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第四章 愚者なる道化の反逆譚 chapter 7 これが僕らの反逆譚

 そのボロボロの笑みを、瑠奈=ローリエじゃなくなったどこかの誰かは遥か天空より眺めていた。


 ……身体を真っ二つにされて、それでも抗うなんて馬鹿な人。折角私が足止めまで買って出て逃がそうとしたのに。こっちの言う事なんてちっとも聞いてくれないんだから。


 思えば最初からそういう男だった。こちらの話なんて碌に聞かず、自分はペラペラペラペラとうんざりする程良く回る舌で意味の分からないおかしな事ばかりを捲し立てる。

 デリカシーなんて欠片も無くて土足でこちらの心に踏み込んでは、少女の心の柔らかい部分ばかりを突いてくる。

 その癖肝心な所で鈍感で、女心を何一つ分かっていない。


 最低だ。あんな人、大嫌いだ。

 瞼の裏に張り付いた呑気で軽薄なヘラヘラとした笑みが憎たらしい。

 セクハラ紛いの言動が鬱陶しいし、歯の浮くようなキザな言葉がムカつく。

 情けないし愚かでしつこいし意味の分からない事ばかりして少女を困らせる嫌な奴だ。


 だけど。

 その笑顔を強いと思ったのだ。凄いなと、純粋に憧れた。


 どれほど絶望的な状況でも笑い飛ばしてしまえるその笑みは、始まりは確かに道化という役回り(キャラクター)にあったのかも知れない。

 でも少女は知っていた。敗北を前にしてそれでも〝次こそは〟と浮かべる彼の笑みが、彼が自らの手で道化より掴み取った本物であった事を。

 心の折れるような絶望を前に笑える強さは、少女にはない。

 いつだって独りで強がって、氷の仮面を被り不機嫌げに唇を尖らせて、必死で人を遠ざける事で自分を守って来た。

 少女は弱虫で臆病者だ。折角籠の外に出たと言うのに、やっている事はいつもとさして変わりもしない。自分がこれ以上傷つかないように、少年を傷つけ楽な道へ逃げただけだ。


 運命に抗う少年の声が聞こえる。勝手に満足した気になって諦めるなんて許さないと。ボロボロの彼は叫ぶのだ。

 その姿が、どこかの誰かに重なった。


『自分勝手に運命を決めつけるな、勝手に運命を諦めるな、自分の運命に抗えるのは――自分だけだ』。


 まだ終わってなどいないと。そう言って逆境を笑い飛ばし抗い続ける強さに憧れた。

 敗北と失敗を積み重ねカッコ悪く転んでも、それでも笑って立ち上がる姿に惹かれた。

 誰を気にする事なく我が道を行く自由で無茶苦茶なその生き様が、眩しかった。

 誤魔化しようのない純粋な好意がに救われた。裏切ったのに助けに来てくれて泣きそうになった。嘘の裏側を覗き込んでくれた事が死ぬほど嬉しかった。一緒にいて楽しいと思ってしまった。心の底から大切だと、この人を裏切りたくないなと思ってしまった。 


 惚れたら負け、なんて言葉があるけれど、……ああ確かに。あの変態を大切な人だと認めるのは我ながらなかなかに癪だった。

 でも、消えゆく私を見て取り乱す情けない災葉くんの姿と、その唇を塞いでやった時の間抜け面に免じて許してあげよう。

 我ながら悪趣味だとは思うけど。


 ……運命を決めつけるな、か。ねえ災葉くん。どうしてかしらね。こんな風に抗うアナタを見ていると、何だかこの胸に熱が灯る。勇気が湧いてくる。あんなに満足だった筈なのに、このままじゃ終われないって、私だってまだやれるって、そんな気分になるの。アナタみたいに、強くなりたいって。……大切な人を裏切り続けた私に、そんな資格なんて無いなんて事は分かってる。

 それでも、気が付いてしまったの。例え私の嘘がまた誰かを傷付ける事になるのだとしても、私は、生きていたいんだって。自分がそういう図々しい女なんだって事に。

 私を縛る設定に抗う為に生きるんじゃない。

 私は、自分の意思で自由に生きる為に抗うべきだったんだ。

 願わくば、災葉くん。アナタとまた一緒に――


 心に刻んだ誓いを、もう一度思い出す。唇に残る熱が、再び少女の反骨心に火を灯す。

 誰でもなくなった筈の少女が、どこにあるかも分からない唇で。

 そこに残る熱だけを頼りに言葉を紡ぐ。

 そうして。かつて異なる時、異なる場所で紡がれた二つの反逆の誓いが、運命の収束を告げるように今再び紡がれる。

 だがそれは、神が定めた運命などでは断じてない。

 彼ら彼女らが自らの手で選択しその果てに掴み取った、数ある世界の可能性の一つだった。


 奇しくも同じ時、同じ場所で。互いに惹かれ合う二人の唇がそっと重なるように、


「「ああ……、約束する。僕は。/私は。絶対にヤツラの思い通りになんてなってやらないっ。どれだけ無謀で愚かでも、不可能だって笑われて馬鹿にされても最後まで抗い続けてやるッ。そして――自分の手で自分を掴・・・・・・・・・み取ってみせるから(・・・・・・・・・)――」」


 互いを求め合う二つの魂が同調し、干渉し合い、そして――


「――だから君も、自分の願いを諦めるな! 瑠奈ッ、ローリエ……ッ!」


 瞬間、パリンッと。硝子が砕け散るような甲高い破砕音と共に、唐突に花開いた瑠奈=ローリエの視界が、純白の桜吹雪に染まった。


「…………ッ!」


 ステンドグラス越しに七色の月明り差し込む礼拝堂を白く染め上げる幻想的な美しい光景に目を見開き、驚愕に息を呑む。

 何が起きたのか、意味が分からなかった。

 『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』によって自己を消失し、のっぺらとしたマネキン人形と化した筈の自分に視界が存在している事。

 驚愕に目を見開き息を吞む身体がある事に再度驚嘆する。


 瑠奈だったハズの誰かを侵食し覆いつくした白。

 視界を舞うこの桜の花びらのような白い欠片が、自分を覆っていた白が砕け散り舞い上がった物だと気づくのに、数秒の時間を要した。

 そして瑠奈の正面。身体を真っ二つに切断され瑠奈と同じように全身を白に侵食された筈の災葉愚憐が、砕け散り破片となって周囲に舞い上がった愚憐だったマネキン人形の残骸、その白の桜吹雪の中よりその五体を蘇らせ現れたのだ。


 聖道修羅に捕食され、失った筈の左腕も。上下に分かたれた下半身も健在だ。


 そして何より、白髪だった彼の髪の毛の左半分が、燃えるような深紅に染まって……否、愚憐の髪の毛の左半分は煌々と燃え盛る炎そのものと化していた。


 突如として復活した愚憐に、勝利を確信していた聖道修羅が激しく動揺を露わにする。


「……馬鹿な。『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』を跳ねのけただと? ……いいや、それだけじゃ

ない。自己を失ったハズの瑠奈にまで強引に干渉して、強引に『超人神度(レベル)』を引き上げさせた!? 『自己同一性(アイデンティティ)』の獲得を促したとでも言うのか!?」


 蜷局を巻く炎の渦が、愚憐の身体を中心に放射状に発散され、辺りを舞う純白の桜吹雪を悉く灰すら残さず焼き尽くした。

 しんしんと降る火の粉。

 その中心に立つ少年が右腕を薙ぐ。するとその手には緩やかなS字に湾曲する柄の両端にさらに内側に食い込むような弧を描く刃を備えた、歪なを∞描くが如き形状をした長さ二メートルはあろう巨大なS字鎌が握られていた。


 それは、地獄の底から蘇った炎の死神。敵対者に絶対的な炎獄を突きつける宣告者。


 その背中が、瑠奈の知る災葉愚憐からあまりにかけ離れた物であるように思えて、


「災葉、くん……?」


 声に、緩慢な動作で振り返った少年の目と目が合う。

 真っ黒で大きなぎょろ目は――その右目は燃え上がる灼眼と化してはいたが――瑠奈を見つけるなり大きく見開かれて。


 次の瞬間、燃ゆる少年は安堵と歓喜に脱力したように破顔した。


「……あぁ、良かったぁ。本当に良かった。また、瑠奈ちゃんに会えた……!」


 泣き笑いを浮かべるくしゃくしゃのみっともない顔は、災葉愚憐その人のもので。

 細めた瞳の目尻には月明りに輝く透明な雫が浮かんでいる。


 それは、瑠奈が初めて目にした災葉愚憐という人間の涙だった。


「……おかえり、瑠奈ちゃん」

「ただいま、災葉くん」


 愛しい人の帰りを喜ぶ子供のように微笑む愚憐に、瑠奈は照れ隠しするような苦笑で、けれど素直に喜びを噛み締めてそう答える。

 泣く事だけはしないと決めていたのに、耐え切れずに狭まる視界がぐにゃりと歪んだ。

 瑠奈の無事を確認した愚憐は、すぐさま安堵を振り払うように涙を拭いて前を向くと、


「待っててね、瑠奈ちゃん。すぐに、――僕が全部終わらせてくるから」

「待って、私も一緒に……つっ!?」


 再び聖道修羅と真正面から対峙しようとする愚憐に、瑠奈も加勢しようと立ちあがる。

 しかし、直後に襲う立ちくらみと視界の反転に、瑠奈はその場に崩れ落ちてしまう。

 慌てて駆け寄った愚憐に支えられその場に座らされると、愚憐はかぶりを振って。


「無理しちゃだめだ。君はかなり強引な『潜在発露(ブレイク)』で『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』を後出しで打ち破ったんだ。今は僕に任せて、そこで休んでいて」


 優しく言い聞かせるように微笑み、愚憐は再び瑠奈を庇うように前に出る。


 愚憐の言う事は尤もだし、気遣いは素直に嬉しい。

 ……でも。それでも。

 瑠奈だって最後まで戦うと、運命に抗うと決めたのだ。


 誰に指図される事無く、己の意志で自分の人生を生きる為に。

 瑠奈=ローリエの運命に抗えるのは、瑠奈=ローリエしかいないのだから。


 瑠奈に背を向け、仇敵の元へと静かに歩いていくその背を薄紫の瞳で追いかけながら、多量の脂汗を浮かべる瑠奈はボロボロのままに歯を食いしばり、魔力を練りあげ始めた。



☆ ☆ ☆ ☆



 ……力が、魔力が、身体の内から無限に湧き上がってくるみたいだ。


 今世紀最大の博打に僕らは二人掛りで勝利し、世界から瑠奈を取り戻した。

 だがまだ終わりじゃない。再会を喜びあうには、僕の前に立ち塞がる理不尽はあまりにも強大過ぎる。


 一歩踏みしめるごとに足元に灼熱の業花を咲かせながら、僕は自身の力を確かめるように開いた拳を握って閉じてまた握り、右手の鎌を手足のように操り軽やかに振り回す。


 今の僕は僕であって『愚者なる道化(フー・クラウン)』ではない。

 この身は『設定存在の意味消失(ホワイトアウト)』に一度は完全に飲み込まれたけれど、とある代償を払う事で限定的な『自己実現』を果たしその上で『超人』として再構築され再起動している。……らしい。


 らしい、というのは今の僕に与えられたこの知識が僕であって僕のモノでは無いからだ。

 まあ簡単に言うと、今の僕は神様に縛られる事も無ければ『道化の衝動』に感情を弄ばれ冒涜される事もない。

 完全に独立し確立された個として、この世界に立っている。


「……愚憐くん、君の人生は失敗を前提とした道化の喜劇であったハズだ。それがどうやって絶対の敗北を跳ねのけた? それに君のその姿は……それは、君の役回り(キャラクター)から明らかに逸脱している」

「……それは違うぜ、聖道修羅。僕は今でも確かに僕だ。それに結局、僕は自分の役回り(キャラクター)からは逃げられなかったよ。ただ、僕とお前に差があるとすれば――」


 結局、誰かが勝手に決めつけ他者によって押し付けられた自分という存在も、けれど確かに自分の一部である事に違いはないのだ。

 その事実を認めた上で確かな自己を確立する。

 他者の無責任な言葉や視線や評価に流される事無く『これこそが自分である』という確固たる自負を持って自身の存在を肯定できる事。

 それこそがきっと、自らの意思で生きるという事。

 自分で自分の全てを選択し決定するという事に他ならない。

 

 僕は自らの意思でこの姿を選択し、掴み取った。

 その選択にこそ、僕という自己が宿る。


「――ソレを怠惰に享受するか、考え悩み自らの手で選択したか。それだけだよ」

 

 そう。これは別に特別な事じゃない。

 神様とやらがこの世界にやってくる前は、誰だってやっていた筈の事。


 ただ、今の僕は少しばかりの反則を使ってこの場に立っている。

 僕という人間に与えられた『設定』を利用した裏ワザとでも呼ぶべき代物を使って。


 本来、この世界における人間の役回りと立ち位置は、『設定表記証ステータスカード』に描かれる小アルカナと大アルカナの組み合わせによって決定される。

 だが、僕のカードにはどういう訳か小アルカナが描かれておらず、表面は白紙の空白となっていた。

 しかしそれは絵柄が描かれていないというだけで、災葉愚憐という人間に対応する札が存在しないという訳ではなかったらしい。


 むしろその逆。

 愚者である災葉愚憐は何者にも成れる可能性を秘めているが故に、全ての絵柄を当て嵌める事が出来るように特定の絵柄が描かれる事無く空白とされていたのだ。 


 全ての役を担う札。何者にでも成れるイレギュラー。

 一見眉唾なそんな都合のいい一枚は、しかし確かに存在する。


 ……『設定表記証』に描かれる大小アルカナから成るタロットカードは、トランプとの関わりが深い。

 剣がスペード、杯がハート、金貨がダイヤ、杖がクラブと、各スートが対応していたりと共通点も多く、タロットカードがトランプから派生していったという説も存在するくらいだ。

 それはつまり、カードに描かれる小アルカナには、幾つかの例外を除いて対応するトランプのカードが存在するという事。

 そして、この場合。事実上全ての小アルカナを内包する僕の白紙の空白に対応する事が出来る唯一無二の札がトランプには存在する。


 僕のカードに描かれなかったその絵札の名は『道化師(joker)』。

 大アルカナの0番:『愚者』にも似た、どんな役回りでも担える無限の可能性を内包する最強の『切り札』。

 予測不能のワイルドカードである。


「……『自己実現』、か。しかし分からないな。仮にそうだとしても、その魔力は単なる道化が到達していい領域じゃない。瑠奈が復活したのもそうだ。君は、一体何をした……?」


 今僕が手にしているこの力は、確かに災葉愚憐が手にした力だ。

 とは言え、真っ当な手段によって得た物ではない。何故なら、そこに至るまでの過程全てを無視し、一足飛びに僕が求めている結果を未来から現在へと引き摺り出しているのだから。


「……小さい頃に約束をしたんだ。それを、思い出した。何もかも忘れてしまっていた僕に、今更こんな事を言う資格は無いのかもしれないけれど。それでも、僕はお前に勝つよ。道化じゃなくて僕という存在を愛してくれた人達の為にも。僕はもう、僕を奪わせない。僕の大切な物を奪わせない。僕の結末を奪わせない。だから、お前を倒すこの結末だけは、僕がこの手で掴み取る。瑠奈だってそうだ。これはあの子が自力で掴み取った結末だ。それを侮辱するよう真似は、この僕が許さない。――聖道修羅。与えられた正義を怠惰に享受し、傲慢に神と己を盲信し続け、選択を放棄し、思考を止め、責任を押し付け、上から目線で引かれたレールに従って歩いてきただけのお前じゃ、僕らには勝てないぜ……ッ!」

「……面白いな、君は本当に。ここまで己の信じる神と正義を侮辱されたのは始めてだ。そして、前にも言ったハズだぞ、反逆者。道化(きみ)では正義(おれ)には敵わないと……ッ!」


 我ながら大口を叩いた僕に対し、怒りに声を震わせる盲神英雄。

 怠惰で傲慢な嘆きの聖者は、最大最強の魔法で身の程知らずの道化を断罪せんとした。


「その大言壮語の報いを受けろ。――『Ⅰ・悪断つ世界の剣(エクスカリバー)』ッ!!」

 

 聖道修羅が天を突くが如く騎士剣を掲げた。その刹那に生じ瞬く間に屹立するは、杭の如く全てを貫き大穴を穿つ必殺の水晶剣。 

 僕をみたび貫き殺さんと足元より現出し爆発的な勢いで膨張する墓標の水晶杭。

 迫る神出鬼没の死の刃は回避不能。

 対する僕はS字鎌を手が白くなる程に握り締め、


「――『炎滅ノ刃/炎獄崩剣(レーヴァテイン)』ッ!」


 炎そのものを剣へと鍛え上げたような長大で神秘的な大剣へと変貌させながら、全力で横薙ぎに振り抜いた。


 轟く爆音。

 斬撃に、発生した灼熱の炎刃が嵐となって吹き荒れ、炎の波が礼拝堂の大理石の床を舐めるように埋め尽くした。吹き荒ぶ火炎流の轟爆に全てが呑み込まれる。

 迸る火炎は足元で形成されつつあった水晶の剣を粉微塵に砕き、僕を貫く事を許さない。


 己の必殺。絶対の自負があった一撃を誇りごと打ち砕かれ、聖道の表情が驚愕に染まる。

 熱と衝撃をまともに喰らいかなりのダメージを負っている筈なのに、怒りに我を忘れた英雄は、身体を襲う火傷と痛みよりも心を襲う敗北の苦痛に顔を歪めた。


「……災葉愚憐……お前、我が父より受け継いだ断罪の剣を防いだな?」


 ギロリと。僕をねめつける眼光に妄執じみた光が灯る。

 驚愕――否、激しい怒りに肩を震わせる英雄に、僕はニヤリと口の端を吊り上げた嫌な笑みで応じ、火の海の中で勝ち誇るように叫んだ。


「……酸素を一気に燃焼させて、空気中の気体のバランスを崩した。見たかよ英雄。僕にこの炎がある限り、お前は無限に生じる水晶の剣を使えないッ!」


 僕は聖道の『Ⅰ・悪断つ世界の剣(エクスカリバー)』を空気の結晶化――気体を個体へ昇華させる魔法だと予想した。元よりヒントはあった。

 水晶の剣に貫かれる度に感じる酸欠めいた息苦しさと、余波のように吹き荒れる風の刃。その現象が意味する所こそが、どこからともなく飛び出してくる回避不能の水晶の剣の正体が空気を結晶化させた物なのでは? という推測を呼んだ。


 気体は個体へと昇華させると体積が小さくなる。結果、空気を用いて水晶を生成した空間周辺には部分的な真空が生じ、流れ込んだ空気の刃が愚憐を傷つける現象を引き起こす。

 聖道が操るのは酸素でも窒素でもない、それらを含んだ空気そのもの。

 であるならば、その組成を乱せば、――全体の二割を占める酸素を燃焼によって消費してしまえば――魔法の発動を妨げる事が出来るかもしれない。


 そんな僕の推測を裏付けるように、今の僕の半身は煌々と燃え盛る炎へと変じている。

 空気を結晶化させる事によって無限に剣を生み出し敵を殺戮する剣の世界。その空気の結晶化を封じつつ、風属性最強クラスの魔法に対してより強大な火炎をぶつけ『相乗』する事が出来るだけの火の魔法を操る事。それが聖道修羅を打倒する為の最低条件。


 周囲の酸素をごっそり奪う瞬間的超火力を誇る炎撃波は魔力消費が激しく、ぶっちゃけ防いだこっちも余裕がある訳ではない。

 しかし、これでもう聖道修羅は一撃必殺の切り札を使えない。神より正義である事を望まれた聖道修羅は初めてその表情に戦慄の色を刻み、僕という存在を救済すべき咎人ではなく、全力で打倒すべき敵であると認識した。


「許されない。断じて許容できないッ! 俺の敗北は、この国を守る『救済神ヴィ・クワイザー』の敗北。俺が、父上と母上の志を継いで、世界に救済を齎さなければならないのにッ!」

「自分で殺しておいてよく言うぜ。それとも渾身の自虐ネタ? 悲劇の英雄ごっこかい?」

「……黙れ。神に選ばれた俺の一撃をただの道化風情が防げる道理はないんだ。災葉愚憐……答えろ。お前は何者だ? その力は一体何なんだッ!?」


 何者かだって? 愚問が過ぎるぜ英雄サマよ。アンタの前に立っている男が誰なのか、ここまで来てまだ分からないとか流石に神経がどうかしてるとしか思えない。

 これまで自分が正義と称して一体何をしてきたのか。

 少し考えれば、アンタの前に立ち塞がる僕が何者であるかなど、容易に想像がつくはずだ。

 赫怒と苛立ちに余裕を失い、鋭い口調で問い詰めて来る英雄に、僕は万感の思いで、運命に抗い続けた一つの旅路の終わりを予感し、それを告げる。

 自らの存在理由を証明するかのように、炎剣の切っ先を倒すべき眼前の仇敵へと突きつけて、勝利に飢える獣のように犬歯を剥き出しに獰猛に勝利を笑って一喝。


「――僕は、お前を倒す『僕』の可能性そのものだ……ッ!」


 それは、僕が今後掴み取るかも知れなかった未来の自分、その一つの結末。

 災葉愚憐という人間がその身に内包する未知なる無限の可能性、その旅路の果てに至ったかもしれない一つの『世界』の具現であった。


 無限の分岐の一つである、聖道修羅を打倒し得る未来の僕への自身の変質。

 謂わばこれは、『嘆きの聖者(ラメント・セイント)』という特定の『役回り(キャラクター)』に対する『切り札(ジョーカー)』だ。


 酷いイカサマ。究極のチート。

 その力を得る為に支払った代償は、未来の可能性の消失。


 僕はこの先もう二度と、聖道修羅に勝利する事は叶わない。

 それどころか、今後『千変万化』で炎に関する全てのモノに変身する事が出来なくなるだろう。

 だが、それでも僕は己の可能性を放棄して、この一勝を掴み取ると決意した。


 瑠奈を守りたかったから。彼女と共に生きる未来を描きたかったから。約束を果たすと誓ったから。それが僕の手に入れた僕であると、胸を張って主張する事が出来るから。




 その力、その姿の名は『勝利に嗤う叛逆の道化(クラウン・ジョーカー)』。




 それは災葉愚憐が自らの意志、自らの手で選択し掴み取った新たな『役回り(キャラクター)』であった。


 逆境も、失敗も、敗北も、絶望も、その全てを笑い飛ばし跳ね除けるように口元を引き裂いて僕は勝利に嗤う。

 まだ見ぬ結末を、たった一度の勝利をこの手に掴む為に。


 未来の自分へと変身するその特殊な変質を維持できる時間は一八〇秒。

 既にいくらか消費し、残りは九〇秒と言った所か。それだけあれば、ウルトラメンだって世界を救える。


「行くぜ、英雄。カップラーメンが出来る前に僕らの因縁に決着を付けてやる」

「……いいだろう。受けて立とうじゃないか反逆者。俺は『嘆きの聖者(ラメント・セインツ)』。世界を救う者として神より生を与えられし者。悪を挫く正義の英雄として、ここでお前を打ち砕く……ッ!」


 道化が嗤い聖者が吠えたその刹那、聖道修羅が炎となって僕の視界から掻き消えた。


 気付けば両者を結ぶように奔る二条の炎線。創り出された軌道上を聖道が炎となって迸る。

 全力で振り抜かれる最高速度の炎瞬斬撃は――しかしそれはもう二度も見た!


 散るは火花。鳴らすは耳を劈く金属音。

 最速の一撃を僕が炎剣で応じ受け止めたのを皮切りに、豪奢な直剣と燃ゆる炎剣とが目にも止まらぬ速度で連続して衝突し切り結びあう。

 ギャギャギャギャッ!! 鋼鉄と鋼鉄。刃と刃が互いを喰い合い貪り合う獰猛で野蛮な轟音が連続し、剣戟音となって鳴り響く。

 振り下ろしに斬り上げ、薙ぎ払いに袈裟斬り、刺突に逆袈裟、火の粉と火花を散らし衝撃波を撒き散らす殺し合いに瓦礫と石礫の散弾や降り注ぐ火矢まで入り混じり、その邪魔な悉くを僕はその身に纏う炎波で焼き尽くす。

 最早人の身にあまる領域へと踏み込んだ超人同士の殺し合い。

 どこまでも加速する斬撃に一撃一撃を振るう度に重たい衝撃が腕に走り、炎剣を握る手が痺れる。


 聖道修羅に対する『切り札』。

 自分が勝利する未来の可能性を強引に持ち出してようやくの互角。

 これまでの戦いでこの男が僕に対してどれだけ手加減をしていたかを思い知らされながら、それでも叛逆の道化は勝利を嗤って最強の英雄へと喰らい付く。


「沈めェ、反逆者ァッ! 世界の秩序を破壊するお前に、この世界で生きる権利などない!」


 暴風の如き斬り降ろしを、頭上に水平に掲げた炎剣で受け止める。


「――がァ、ァアアっ! し、るか……! 僕は、そんなもの、欲しいなんて思った事もないッ! お前ら……自分の、選んだ生き方くらい……自分で責任取って、みせろよッッ!」


 ……この背中には瑠奈がいる。瑠奈が僕を見てる。なら、負けない。負けてはならない。あの子にもう涙を流させやしないと、道化でも愚者でもないこの僕がそう決めたッ!


 伝播する衝撃が体内を蹂躙し両脚が砕け陥没する床面に沈む。

 そのまま鍔迫り合いへ持ち込まれ刀身上を騎士剣が滑った。


 巧みな剣捌きと膂力で鍔によって腕ごと炎剣を跳ね上げられ、がら空きになった胴体に横蹴りが叩き込まれた。

 体内で血が爆発したような衝撃が弾け、僕の身体が流星となって吹き飛ぶ。

 僕の炎波と聖道の剣圧で既に崩壊寸前な礼拝堂の壁にさらに風穴を増やして、僕は月明り降り注ぐ外へと叩き出された。


「その自分勝手な考え方が、神の齎す救いを拒む背信が、秩序を乱すと言っている! 何故受け入れない。平和で幸福な世界で生きたいと願う事を、何故お前達は拒絶する!?」

「誰かが決めた平和も、演じる事でしか得られない幸福も、僕らは欲しくないからだ!」


 転がる僕を追って地面を奔るように、甲高い音を轟かせながら水晶の杭が次々と僕目掛けて生み出され津波のように押し寄せてくる。

 炎剣をすかさず薙ぎ払い、巨大な炎の津波をぶつけて相殺。

 屋外に出た為に炎が拡散して水晶の勢いを奪うのがどうにも難しい。

 が、これなら出力を上げれば問題なく対応できる。


 しかし、敵の狙いはそこではない。

 僕のフル火力の横薙ぎ。

 その後に生じる隙を待ち構えていた聖道が、すぐさま懐深くに飛び込んで来る。

 

 がら空きの胴体を寸断せんと振るわれる斬り払いを、炎を纏った膝頭で受け止める。

 左膝が砕け散る嫌な感触と引き換えに、絶命を回避。

 返す刀で炎を纏った袈裟斬りを繰り出し、聖道が大きくバックステップを踏んで飛び退く。

 超短文詠唱と共に牽制するように飛来する石礫の散弾と火矢の豪雨を纏う炎で一掃し、そのまま発生した熱波と衝撃波を聖道へと叩き付け、吹き飛ばす。


 互いに痛み分け。

 距離が開いて仕切り直しとなる。


「分かり合えないな、君とは。その邪悪な思想、正義を司る者として絶対に許容できない」

「はぁ、はぁ……それは、こっちの台詞だ。一から百まで誰かの言いなりの人生なんて……生きてるなんて言わない。僕は、痛くても、苦しくても、自分で決めて自分で生きたい」


 ……現状、拮抗しているように見える僕らの戦いは、僅かに聖道修羅が押していた。

 魔法の勝負でなら僕に分があるが、聖道修羅には卓越した武技がある。

 悔しいけどヤツの強さは理不尽そのものだ。強力無比な魔法を封じて尚、その圧倒的な膂力と剣が僕を阻む。


 血を吐き出して、苦悶に表情を歪める。残り時間は……二十二秒。


 これじゃ、足りない。


 届かない。


 聖道修羅に勝利する可能性を強引に引き出して尚、敗北の予感が過る。

 

 ……足りないのなら、注ぎ足せばいい。


 力も、魔法も、可能性も未来も代償も全部。


 僕の全てを差し出して目の前の理不尽を打倒する事が出来るのなら……ッ!


「……『変質(オートレイト)』」


 『勝利に嗤う叛逆の道化(クラウン・ジョーカー)』起動時の僕は、未来の僕と同義。

 その僕が使用する『千変万化』は、聖道修羅を打倒する『切り札』として機能するだろう。


 だがそれは未来の可能性を代償として焼却する事でのみ得られる力。

 この状態で『千変万化』を発動し変身したモノに、おそらく僕は今後二度と変身する事が出来なくなる。


 だがそんな事はどうだって良かった。


 僕は愚かな愚者だけど、だからこそ後先なんて考えずに今を懸命に突っ走れる。

 未来の事なんて分からないんだ、先の事はその時になったら考えればそれでいい。

 だからこの瞬間を最高速度で生き抜けろ。


 僕は今ッ、聖道修羅を倒して瑠奈=ローリエを守れるだけの力が欲しい! だから……ッ!


「『同時無限展開(シンクロイズ・オーバーヒート)』……」

 

 未来を燃やして、今を掴め。これが僕の、災葉愚憐の選択だ……ッ!


「――『千変万火』:『百火繚乱・絶火散華(ブルーメン・ブレイザースキャッド)』ッッ!!」


 未来と魂を燃やす絶唱と同時。愚憐の砕け散った左足が炎の銃身へと変質した。


 全てを失っても構わない、そんな強い意志をトリガーに撃鉄が炸裂し、魔力で生成したカートリッジを爆裂させる。

 銃声を吠え炸裂するは熱の弾丸だ。発生した熱波の衝撃波を推進力へと変換し、超加速。

 炎の弾丸となって聖道修羅へと吶喊。愚憐の超速突進を、左足の爆裂によって生み出された超加速に完全に虚を突かれた聖道は躱せない。――残り、十五秒。


「……っ、だが、速度だけの攻撃なら俺には通用しないぞ! 『Ⅱ・調和保つ風の加護(ヴェール・ヴィント・アウスクライヒム)』!!」


 急ぎ前面へ展開された風の障壁を愚憐は無視。さらに連続同時変質――「変質ッ!」左腕を長大な斧槍槌へと変貌させ、突進を刺突へと変質。

 爆発的な推進力と突破力を得た道化の炎槍は、触れた途端に破砕音を響かせて風の守りを貫き、僅かに軌道の逸れた刺突が聖道の左肩を穿った。

 千切れ飛ぶ英雄の左腕。鮮血が舞い、苦悶にその顔が一瞬歪む。


 しかし英雄は揺るがない。


 聖道は残る右腕で騎士剣を豪快に振り下ろし、空中の道化を一刀両断せんとして――「変質ッ」間一髪背中に生じた甲羅の如き鋼の大盾が死の斬撃を阻む。

 しかしその威力までは殺しきれず、愚憐はそのまま地面に叩き付けられた。

 その威力に地面に放射状に罅割れが走る。衝撃に内臓が暴れ狂って盛大に吐血する。――残り十一秒。


 うつ伏せに倒れ込む愚憐の首筋にギロチンのように振り下ろされる追撃を炎で牽制し、転がり起きる。

 立ち上がり再度左足を炸裂させ加速。速度に任せ炎剣を振り抜く居合いにも似た瞬速の一閃に、聖道の炎瞬斬撃が衝突。

 二条の炎線が斬撃を後追いするように駆けて、すれ違いざまに交錯する刃と刃に火花が散り甲高い叫喚が耳を裂く。――残り九秒。


 ついで振り向きざまの斬撃が同調するように走り、両者の腹を同時に浅く裂く――「変質ッ」愚憐は飛び散る自らの血潮を炎弾へと変質。

 至近距離から聖道へと散弾の雨を浴びせた。対抗するような超短文詠唱によりノータイムで愚憐の足元の地面が砕け、石礫の弾丸が殺到。

 互いの散弾が互いを喰らい合い、喰い損ねた弾丸が両者の肉体を貫いた。

 衝撃に聖道の態勢が大きく後ろに崩れる。同様に愚憐の態勢も崩れ――「変質ッ!」声に、一対の炎翼が背に生じる。炎の天使の如く燃え盛る翼が、態勢を崩した愚憐を強引に一歩前へ。

 連動して炸裂する左足の砲声が、嗤う道化を一気に加速させた。――残り七秒。


「誰だって、自分の翼で飛びたいんだッ! それを縛る権利なんて、誰にも無いッ!!」


 咆哮と共に繰り出される炎の斬撃を、聖道は咄嗟に掲げた騎士剣でどうにか弾いて――嫌に甲高い金属音と、ひゅんひゅんと風車でも回るような風切り音が二人の耳朶を掠めた。

 それは、聖道修羅の騎士剣が空を舞い、地面に突き刺さった音。

 力の入らない無理な態勢が祟り、跳ね上げられた英雄の右手からは豪奢な騎士剣が弾き飛ばされていた。


 明確に生じた英雄の隙。

 しかし愚憐もまた、大振りの直後で右手の炎剣は死に体の呈を晒している。

 互いに態勢を整え直す時間が必要だと言うのならば、聖道修羅にも逆転は可能――「変質ッッ!」――口に咥えた左手を噛み千切って、道化が鮮烈に勝利に嗤った。


「……ッ!?」


 相手を翻弄するように次から次へと手を変え姿を変え戦術を変え姿を変え文字通りに自らの魔法を使い捨て(・・・・・・・)、高速変身換装で相手を圧倒し圧勝する。

 一瞬の間に魔力を爆発燃焼させ繰り広げる怒涛の攻勢による超短期決戦戦術。

 それこそが『千変万化』の神髄であるならば――かつて届かなかったこの刃、次こそは仇敵の喉笛に突き立てんと、焔の華が咲き乱れては散華する――残り時間、三秒。


「――全部切り裂けェえええええええええええッ! 『滅神ノ刃/血霧の魔剣(ダレンスレイブ)』ゥウッ!!」


 噛み千切った左手から流れ出る血潮が炎を纏う血霧の魔剣へと姿を変えた。

 炎獄の崩剣が血路を切り開き、道化の掴み取った血霧の魔剣が煌いて、今、決着の一閃を放つ。



 ――斬ッ! と、全てのしがらみを断つ一閃が、月夜に鮮烈に焼き付いた。



 血霧の剣は、その刀身に纏う炎熱と相まって英雄の胸を深々と抉り切り裂いた。

 心臓にまで達した斬撃に鮮血が飛び散り、敵の血を求める魔剣が歓喜するように艶やかな朱に染まり月明りに輝くと、血飛沫となって満足げに砕け散った。――残り時間。一、……〇秒。


 愚憐の髪と瞳を染めていた炎が鎮火し元の白髪黒眼へ、銃身と化した左足も元に戻る。


 『勝利に嗤う叛逆の道化(クラウン・ジョーカー)』は、その役目を終えた事を告げるようにその力を霧散させた。


「……掴んだぞ。どうだ、見たかよ英雄。これで僕の、勝ちだ、聖道修羅……!」


 勝ち誇り笑う愚憐に、ぐらり、と。血を吐く聖道の身体が、支えを失ったように傾く。


「――見事、だ。俺の……負けだよ、愚憐くん。けれど、俺は英雄として、君の勝利だけは認められない。済まないが、これで……引き分けだ――『Ⅹ・破滅招ツェアファレン・く暴虐の大嵐(シュトゥルムヴェーエン)』」


 その男は、最後のその瞬間まで己の正義を信じ貫き、英雄のように笑っていた。

 『嘆きの聖者』、その最大最後の一撃は――己を犠牲に悪を滅する大自爆。


「――え、ちょ、待てって嘘でしょ自爆とか冗談――ッ!?」


 魔力の暴走を察知した愚憐は慌てて『千変万化』によって巨大な盾を生み出そうとして――失敗。愚憐は『勝利に嗤う叛逆の道化(クラウン・ジョーカー)』発動中に聖道の斬撃を大盾の変質で防いでいる。代償として焼き尽くした未来の可能性、その変質はもう使用不可能だった。


「あ、ヤベ。本気でまずっ――」


 最後の最後、自身の致命的な失敗を自覚した瞬間。

 聖道の体内の魔力が吹き乱れ、急激に膨張。行き場を失った莫大な魔力塊が内側から肉体を突き破って――聖道修羅は内側から破裂して半径一〇キロを焦土へと返す大爆発を巻き起こし――






「――大いなる海よ。全てを飲み干し無に帰す森羅万象の母よ、貴方の前に功罪も善悪も全ては無価値。故に貴方は罰も赦しも与えずに私の全てを包み込む。『大海の母(マザー・オブ・ブルー)』ッ!」






 割り込むように差し込まれた少女の凛とした詠唱が、閃光を包み込んだ。

 愚憐の身体を庇うように弾き飛ばし、爆発寸前の聖道修羅を覆い包み込むよう展開された巨大なドーム状の水塊。

 それはまるで、海をまるまる一つ召喚したような壮大な光景だった。


「……瑠奈……ついにお前は、俺をも、裏切る、のか……?」


 水中、膨張した聖道の口がそんな風に動いて、瑠奈は涙目に決意を灯すと鼻を鳴らして、


「私がアナタを愛してたと本気で思ってるの? 馬鹿にしないで頂戴。これは、私の選択」


 復活してからずっと魔力を練り続けていた瑠奈は、愚憐が魔力を燃焼させ続けた結果生じ水蒸気となって周囲に拡散していた『水』の全てを召喚し咄嗟に巨大な海域を生成したのだ。

 魔力を使い果たした瑠奈=ローリエは、あらん限りの力を籠め理不尽へと叫んだ。


「……私は、もう。私のせいで誰かを失うなんて嫌なの! 私が生きてるだけで、誰かが不幸になるだなんて耐えられないッ! そんな運命には屈しないし、負けたくない。だから、生きて抗う。これが、私の答えだぁああああああああああああああああああッ!!!」


 カッ、と。

 闇を塗り潰すような瞳を焼く強烈な閃光が、大海の中心で花開いた。


 視界の全てを白で埋め尽くすような、光。

 魔力爆発によって生じた莫大な熱量が、瑠奈が召喚した大海を一瞬で蒸発させ、吹き飛ばす。

 瞬時に発生した多量の水蒸気が弾けるように爆発的に広がって、瑠奈と愚憐を風に舞う落ち葉のように吹き飛ばした。


 全ての救済を願った英雄の結末はあまりにも劇的で、敗北してなお圧倒的。


 爆心地には聖道修羅の肉片一つ、残ってはいなかった。


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