことを宣する。良いか、リカリノよ?」
「…………ま、まことでございますか? わたくしリカリノ、慎みて大賢者、木漏れ日様の門下に連ならせていただきとうございます!」
「それは重畳。ではいかなこの場が狭間の地とて、時を置くのは詮無きこと。すくこの我が、共に参るとしよう。フィアーロよ、そなたも支度を」
声を掛けられるのを、今か今かと待ち受けていた私は嬉しさのあまり、はしたなくも全身を震わせてしまいました。こうやってエウリュイアス様の許に訪れる者は本当に久しぶりでしたので、ご自身で動かれるのを望まれるのではないかと確信しておりましたのに、私も一緒に連れて行ってくださるかどうか不安でいたのが申し訳なく思います。ではどうせなら、美しく着飾りエウリュイアス様を、今以上に引き立てられるようにと決意をしたものの、私自身はこの蛇の身。飾りようもないことに気づき、意気消沈する私にサラサさんが優しく言ってくれました。
「フィアーロさん、私に付いてきて下さいな。こんな時のために、少々用意していたものがあるんですよ」
なんでしょうか、こんな私のためにサラサさんが用意してくれたものとは。期待に胸がはじけそうな私は、二階に上がっていくサラサさんを追いかけるべく、頭をまっすぐに上げて身体をくねらすのでした。
バジリスクの姿には諸説あり、ここでは全身明るい緑色の鱗を持った、頭に王冠のようなとさかのある大蛇として描いています。




