戦いの来訪
とても遅くなりました。ごめんなさい
「よし!今日はこれで終わりにしましょう」
雫が声を上げる。その表情はとても清々しい。運動を終えた快活な青少年のよう。しかしそんな彼女に対面する三人の表情は久々に運動をしたアラフォーのように険しいものだった。地面に手を付いて、ゼエゼエと呼吸を荒くしている。
「何よ、情けないわね。魔術師ならこのくらいなんでもないでしょう」
「いや、練習のときほとんど魔術使ってないじゃん。魔術師関係ないでしょ!」
八田が辛そうな表情で雫に抗議する。彼らはここのところ毎日のように魔術の特訓を放課後に行っていた。和也と智花のために“魔術の戦闘”の基本から刀の扱い方、チームでの戦闘法、幻術への対処法まで様々に。しかし今日行ったのはそんな魔術師らしい訓練とはかけ離れたもの。ひたすら走って、ひたすら腹筋・腕立て・スクワット。そして再び猛ダッシュ。
「俺らは青春真只中の高校生か!」
「いや、そうだろ」
和也が突っ込む。しかしその声に覇気はない。そして彼は、両腕を腰に当ててさわやかな表情の雫を、未知の何かを見るような目で見上げる。智花はまだしも和也と八田は運動神経のいい方だろう。その二人がここまで疲労する運動をこなして余裕の表情をしている彼女はいったい何者なのか。
「水瀬君も八田君も授業の訓練のときの動きを魔力に頼り過ぎているのよ。そして……と、智花さんはちょっと運動不足かしら……」
「うぅぅ……」
「と、とにかく前にも言ったように魔術師が魔力を使える時間は限られるの。だから最後に優劣を決めるのは元来の身体能力よ。戦場であればそれが生死を決めることにもなる。特に水瀬君は日本刀みたいな思い武器使う予定ならしっかりスタミナつけなさい」
和也は勇人から預かっていた刀を武器として使うことにした。いくつかの人に助言を仰いだところ練習や模擬戦ならまだしも実戦となると素手というのは非常に心もとないとのことだ。ならばせっかく友人が預けてくれた武器だ。使わない手はない。そして先日の特訓で刀を実際に振るってみたが、これが予想に反して重たかった。刀に体が振り回されているような感覚だ。これを視認できないほどのスピードで振り回していた勇人の凄さが改めてわかる。
「とりあえず今日まででやるべき項目を一通りやってみた感じね。あとはそれぞれの質を上げていく。私たちの置かれている立場を考えるなら戦闘面よりも急な襲撃や拉致されたときの対処法を抑えておくのが優先かしら」
「こっわ。智花気をつけろよ」
「どちらかというと和君のほうが危なくない?」
「いいえ、智花さん。敵にはあなたが水瀬君の幼馴染なことくらいバレているわ。ということは平気であなたを人質にとってくるわよ。水瀬君への警戒が強い以上、あなたが狙われる確率の方が高いまである。気を付けて」
「う、うん」
「人質を取るときの基本は魔術師なら幻術系統だからな。明日もう少しグレード上げて対処方法を教えるわ。自慢じゃないが俺の幻術をうまく対処できるなら、他も大方大丈夫だ」
八田の提案に雫は満足そうに頷いた。ここ数日で新しくわかったことは雫の八田に対する信頼は、彼女の態度に反して非常に高いということ。魔術的側面だけならず、彼女が得意とする体術的側面でも多くの場面で八田の協力を求めていた。和也にとってそれはとても羨ましいこと。自分がこのチームの足を引っ張っていることは言うまでもない。早く三人から少しでも頼りにされるように特訓しなければ……なんてことを思いつつ、明日の一限の授業の宿題をやってないことを思い出して……。
「それじゃあ帰るか。明日も授業あるからな」
智花と並んで歩く。都内にあるこの住宅地ではこの時間帯となると人通りは殆どない。残業終わりで疲れた表情のサラリーマンがたまに通りかかるくらい。この御時勢にこんな遅くまでご苦労なことだ。
「ねえ、和君」
智花が少しだけ沈んだ声で和也に問いかける。和也はその声で彼女が何を言うのか、なんとなくわかってしまう。この道はずっと三人で歩いてきた道だったから……。しかし彼女が口にしたのは少し予想外の内容だった。
「私たち、もっと強くならないといけないよね?ずっと穏やかなゆっくりとした生活を望んできたけど……。でも戻れない……。わかっちゃったんだもん。私が我が儘言って、呑気に笑っている中できっと多くの人が戦っていた。黒守くんや音羽ちゃんだけじゃない。今も私たちが知らないところで多くの人が私たちのために戦っている。だからいい加減、私たちも戦わないと……」
彼女の言う通りなのだろう。勘違いしていた。入学式のときの校長先生の言葉。「魔術師とは戦う運命にある」
このときからすでに選択肢はなかった。あのとき道は決まったのだ。戦う側の道。いつの時代にも少なからず存在する残酷な道。にも関わらず自分は逃げてしまった。そして皆が優しいからそれに気が付かない。
「そうだな……」
和也が空を見上げながらポツリと呟いた。空は真っ暗でその中に月明りが弱々しく光っている。同意はしたものの困ったものだ。強くなるに何をすればいいかなんて皆目見当がつかないのだから。結局は授業を真面目に聞いて、放課後にちょっと頑張って。これくらいしかできない。急な進歩なんてものはあり得ない。続けて、続けて、続けて。そうしてようやく変化しているのだろう。そしてだからこそ勇人の存在が本当に大きく見える。このことを五年以上前にわかっていたのだ。だからあんなに一人で走っていたのだ。
「目の前のことを積み上げていくしかない」
「うん」
二人は黙ったままゆっくりと歩いた。静かなその空間に足音が響く。愛おしい、愛おしい時間。皆で笑ったこの空間。それさえも等々……。
「和くん」
気が付くと智花の家の前だった。二人はいつものように「さようなら」と言って別れる。その声は少しだけ小さかったかもしれない。そうして和也は再び、静かな夜道を一人で歩き始めた。気持ちのせいか、それとも隣に友がいないからか、いつも以上に静かに感じる。
「そこのあなた、ちょっといいかしら?」
「は、はい!」
和也は不意をつかれたような声をあげて、声のかかった方向を見た。そして思わず瞬時に身構える。それもそのはず、彼の目の前には派手なドレスと鋭くとがった大きめの帽子、手に大きな杖らしきものを持って妖艶な笑みを浮かべた女性が立っている。異様に長い白髪とフィクションまがいの恰好が空間とマッチして不気味さを際立たせていた。
「あなた水瀬和也で間違いないかしら?」
「……」
和也は答えない。これはどう見てもまずい。見かけこそ美人だがそんなことは二の次。どんな女たらしでもこれをナンパとは受け取らないだろう。それほどに異様な雰囲気を醸し出している。
「ふふふ。怖いかしら?安心して。殺したりはしないわ。そんなことしたら怒られちゃうもの」
「何者だ?」
「あら、聞くことはそれ?そんな悠長で大丈夫?殺さないけど、私の意図に反して死んじゃうかもしれないわよ?」
その言葉の刹那、和也の体が後方に吹き飛ばされた。石でできた塀にめり込むようにぶつかる。その衝撃は想像を絶するものだった。あまりの痛さに声が出ない。肋骨が何本か折れたことがわかる。それでも和也は目の前の敵を見ることを最優先にした。次に同等の攻撃を食らえばチェックメイトだろう。なんとしても躱すしかない。
「それは正解よ。前を見なければ終わりだもの。ご褒美に目的を教えてあげる。実は私、雇われているの。なんかよくわからない小さな女の子たちが指揮をとっている組織にね。本当は後日行われる催しに合わせてあなたを拉致する予定だったのだけど……面白いから前もって私が預かることにしたわ」
彼女がトンッと杖の先端で地面をたたく。するとその点を中心に周囲に凄まじい魔力が放たれたことが分かった。和也が握っている刀を抜こうとするが間に合わない。自分の正面に全力で魔力の壁を作り、その攻撃をかろうじて防ぐ。
「いいわ、今の攻撃は全方位攻撃。回避を選ばないのは賢明ね。じゃあこれはどう?」
彼女が再び魔術の発動のために杖で地面をたたこうとした、そのとき。彼女を囲むように六人のスーツ姿の男が現れる。そして発動しかけの魔術を彼女に向けた。
「意外と早いわね」
余裕の表情でそう呟くと杖で地面を叩く。すると男たちの魔術が発動する前に彼らの体を電柱ほどの太さもある茨の蔓が貫いた。早い。発動から起動までのスピードのレベルが違う。貫かれた体は瞬時に毒々しい何かに汚染されていき、ドロドロに溶けていく。
「鬱陶しいのも来たし、そろそろ捕まってちょうだい」
杖が和也を捉える。そしてその女が何かを呟くと同様の茨の蔓が何本も和也を襲った。これも回避は不可。和也は右手に魔力を込めるとそれを爆発的に放出させる。青い膨大な魔力が迫る蔓を消し飛ばした。
「青の欠片の力ね。報告では使いこなせてないという話だったけど……。まあいいわ、これで終わり」
その一言で和也は自らの絶命を感じる。いつの間にか完全な死角である自身の後頭部に杖の先端が当てられていた。和也は攻撃の瞬間に恐怖する。そしてスーっと意識が失われて行くのを感じて、深い眠りに落ちていった。
女が倒れた和也の体に触れようとする。しかしもう少しで人差し指が触れるというところで大きく後方に飛び跳ねた。地に着地した彼女のその青白い頬から真っ赤な血が一滴流れ落ちる。
「報告に聞いていないわよ」
彼女の鋭い目が捉えているのは重厚な鎧兜の何か。手に水瀬和也が所持していた刀をどっしりと構えて動かない。兜からあふれ出す闘気がその尋常でない執念を感じさせる。
「め…を…まも…」
声とも呼べない低い音。人と呼べるほど優しくなく、魔物と呼べるほど愚かでない。かつて無双を誇りながら無念の内に果てた名もなき強者の怨念と魔力の具現。
「剣鬼なんて原初龍なみのレアものよ。なんでこんなところに……」
そう言うと彼女は杖をクルッと一回し。杖全体が先程の男たちを侵食した何かで纏われる。そしてそれを大きく振りかざすと目の前の鎧兜に向けて振るった。対する鎧兜の何かは鈍い音を立てながらその四肢を動かし、刀で杖の攻撃を防ぐ。双方は見た目からは想像ができないほどのスピードで二撃、三撃と打ち合うが力の差ははっきりとしていた。
「がっ」
重い図体が吹き飛ばされ、道路を抉って転がっていく。鎧は杖から問い散る毒のようなもので侵食されボロボロ。かろうじて直撃を避けてきたが満身創痍。それでもそれは立ち上がって、対面で笑っている魔女を見据えた。
「これ以上騒ぐのはまずいのよ。ということで何者か知らないけど、バイバイ」
女が杖を軽く一振り。そして勝負がついたことがわかった。鎧の中央に大きなひびが入り、全身が一気に崩れ落ちる。兜が砕け、砂のようにさらさらと消滅していく。あとに残ったのは刀だけ。まるで鎧兜など初めからなかったかのよう。彼女は地に落ちた刀を見ながら、頬の傷を杖で癒すと呆れたような表情で水瀬和也が倒れている向きに振り返る。
「あ~あ、疲れた。今日は諦めるわ」
振り返った彼女の目が捉えるのは怪しげな男と少女。男は真黒のタイトスーツと伊達くさい眼鏡、少女は透き通るような銀髪の髪と白い薄手のワンピースから儚さが溢れている。
「こんなところで何をやっているのですか?ジェラルド・マレフィウム。観光なら京都がおススメですよ」
眼鏡の男が皮肉まじりにそう言った。しかし言葉とは対照的に手にはナイフが握られ、すぐにでも攻撃できる体制と緊張感のある表情。マレフィウムと呼ばれた彼女の周りを、さきほど襲ってきた者たちと同様のスーツ姿が何十人と取り囲んでいる。そのすべてが正面の男と同じように臨戦態勢だ。
「さっきも言ったでしょう。今日は諦めるから許してちょうだい」
「無理と言ったら?」
「相変わらず無謀ね~」
彼女がニヤッと笑う。それにスーツ姿の男は目を見開いた。しかしもう遅い。杖の先端が凄まじい魔力を放出する。それは光線と呼ぶにふさわしい。天使が使うレーザーなどよりはるかに強力で速い。まさしく破壊光線。真っ向から防げるものなど数える程度にしかあるまい。そんな光線の直撃を受ける位置に少女が立ち塞がる。少女は目を閉じてゆっくりと手の平を前方に突き出すと、超音波のごとく高い、何やら不可解な音声を高速で発した。
「それは……」
少女の手から八枚の光の羽根が環状に生まれる。光線はその中心に呑み込まれるかのように音も衝撃も立てずにあっさりと消えていった。それにマレフィウムは初めて少し驚いたような表情を見せる。そして周りの戦闘員はその隙を見逃さない。時間をかけて組み上げられた高度な魔術が一斉に彼女を襲った。体が粉々になり四方八方に飛び散る。もはや彼女が彼女であったことなどわからないほどに。
「追尾は……無理ですか」
そう言う彼の目の前に落ちているのは一輪のバラ。それはマレフィウムの飛び散った顔に当たる物だ。数十人の精鋭で倒したのが“植物”に過ぎないということに思わずため息をつく。
「和也!」
少女が悲痛な叫びをあげる。それを聞きスーツの男も倒れている和也のもとに歩み寄った。そして手を頭に当てる。
「魔術で意識を失っているだけです。病院へ運びましょう。皆さんはこの場で後処理をお願いします。防音結界で誤魔化していましたが、さすがに騒ぎすぎましたから」
戦闘のあった周囲の家の住民が不安そうな顔で窓やドアの隙間からこちらを見ていることがわかる。と言っても家の数に対して人の数は少ない。それもそのはず。先の魔物の襲撃で多くの死者を出し、住民の多くが不安に陥れられた。そのため魔術師でも何でもない者は襲撃確率の低い郊外や地方へと移住したのだ。それでもまだ残っている者はいる。本当の一般人で残っている者はよほどこの地が好きか頑固者のどちらかだろう。
「私も着いていく」
「いいですよ。そういう約束でしたからね。ただし病院ではお静かに」
彼女は素直に頷くと和也の顔を覗き込み、愛おしそうに眺める。そして彼の前髪を優しくかき分けると額にそっと唇を当てた。




