第四章 愚者なる道化の反逆譚 chapter 4 盲神英雄の怠惰と傲慢
「――俺は君を打ち砕くべき障害として破壊しよう。『Ⅷ・疾く爆進せり炎の地奔り』!」
聖道が声高らかに叫ぶと同時。彼の足元から吹き出した二条の炎が地を奔り、聖道と僕とを繋ぐ二本のラインを引く。その刹那、目前にいた筈の聖道が炎となって搔き消えた。
何が起きたのか分からない。ただ、大地に生じた二条の炎線の道の上を、炎が駆けた。
反射的に剣へ変質させた右腕を硬質な手応えが襲ったのは、単に運が良かったからだ。
瞬間移動じみた一閃。
戦慄する速度で叩き付けられた騎士剣に、何となくで偶然翳しただけの剣が拮抗するはずもない。
その一撃を受けた瞬間、全ての運動エネルギーを受け取った僕は砲弾となり決河の勢いで教会の壁に打ちつけられた。
衝撃に盛大に吐血。吐く血反吐がこれだけ体内に残っていることにむしろ感心したい。
そのまま礼拝堂の壁を木端微塵に粉砕し、外に転がり出た僕を追って英雄が駆ける。
仰向けに倒れる僕へ、壮絶な踏み込みと共に振るわれる轟と音鳴る上段斬り――咄嗟に両腕を繋ぎ鎖にして絡め取る――筈が触れた傍からとろけるチーズみたいに両断される。
かろうじて軌道を逸らすに至った斬撃は、僕の頭の僅か数センチ横を切り裂いた。目を丸くしながら転がるように距離を取り起き上がる僕へ、聖道はそのまま肉薄。
腰を回して振るわれる旋風の如き回転薙ぎ払い。左腕を大盾にしてかろうじて受けきる。
巨人の戦斧の一撃と錯覚する重く響く衝撃に身体がビリビリと痺れた。
相手の攻撃の威力を利用してうまく後ろへ下がり距離を取ろうとする僕に、しかし聖道は間髪入れずに暴風の如き脚力で距離を詰め、逃さんとばかりに轟剣を振るう。
爆発じみた踏み込みから繰り出される剣先が膨張したような超加速の刺突を、身体をぺらぺらの紙とし半身で回避。
すれ違い様に薄紙の薄刃で斬り付けるも刃は通らず、逆に生じた激痛にこちらの変質が解けた。見れば右手の爪が剥がれて血が滲んでいる。
息つく間もない攻防は続く。躱したと思った次の瞬間には、英雄の振り向きざまの一閃が僕の首を跳ねんと迫っている。
ぎょっとして全力で上体を逸らし文字通りの死線を掻い潜ると、聖道はそのでたらめな膂力に任せ剣を振り切る前に手首を翻し、先の一閃の軌道の下を撫でるように剣を引き戻した。
繰り出されるのは隙だらけの胴体を狙った神速の斬り戻しだ。速すぎる、躱せないッ!
あわや走馬燈が見えそうになる中で、お腹の一部をスライムと化して無理やり斬撃を受け流すと、すぐさま剣を頭上へ投げ去った英雄様の殴打が鳩尾を抉る勢いで深々と撃ち込まれた。
熱して無理矢理塞いだ傷口が、その一撃に叫喚をあげた。
内臓が暴れ狂う。痛みに血が沸騰し蒸発する。細胞がその一撃に爆撃を受けたように死滅。
半液状化した肉体を伝播し貫く衝撃に、身体をくの字に折り目玉を飛び出させ、本日三度目のゲロを吐きそうになっていると、追い打ちを掛けるように後頭部に肘が落ちた。
痛烈。脳が揺れ、思考が乱れる。意識がブラックアウトしかける中で、ふら付く足をサボテンに変えて聖道の足――それも爪先を嫌がらせのように思いっきり踏んでやった。
が、靴を貫通したサボテンの針が全滅、聖道の硬い肌を貫けず全て潰れる。クマかよコイツっ。
異常な硬さに歯噛みしつつ、そのまま前方に倒れ込むと見せかけて頭突きを金的に見舞うも聖道は涼しい顔でそれを受け、頭上から振る騎士剣を軽々右手で掴み取ると、
「――『Ⅱ・調和保つ風の加護』。俺にダメージを与えたいなら、せめて攻撃に魔力を籠める事だ」
痛烈な膝蹴りに鼻頭がひん曲がり、蹴りの威力に浮いた身体に叩き込まれる剣の腹。
そのメイスによる殴打じみた一振りに、僕の身体がギャグ漫画みたいに吹き飛んだ。
間欠泉のように噴出する洒落にならない量の鼻血に、再び意識が落ちそうになる。
というか、今の一撃で僕の顔が完全に崩壊して見るも無残な顔面土砂崩れ状態に。
ダンプカーに膝蹴りを喰らったような酷い気分だ。何で死んでないんだろ僕。
厄介なのはその馬鹿げた攻撃力だけではない。どうやら聖道は常に魔法で防御フィールドめいた物を自身の周囲に展開させているようで、変質した部位での攻撃はともかく、素の打撃じゃダメージを与える事すら儘ならない。
落下しても勢いは止まらず無様に地面を転げ回った僕へ、次いで水平に火矢が飛ぶ。
空間を埋め尽くす圧倒的物量に逃げ場は皆無。ならば今度こそはと思い浮かべるのは瑠奈が魔法で生み出す水龍だ。
見事変質を成功させ、火矢をその身に受けながらも聖道修羅目掛け怒涛と突き進む水龍に、しかし英雄は動じることなく掌を翳して詠唱。
「――侵略者よ。風は貴方の声を奪っていった。故に上げるは獣欲の咆哮。血に従い、意志に従え。強欲を導に総てを奪いて総てを満たせ。『Ⅴ・強欲なる竜巻の王』!」
「!?」
吹き荒れる竜巻に呑み込まれ、水龍が弾けるように霧散。強制的に魔法を無効化され変質が解ける。
魔法を剥がされ完全なる無防備の丸腰となった僕は既に聖道の懐へと踏み込んでしまっていた。
僕は大慌てで自分の白い髪の毛を毟って、
「変質ッ――」
「遅い」
待ち受けていたのは英雄の拳。
間合いに飛び込んだ途端に防御を失った僕の顔面へ、その重たい拳打が容赦なくめり込んだ。
回避も反撃も不可能。砲弾めいた剛腕の一振りに、ひん曲がった鼻が逆に捻じ曲がって元に戻り、身体が砲弾と化す。
人外の膂力で殴り飛ばされた僕はスーパーボールのように地面を跳ねた後、再び壁をぶち抜き、教会の中に舞い戻った所でようやく勢いを失った。
「災葉くんッ!?」
顔を押さえ痛みに悶え芋虫みたいに蠕動する今の僕に、瑠奈の悲鳴に応える余力もない。
「が、はァ……いて、て。本気で、ヤバいッ、死ぬ、……お義兄さん、のへそ。がはっ、ごほッ、お茶、じゃなくて、怒りが湧き上がっちゃってるよコレ……っ」
CTなど無いも同然の連続詠唱に、『魔法は一人に一つ』という大原則を無視した大盤振る舞いなバリエーション豊富な魔法攻撃。
まさに僕のお株を奪うかのような数多の魔法の連続とその怒涛の強さに、『千変万化』であるハズの僕の方が対応しきれない。
あまりにも強い。強過ぎる。聖道修羅という男が、神より『英雄』という役割を与えられた遥か格上だと言う事は分かっている。
だが、それを加味してもあの男の強さは異常だった。
それこそ何かチートやある種のルール違反をしていると思わざるを得ないレベルで。
……そういえば聖道修羅は、一体どんな反則で瑠奈の『設定表記証』に手を加えたんだ?
「愚憐くん。これが正義だ。悪を必ず打倒し、世界に平穏と安寧を齎す神に授けられし俺の力。絶対に揺らがざる最強だ。愚者なる道化よ。神へ反逆する咎人の力とはこんなものなのか? この程度で正義を倒す悪であると君は吠えたのか? 災葉愚憐」
地面を這いずる僕へ、扉から戻って来た聖道が鋭く問いかける。
実力もビジュアルもまさに月と鼈。とは言えそれも当然だろう。
僕が神様から嘲笑われるべき道化という脇役を与えられたとするならば、神が聖道修羅に与えたのは俺TUEEEE主人公の座だ。
僕如きの力じゃ、正義に対峙する悪にも足りぬと男は蔑む。
ああ、その通りだろう。
だから僕は惨めに大人しく僕らしく両手を頭の上に挙げて、
「……分かった、分かったよ。これ以上痛いのは嫌だ。参った降参だ。僕が悪かった、調子に乗ってごめんなさい。もうしませんだから許して――くれなくてもやっぱいいや」
姦計を謀るのさッ!
くいっと、瞬間僕は手に握った糸束をぎゅっと握り込んだ。
すると、教会中に張り巡らせた鋼鉄の糸が、一気に巻き取られ僕の眼前に立つ聖道へと勢いよく収束、殺到する。
……この十数秒間、僕は伊達にスーパーボールみたいに殴り飛ばされたり跳ね回ったりしていた訳じゃあない。
殴られる寸前に毟った髪の毛をばら撒き変質させ、ピアノ線のように極細な鋼線とし蜘蛛の巣のように周囲に張り巡らせ罠を張っていたのだ。
極細のギロチンが凄まじい勢いで聖道へ迫る。
道化が笑みで送り出すは鉄糸の断頭台。
肉をも断ち切る鋼鉄の糸によって聖道修羅の肉体はボンレスハムの如くスライスされズタズタに引き裂かれ――なかった。
「あれ……?」
勢いよく殺到し絡みついた鋭い糸はきつく聖道の肉体へと食い込んだが、それだけ。
血の一滴はおろか肌に傷一つ付ける事すら叶わない。
そのあんまりな結果に、僕は引き攣った笑顔のまま押し黙って言い訳を考えていた。
魔法発動から三〇秒が経過、鉄の糸が髪の毛に戻り虚空へ消える。困った僕が助けを求めるように顔をあげると、ドライアイスみたいに冷たい目をした聖道修羅と目があった。
「……」
「……おいおい、英雄サマだからって嘘は良くないと思うぜ嘘はさぁ。ほらちゃんと魔力を籠めた鉄の糸だよ? だって、魔力通せば攻撃も通るって言ったじゃんこの詐欺師っ、卑怯者っ! そこは漫画みたいにスパァンと気持ち良くスプラッターな感じで細切れにパンチの利いた英雄ミンチになってくれなきゃ困ぷべァっ!?」
おどけた直後、後頭部ごと顔面を踏み砕かれた。
大理石にひび割れが走る勢いで顔を踏み潰され床にめり込み、さらに力いっぱい腹を蹴り飛ばされた。
吐きすぎて空になった胃からすっぱい液体と赤い血を吐き戻し、僕の身体が力なく大理石の上を転がる。
瑠奈の悲鳴じみた絶叫が、聞こえた気がした。
「……がっかりだよ、災葉愚憐。君には失望した。君は弱く、卑怯で、脆く、醜悪で、愚鈍で度し難い愚か者だ。俺という正義を前にして、君は倒されるべき巨悪を担わねばならないというのに……なんなんだよこの無様は。あまりに小物で貧弱で滑稽ッ。真面目に戦っているこっちが情けなくなってくるッ!」
今までの倒すべき悪への英雄としての問いかけではない。
ここにきて始めて、聖道修羅がその感情を剥き出しに声を荒げた。
それは、求められた役回りすら満足に演じられない僕に対する、妄執じみた見当違いの怒りだ。
狂気を覗かせる英雄の怒り猛るその足裏が、再度僕の頭を力一杯に踏み潰す。
「がぁッ、ぁああああああああああああああああああああああああッ!!?」
「神の導きがあるこの世界にも設定された悪党はごまんといるが、神に与えられし『設定表記証』に逆らう罪人はそういない。だから俺は、君と戦うことを楽しみにしていた。神に与えられた『英雄』という役回りをようやく存分に発揮できると。だが、蓋をあけてみればこのザマだ。悪の魔王との死闘を期待していた俺の前に現れたのはレベル一のスライム。取るに足らない雑魚だった。なあ、どうしてくれるんだよ災葉愚憐。行き場のないこの期待を、感情を、正義感を、ようやく俺は俺の正義を存分に発揮できると思ったのに……ッ!」
頭蓋を踏み砕かれそうになる莫大な圧に、意志を無視して手足が暴れ絶叫が迸る。
眼球が飛び出そうだ。
頭の中身が零れないのが不思議な程の激痛に、意識がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた。
荒く息を吐く聖道は、心の底から冷めた瞳で地面に這いつくばる僕を睥睨して、
「もういい。君は俺の敵に相応しくない。遊びは終わりだ、俺は俺の正義に従い、救済を果たすとしよう。――さあ、瑠奈。お前の罪を浄化しようか。……ああ、愚憐くんも安心してくれ。瑠奈を救った後に君も救ってやる。それが俺に求められる役回りだからな」
「まて、よ……」
聖道の声に、瑠奈がびくんとその身を震わせるのが分かった。だから、手を伸ばした。
僕に背を向け妹の元へ向かおうとする男の足を必死に掴み、僕は相変わらず狂ったように笑みを張り付けながら、その男を殺意を籠めてねめつける。
「……聖道、修羅。救済だ救いだほざく癖に君は……お前は、瑠奈を、自分の妹を怖がらせて泣かせてばかりじゃないか。僕は認めない、お前なんかが瑠奈を救えるものかッ!」
だから止まれ。瑠奈を救い出すのはこの僕で、お前の正義を打ち滅ぼすのもこの僕だ。
満身創痍で強がり吠える僕に、しかし聖道修羅は何の疑いも気負いもなく自分の正義を信じていた。
足を掴まれ振り返った聖道は、場にそぐわない穏やかな微笑を浮かべて、
「救えるさ。俺の魔法ならね。俺はこの魔法で父上も母上も救ったんだ。俺だけが迷える人類を、咎人の罪を『浄化』し救うことが出来る。なにせ神に『英雄』として、『正しき者』として認められた僕と一つになることでしか彼ら罪人は救われないのだからね」
こいつは、一体何を言っているんだ……?
自分に酔ったようなその言葉に、僕の頭は一瞬確かにフリーズし真っ白になった。
父と母を救っただと? バラバラに殺されたハズの先代主席神官を、自分の両親を、聖道修羅が救った? いや、まて。今回発生している連続殺人事件と、先代の主席神官暗殺事件の手口は瓜二つで、同一犯による物だともいわれていたハズだ。
なら、今回の連続殺人の犯人であるこの男は、まさか自分の父と母を……いや、そもそもこの男が口にする救済とは一体――。
思考が流転し空回りする。
目の前の男が放った言葉が、これまで瑠奈=ローリエを取り囲む混沌した状況全て一本の線として繋げる最後のピースに思えて。
「一つになる? お前は、なにを……」
「理解できないか。まあこういう場合は論より証拠だな。いいよ、愚憐くん。特別だ。一足先に俺の救いを体験させてあげよう。そうすればきっと、抗う気もなくなるよ」
……そもそも神に認められた英雄である筈の聖道修羅がなぜ人を殺し『設定表記証』を奪い、『存在設定の意味消失』を誘発させたのか。僕はもっと深く考えるべきだったのだ。
「『Ⅸ・全知を内包す聖者の聖数――
謡うような、嘆くような、誇るような、穏やかな英雄の囁きが風に乗って、
――総て抱擁す救済の咢』ッ!」
聖道の足を掴んでいた僕の左腕が、上腕の半ば程から噛み千切られ、捕食された。
「がぁっ、ぃギあ……ァあああああああああああああああああああああああああ!!!?」
腕が、腕、腕ッ、僕の左、腕がないッ! 食われた、誰に、牙が突き立って、ごっそりと、腕、引き千切れた!? 誰、そんなの決まってッ、腕が僕の左腕を聖道修羅が食べている。頬を風船みたいに膨らませてリスみたいに咀嚼している歯が突き立って痛っ噛みつくな痛い痛い痛いイタイタイタイタいぃいい辞めろ腕を肉を噛み千切らないでェッッ!?
噴水のように噴き出す鮮血が、涙を流す頬と白髪を上書きするように真っ赤に汚す。
ここにない筈の左腕が犬歯で裂かれ前歯で良く噛み締められ奥歯で磨り潰されて壊れていく。
幻肢痛なんてレベルじゃない、リアルすぎる己が食い潰される痛みと恐怖に気が狂う。
肉が肉片が、僕の身体の一部が聖道修羅に呑み込まれていく。
それでも僕は笑っている。心と身体が乖離する。何かに強制されるように、突き動かされるように、狂ったように、狂った痛みに狂った狂笑を張り付け血の涙を流しながら愉しそうに面白おかしく笑っている。
あは笑うハハ笑う痛いアのにハハ笑ってアハハ嗤ってハハハハハいるはははアッハハハハハハッッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっっっ!!!?
「愚憐くん。俺の魔法は食べた相手の魔法を奪う魔法なのさ。君や瑠奈を貫いた水晶の剣は父上の魔法。君の傷を癒した回復魔法は母上の魔法だ。この魔法と役回りこそが神が俺に与えた天啓だった! 神の教えに逆らい迷える罪人全てを喰らい、この世の誰よりも敬虔で正しき聖なる俺の血肉へと迎え入れることで彼らの罪を『浄化』するッ! それが神が俺に望む役回りだったのさ!」
瑠奈が外に持ち出した証拠。発見されたバラバラ死体はそのパーツ全てを合わせても人間の全身を形作ることは出来なかったという。
ならば消えた部位はどこへ行ったのか。
その答えがこれだというのか。
人としての禁忌である人肉食を、正義の行いだとして嬉々として実行するその逸脱性は、愚かな僕でなくとも理解できないに違いない。
悍ましく猟奇的な正義感が人の形をして立っているような異常。
……ああ、そして。笑い狂いながらも唐突に理解した。
瑠奈=ローリエが聖道修羅を激しく憎悪し復讐へ走ったその理由が。
「罪人とは言え愛する両親を食べるのは辛く悲しい事だった。だが、父上を食べる際、俺は偶然父上の『設定表記証』を奪っていた。すると父上の死後、面白い現象が起こったんだ」
聖道修羅は、興奮した様子で歓喜に笑みを引き裂いて、血走った目で獣のように吠えた。
「『霊長の設計図』! 主席神官のみが持つ他者の設定を上書きする権上の一つが俺に移っていた。父上の『設定』の一部を、俺が引き継いでいたんだ! 俺はこの現象を『潜在発露』と呼ぶ事にした。そう、『存在設定の意味消失』はあくまで副作用的に発生する現象に過ぎない。重要なのは相手のステータスを奪い、自身に上乗せする事が出来るという点。すなわち己の器の昇華、高次存在へと近づく行為! 俺は神に近づく事でより多くの罪を『浄化』し、人々を救済することが出来るようになるんだよ愚憐くんッ!」
……この男は、もう手遅れだ。
狂っているのではない。正気のままに、狂気を正義として行える。
それがもうどうしようもなく手遅れなのだ。
暴力よりなお悪辣な正義を自儘に振りかざし、それを正しさであると盲信している。
聖道修羅という英雄は、この世界の誰よりも自身の役回りにと立ち位置に依存していた。
この男は、他者が勝手に押し付けた『英雄』という役割そのものを免罪符に、自分の行動全てを許して貰いおうとしているだけだ。
酷く怠惰で傲慢で幼稚な正義。聖道修羅という人間が歩む人生のその手で掴むべき結末の全て、成功も失敗も勝利も敗北も報酬も責任も、その全てを与えられた『英雄』という役回りを理由に、言い訳にしてしまっている。
それは、例えるのなら全てを享受するだけの究極の『怠惰』。
それは、例えるならば神に選ばれた自身の行いを神の意思と同一化する究極の『傲慢』。
神を盲目的に信じ、その信仰を理由に己の全てを正当化しようとするその暴虐的な在り方を、僕はやはり絶対に許容することは出来ない。
だから僕は、この男にだけは負ける訳には……――
血を失いすぎた僕の視界が霞んでいく。
狂った哄笑の爆発が、燃料が尽きたように擦れ萎れていく。
握った手に力が入らない。
意識が朦朧と、夢と現の境目が曖昧模糊となっていく世界の中で、英雄の笑みが、全てを救わんと狂気を伴って大きく花開いた。
「さあ瑠奈。俺と一つになろう! 俺の血肉となり一つになる事でその罪を浄化することが出来る! さあ可愛い妹よ、今俺がお前を救おう、共に生きよう瑠奈=ローリエ……ッ!」